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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。
「なんだよ、優等生面しやがって」
彼女を待たせていることで焦燥感があるのでしょうか、田代はそう食って掛かりました。男鹿は難しい顔をしながらどうにか説得しようとしていましたが、傍から見ていてイライラしました。あんな奴、怒鳴りつけてやれば簡単なのに。
そこで思いつきました。自分がやればよいのです。そうと決まればこんな物陰に隠れている必要はありません。
俺がわざと大きな音を立ててドアを開くと、二人ははぎょっとした顔でこちらを見ました。田代は俺と視線が合うなり顔色を変え、男鹿は平静に尋ねてきました。
「どうした獅子原?もう消灯時間は過ぎてるぞ」
彼の口調は穏やかでしたが、内心は迷惑がっているようでもあり、怒っているようでもありました。俺は小指を耳の穴に突っ込んで「あァ?」と聞き返してやりました。ここで男鹿と馴れ合っては彼の評価が下がります。悪役は自分ひとりで充分でした。
「消灯時間を過ぎてるって言ったんだ。早く部屋に、」
「消灯時間消灯時間ってうるせぇよ。便所ぐらい行かせろ」
「便所?」
男鹿が不審そうに眉を寄せたのを見て、俺はシメたと思いました。
「部屋の便所が壊れちまって、さっきロビーの便所に行って来たんだよ。エレベーター前は先公が張ってるから非常階段使ったんだけど、オマエ。ブサイクがさぁ落ち着かない様子で立ってんのよ。俺はまさかそんなところに人がいるなんて思わなかったら驚いてさァ」
ヒャハハッという軽薄な笑いが出ました。我ながら名演技です。ところが名演技過ぎて、男鹿は俺の態度に軽蔑した眼差しを送り、田代は彼女を侮辱されて怒り心頭のようでした。
「獅子原、」と男鹿は俺の名だけを呼びました。省略されてはいますが言いたいことは分かります。俺は初めて浴びるその強い視線に勃起しそうでした。ぞくぞくするその興奮は、喧嘩で威嚇し合っている時の駆け引きに似ていました。俺は思わず笑みを浮かべながら低い声を出しました。下から上にあげるようなイメージです。こういう威嚇は大得意でして。
「ああそうだ。お前ら廊下で駄弁ってるくら暇ならさァ。どっちか部屋の便所調べてくれねぇかな。便器に頭突っ込んで、水溜まってるところに手ェ突っ込んでさ。もしかしたら俺が夕飯後にしたクソが詰まってるかもしれねぇじゃん。ナァ?」
我ながらドスの効いた声が出ました。廊下はしんと静まり返って、男鹿も田代も顔を真っ青にしてこちらを怖々と眺めていました。最初に動いたのは田代の方で、彼は俺にこれ以上絡まれたくないと考えたのか「部屋戻るから」とそそくさとドアを閉めたのでした。
可哀想なのは男鹿です。しんと静まり返った廊下で、威圧感出しまくりの俺の前に立たされているのですから。しかも彼は同じ部屋で逃げ場所もありません。
男鹿はしばらく目を泳がせていましたが、やがて意を決したように俺の顔を見ました。
「獅子原、それで先生には言ったのか?」
俺はその質問の意味が分からず首を傾げました。
「部屋のトイレが壊れているんじゃ困るじゃないか」
俺は思わずブッと噴出しました。男鹿の思考回路としては恐怖よりも物損のことが優先されたようでした。どこまで生真面目な奴なんだ、と俺は笑い出しそうになりましたが、今ここで笑ってしまっては演技が水の泡です。
俺は口元がにやけるのを堪えながら、唇の前で人差し指を立てました。男鹿は急に表情を和らげた俺に目を丸くしながらも黙って後をついてきました。俺は先ほどまでいた非常階段のドアを開けると、身体を滑らせました。静かに重々しい鉄扉が閉まったことを確認するなり、俺は笑い出しました。
「いったいどういうことなんだ?」
男鹿は未だに訳が分からないらしく、眉をへの字に曲げて俺に尋ねてきました。
「名演技だっただろ?」
「演技?」
困ってたようだから助け舟を出したことを告げると、男鹿はふうと安堵のため息をつきました。
「獅子原。気持ちはありがたいけど、あの言い方はないよ。なんていうかヤクザみたいだったぞ」
苦笑しながらそう告げてくる男鹿の顔つきは、先ほどの恐怖を引きずってましたが優しい目の色をしていました。今まで付き合ってきた人間は、ああいう行動をとると一気に軽蔑して距離が離れていくものですが、男鹿は違ったようでした。春から数ヶ月の付き合いですが、一時の激情を目撃しただけでは俺に対する評価は変えないよと言われた気がしました。いや、思い込みかもしれないんですけど。
