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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。
誰か俺を馬鹿野郎と張り倒して下さい。そう俺は馬鹿者なのです。大好きな相手がわざわざ俺のことを理解しようとしてくれたのに「大嫌いだ」と言ってしまいました。あの時の男鹿の表情を思い出すたびに胸が苦しくなります。彼は傷ついた顔をしていました。そして俺に対して申し訳なさそうに「すまない」と謝りました。その言葉の意味は分かります。理解できてやれなくてすまないと彼は言っているのでした。俺はあの時どうしてあんなことを言ったんでしょうか。好きだなんて言えなくてけれどもこの気持ちは分かって欲しいだなんて身勝手もいいところです。男鹿と俺との勉強会はもう開かれていません。いや、もしかしたら彼はいつも教室で俺を待っているのかもしれませんが、俺はテスト前になるとさっさと下校していました。二人きりになるのが怖かったのです。男鹿の視線を真正面から受ける勇気もなく、さりとて告白する勇気もなく、頭の中では罪悪感でいっぱいで、季節は秋へと移ったのです。
高校二年の秋といえば、皆さん何を思い出すでしょうか。そうです。紅葉に彩られた修学旅行です。
さて、俺は皆から不良だと思われておりましたが、修学旅行の積み立ては毎月払っておりました。本当はあんな両親の金を使うのは吐気がするほど嫌なのですが、社会人になったら利子をつけて叩き返すつもりで今は甘んじて援助を受けております。なにせ今年は男鹿がいるのです、楽しみに決まっています。例え行き先が海外ではなく、国内の大定番京都であろうともです。しかしこんな浮かれた俺をよそに、周りのクラスメートは懸案事項を抱えているようでした。要するに、俺が旅行先で問題を起こすのではないか、また同じ班になってしまうのではないかという不安感に支配されているわけです。俺はそこまで嫌われている現実にげんなりし、同時に憤りすら覚えました。第一、クラスメートに手を出したこともないのに相変らずの偏見で人を判断するのはどうかと思うのです。しかも担任の考えも彼らと同じであるらしく修学旅行の班分けに苦労しているようでした。最終的には俺と男鹿だけで一班とし、俺のお守りを男鹿に託すことで決着をつける無責任ぶりです。他のグループは八名や七名で構成されているのに、です。
確かに俺にとっては喜ばしい展開でしたが、男鹿はどうなのでしょうか。俺から嫌いだと言われたのに素直に受け入れるのでしょうか。
「よろしくな」
俺の杞憂は徒労のようでした。男鹿はまるで夏の出来事を忘れてしまったかのような笑顔で隣の席からそう言ってきたのでした。
男鹿隆文という男は、本当によくできた人間だと思います。彼は自制心の塊のようでした。委員長の仕事をこなし、クラスの友人関係も把握していて、それとなく行事が円滑に進むように動いていました。生徒会にも顔を出しているようで、在籍はしていないものの顧問の古川と廊下を歩きながら話している姿を見たことがあります。傍目から見ればばクソがつくほど真面目な男でつまらない人間に思えるのでしょうが、俺は知っています。彼の優しげな瞳の中には何か嘲笑っている鈍い光がありました。それは周りに向いているのか否か、俺の好奇心は尽きることがありませんでした。
修学旅行が始まって、京都に着いた後も彼の働きは目ざましいものがありました。彼はクラスの代表として統率し、かつ同班である俺に対しての気遣いも忘れていませんでした。
進学校らしく、レポート作成の為に神社仏閣を回る自由時間があるのですが、彼は俺に行き先を一任していました。京都駅で解散し、おのおのがバスで移動するのですが、俺は駅から遠い金閣寺を選びました。一度見てみたいというのもありましたが、俺には別の目的がありました。
バスは修学旅行生で混雑していて俺の周りだけ空間が開いていました。こういう時はこのナリが有効活用されます。座席が一つ空いても俺が怖いので誰も座ろうとはしないのです。
俺は男鹿に座るように指示しました。彼はバスのつり革につかまりながら「お前が座ればいいじゃないか」と断りましたが、俺の機嫌が悪くなったのを見るなり苦笑しながらも大人しく腰を下ろしました。俺はそんな彼の隣で窓の外の景色を眺めました。
予想通り男鹿は五分とたたないうちに居眠りを始めました。俺は無防備に晒された彼の横顔を見ながら、ため息をつきました。まだ初日だというのにかなり疲れているに違いありません。大体、男鹿がこんなに頑張っているのに他の奴らときたらすっかり旅行気分で自分勝手で集合時間は守らないし、お喋りはやめないし。俺だったらそんな奴らは怒鳴って蹴飛ばして、襟首ひっ捕まえてでも言うことをきかせるのですが、男鹿はそんなことしないのでしょう。
「あーあ、メンドくせぇ」
俺は両手でつり革につかまりながら、誰となくそう呟いたのでした。