俺は内心浮かれつつも表情を引き締めて、下の階を顎で差しました。
「あいつの女には実際会ってないんだ。お前いってこいよ。待ってても男は来ねぇよって。もしかしたら田代の奴が携帯で連絡してるかもしれねぇけど」
男鹿は頷いて階段を降り掛けましたが、途中でこちらを振り返りました。
「お前は部屋に戻るんだぞ」
ぴしゃりと言われて俺は思わず苦笑い。両手を挙げて「へいへい」と答えてやると「よし」と男鹿は笑顔になって、二段飛ばしぐらいで階段を下りていきました。
素直に俺は部屋に戻って布団に潜りこみました。戻ってくる男鹿の為に部屋の電気はつけたままにしていたのですが、眩しくて仕方がなく途中から布団を頭からかぶりながら男鹿の帰りを待ちました。
何だか先ほどからニヤニヤ笑いが止まりません。俺はこの二日間彼と親しくなれてとても嬉しかったのでした。なにせあの夏の日以来、俺の心は悶々としていて会話をしようにも出来なかったくらいなのですから。
明日はとうとう地元に帰る日です。ちょっとした東京観光ぐらいはあるでしょうが、ほとんどは移動時間でバスに揺られることでしょう。男鹿と二人きりで過ごせるのも今日が最後で、
あ、と俺はそこで気づきました。
そうか。最後なのかと。
修学旅行などという大義名分の下、彼と行動を共にできるのは今日が最後なのです。明日以降、彼は相変らず委員長として行動し、俺も厄介なクラスメートの一人に逆戻りするのです。俺は男鹿に話し掛けるきっかけを毎日探し、一言声をかわしただけで喜び、彼の言動に一喜一憂する日が再び巡ってくるのでしょう。
俺はウンザリしました。あの夏から俺は苦しんでいました。自分が撒いた種とはいえ、あまりにも辛い時間を過ごしました。
しかしながら打開する方法などあるのでしょうか。俺が謝れば、きっと男鹿は笑顔で許してくれるでしょう。春と同じように俺に多くの言葉を掛けてくれるでしょう。しかしそれでは駄目なのです。変わらなくてはいけないのは自分自身なのです。
「ただいま」
部屋のドアが開いて男鹿が帰ってきました。俺は急に怖くなって布団から顔を出すことが出来なくなりました。一体どんな顔をすればいいか途端に分からなくなったのです。
「獅子原?寝ちゃった?」
男鹿は俺の寝ているベッドの傍らに近づいてきたようでした。しかし布団をめくるようなことはせず、彼は静かに部屋の電気のボリュームを絞ったようでした。しばらく経ってからこっそり布団の隙間から覗くと、彼は洗面所の電気をつけて屈みこんで何かを確認しているようでした。あの体勢からすると、本当に便器が壊れていないか調べているのかもしれません。そして身体を戻すと、寝巻き用のジャージのポケットからしおりを取り出して、明日の行程と時間をチェックし出しました。
半分明かりに晒されている男鹿の横顔を見ながら俺は切なくなりました。こんな男鹿を見るのも今日で終わりなのです。寝顔を見るのも見納めで、彼が服を畳まずにバッグに詰め込むタイプだったり、ブリーフ派だったり、歯磨き粉を口の周りにつけたままウロウロする姿を見るのも最後なのです。
俺がそんな風に感傷に浸っていることなど露知らず、男鹿はトイレで用を済ました後、ベッドに入ったようでした。部屋は真っ暗でしたが、先ほどから布団をかぶっていた俺は目が慣れていて、はっきりと彼の姿が見えました。
男鹿は毎日疲れているせいですぐに眠りについてしまいます。呼吸音を聞いていればすぐに分かるのです。この日も彼はあっという間に眠ってしまいました。
俺は結局男鹿に何も言うことができずにこの日を終えようとしていましたが、ふと今日の一件を思い出しました。例の消灯後に抜け出そうとしていたカップルのことです。彼らとは違って、俺は随分幸せ者です。彼らは朝にならないと会えませんが、自分は今も二人きりで誰にも邪魔はされないのですから。
俺は頭から被っていた布団をとって起き上がりました。
隣のベッドで寝ている男鹿は真上を向いて寝息を立てていました。彼は寝相が大層よくて俺のように布団を蹴飛ばしたりしない男でした。暗闇の中でも彼の姿ははっきり見えて、例えて言うなら月の光にさらされているような薄ボンヤリとした明かりの中、彼は眠っていたのでした。
追い詰められた男のサガとでも言いましょうか。俺はベッドから降りると、男鹿の傍らに立ちました。俺の心臓はバクバクと激しく鼓動し出しました。彼の寝顔を見つめながら思わず指で頬に触れると、彼は少しうめき、俺が触れた部分をポリポリと掻いて、また静かな寝息を立て始めました。
俺はというと、指に体温と感触が伝わった段階で頭が沸騰するほど興奮してしまい、彼の布団を引っ剥がして、体温をもっと感じたい欲求に駆られてしまいました。
・・・いや、やってしまっていいのではないでしょうか。隣で男鹿が寝るなんてことはもう金輪際ないでしょうし、一時のテンションに任せられるのは、こういう特別なシチュエーションがないと実現できないわけで、第一今後また日常に戻ったとして、彼が親しく接してくれる保障もないですし、また嫌われたとしても、今までもろくに会話も交わしていない間柄なのですから、劇的に日常が変化するということもないわけで、ただ男鹿が自分に笑いかけてくれることがなくなるかもしれないという可能性が、いや、男鹿に限ってはあの偽善的な正義感で表面的にも俺に話しかけてくる可能性の方が高く、そうなれば、ますますこのチャンスをふいにするのはあまりにも愚かな、
気づけば俺は、布団の上から彼に跨って男鹿の寝顔を見下ろしていました。体重を掛けないように気を使って彼の顔に近づくと、寝息が静かに俺の肌を撫でました。
ああ。もう駄目です。
俺は腕立て伏せをするように、男鹿の唇に自分の口を合わせました。柔らかくて温かくてむしゃぶりつきたい衝動に駆られました。
一体どこまでが許される範囲なのでしょうか。男鹿がこれくらいなら起きない自信はあったのです。入眠時二時間は、ノンレム睡眠のはずで呼吸数から言っても彼はかなり深い眠りについていて、ちょっとやそっとでは起きるわけもなく、って、だからどれぐらいなら大丈夫なんだ。
俺は彼の上で固まりました。はてこれからどうしたらよいのでしょう。とりあえずもう一度キスしたい欲求があるのは事実ですが、正直一回目ほど自制できるかは甚だ疑問でした。俺が彼の上唇に触れると、ふと白い歯が見えて少し開いた口の奥に赤い舌が見えました。
もう未来などどうでもよくなりました。
俺は男鹿の両頬を掴んで唇を合わせました。まさにかぶりつくという表現がぴったりで、さすがの男鹿も目を覚まし、自分の異変に気づいたようでした。ところが俺は彼が起きてしまったことに気づきながらも己の暴走を止めることもできず、欲望のままに彼の上唇を舐め、下唇をしゃぶり、口内に舌を入れて蹂躙したのでした。怯え逃げ惑う舌を絡めると、俺の下半身は熱くなっていき、呼吸が荒くなりました。
男鹿は目を白黒させて「うーうー」と苦しそうに俺の肩を叩きました。さすが男、その抵抗力は中々のもので俺は仕方なく顔を離すことにしました。唇が離れた途端、男鹿は怒りの混じった声で言いました。
「獅子原、寝ぼけるんじゃない。俺は男鹿だ、お前の彼女じゃない」
なるほど。彼の発想としては俺が寝ぼけているほうが合点がいくのでしょう。きっと俺が好意を持ってそんなことをしているなど夢にも思っていなくて、ただの事故みたいなもので終わらせたくて、後日笑い話になる程度のものぐらいにしか思っていなくて。
ああ。こんなにも好きなのに。
俺はありったけの感情を込めて彼を見つめました。ほら目は口ほどにものを言うっていいますからね。
「獅子原?」
男鹿は急に固まって動かなくなった俺を不思議そうに見返してきました。どうやら所詮はことわざだったようです。彼の為に寝ぼけた男に徹することにしましょう。
俺は男鹿から静かにおりると、ゆっくりと自分のベッドに戻って頭から布団を被りました。もう怖くて彼のほうを見ることは出来ず、背中を向けて眠りました。翌日なんて顔で男鹿に会えばよいのでしょう。
俺は切なくて、明日が憂鬱で、早くもどうしてあんなことをしたのかと後悔して、目頭が熱くなりました。
ああどうか。男鹿が俺を嫌いになりませんように。
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「獅子原・・・起きてる?」
ふと声を掛けられた気がして俺は目を開けました。目の前はまだ真っ暗で、ああ俺はあのまま寝てしまったのかとボンヤリとした頭で考えました。さりとて動く気にはなれず、睡眠と覚醒の間を行ったりきたりしておりました。
静かに、そうほんの微かに衣擦れの音が響いてきました。眠っているものには出せない意志のある音のように思えました。俺は段々目が覚めてきました。音は真後ろから聞こえます。男鹿はこっそりと何かをやっているようでした。
呼吸が。
乱れています。
リズミカルに。
俺は身体を硬直させました。放っておいても勝手に意識が集中してしまいます。男鹿は俺の気配をうかがいながら行為に及んでいるようでした。背中に視線をビンビン感じます。
・・・いったい何が起こってるんだ?
続?