金閣寺に着いても男鹿は目を覚ます気配がありませんでしたが、さすがにレポートは書かねばならず、俺は乱暴に彼の肩を揺さぶりました。男鹿はハッと目を開けて「悪い」とバツが悪い顔をしながら下車しました。俺はふてぶてしく「ホントだよ、グウスカ寝やがって。俺は立ちっぱなしで足が痛てぇ」と言ってやりました。本当は彼にもっと休んで欲しかったのですが、そんなこと言えるはずもなく。
「悪かったよ」と男鹿は再度謝ってきました。「帰りはお前が座りなよ。俺が立っているから」
俺は苛立ちました。人一倍疲れている癖になに気を使ってんだ。
「ふざけんな」
俺は男鹿の後頭部を軽く小突いてやりました。ところがこれが角度がよかったのか結構な勢いがついてしまい、男鹿の頭が大げさに揺れました。彼はびっくりした顔でこちらを見た後、首を傾げながら目を泳がせました。
まずいです。完全に暴力を振るったと思われています。しかしです。俺と言う人間はこういうときのフォローの言葉がでてこないのです。やれることといったら、今の状況をなかったことにするぐらいで。
「オラ、さっさと行くぞ」
逃げるように金閣寺への道を進むのみでした。
初めて見た金閣寺は衝撃の姿でした。写真で見た以上の迫力で俺は絶句してしまいました。隣の男鹿も同じように感慨深げに吐息を漏らした後、ふいに俺の方を向いて言いました。
「獅子原が好きそうな派手さだな」
冗談じゃない、と俺は反発しました。こんなものが室町にあっただなんて信じられません。色々なことが頭をよぎり、俺はべらべらと感想を述べました。見たままの派手な外見に反しての室町時代の町民の生活から歴史的背景まで。あまりにも饒舌だったせいか男鹿はぽかんとした顔で俺を見ていました。そして最後に「やっぱり頭がいいんだな。俺はそんなこと考えもしなかったよ」と言いました。
「てめぇ馬鹿にしてるだろ」
俺が鼻を鳴らすと、男鹿は「まさか」と言って笑顔を向けてきました。
「ホントに凄いな、獅子原は」
吐息に混じったその台詞はどうやら本音のようで俺は照れてしまいました。俺の中は批判精神がいっぱいで何事にも反発するように出来ていますが、褒められる経験が少ないせいかこういう台詞はどうも馴染みません。
「それが馬鹿にしてるって言ってるんだよ」
俺は結局なんといったらいいか分からずにそっぽを向くと、再び男鹿を置いてさっさと歩みを進めました。
「ハハ、待てよ。怒るなって」
男鹿は照れ隠しの俺の言動が可笑しかったのか笑いながら俺を追いかけてきました。そして肩に手を掛けてきました。
「おい、気安く触るな」
かっとなって振り返り様に怒鳴ると、男鹿の手には赤い紅葉の葉がありました。
「葉っぱがついてた」
見上げれば燃える様な赤色が広がっていました。枝にある葉は風に煽られてはらはらと揺らいでおりました。二人でしばらく見上げていましたが、ふと視線を戻すと男鹿と目が合いました。なんだか瞳が笑っていて、俺の口元も何だか緩んでしまって、いつもの悪態をつく気にはなりませんでした。
「行こうか」と男鹿が言い、俺も「おう」と返事をしました。何だかいつもとは違って俺たちは何か通じ合った気がしました。
帰りのバスはかなり空いていて、俺たちは遠慮なく座ることにしました。男鹿は窓側に座り、この後巡る仏閣について話し始めましたが、俺は無駄だと分かっていましたので適当に相槌を打っておきました。予想通り男鹿はまた船を漕ぎ出し、下車する予定のバス停に着いても起きる気配がありませんでした。俺は今度は彼を起こしませんでした。バスの座席は狭く、男二人が座ると窮屈でしたが、眠ってしまった男鹿には関係ないようでした。彼は上下に頭を揺らし、バスが右折した時にすとんと俺の左肩に頭を乗せて来ました。俺の左頬に彼の髪の毛が触れてくすぐったかったのですが、なぜかそれが幸せでした。
翌日、京都での団体行動を終えて東京に場所を移しても男鹿の生真面目な姿勢は変わることはありませんでした。自由時間が終わってしまうと、俺よりも周りの統率を優先するのです。人数を数え、時間を確認し、ホテルに帰れば消灯後の点呼をすると言って部屋を出て行きました。そんなもの担任がやればいいと思うのですが、きっと彼のことですから二人でやった方が早く終わるとでも言ったに違いありませんでした。
俺はここ二日の彼の疲労ぶりを思いだして、何か手伝えることがあるのではないかと部屋を出ました。消灯時間を過ぎているのですから静まり返っていて然るべき廊下は、ざわざわとお喋りが廊下にまで響いてまるでさざなみのようでした。俺はかなり離れた場所で男鹿を発見しました。近寄っていくにつれて、どうやらそこのメンバーである田代が部屋を抜け出そうとしたらしく男鹿が注意をしているようでした。
俺は廊下の途中にあった非常階段のドアを開け身を潜めると、耳をそばだてました。
「だからさぁ。こういう時って一回しかないじゃん。彼女とさあ、思い出作りたいんだよ。な、頼むよ男鹿。迷惑かけないようにするからさ。彼女今非常階段で待ってるんだって」
俺は思わず階下に視線を走らせました。確か女子が宿泊しているのは一つ下のはずでした。ここからは残念ながら田代の彼女らしい女の姿は見えませんでしたが、なるほど事情は分からないでもありません。ほとんどが団体行動だったのですから、二人っきりで会うチャンスは本日しかないわけです。しかし男鹿は事情は分かるものの許可できないときっぱり言いました。