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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。
俺は冬が嫌いです。空は淀み、木々は枯れ果て、空気は刺すように冷たいからです。春になれば温かい息吹が訪れることを分かっていたとしても、俺はこの季節に希望を持つことはできませんでした。
さて、秋の修学旅行を終えて普段通りの日常が戻りましたと申し上げたかったのですが、そう巧くいくはずもなく、いえ、男鹿の態度に関してはいつも通りなのです。ただ自分が動揺してしまって、あれからまた彼を避けるようになっておりました。
理由は。
そうなんです。隣のベッドで男鹿がハアハアいっていた夜、結局一睡も出来ずに朝を迎えました。俺なんかに昨日の動向がバレていることなど露程も思っていない男鹿は翌朝「よく眠れたか?」などと明るく聞いてくる始末でした。この充血した目と隈を見せずに彼と会話するのは至難の業で俺はきっとかなり挙動不審だったと思われます。
男鹿が例のごとく点呼や班ミーティングなどでいなくなった時に俺は悩みました。先ほどから目に入るのはベッド脇にあるゴミ箱で、そこに丸まってあるいくつものティッシュが気になって仕方がないのです。もしかしたらあれはちょっとおかしな夢を見ていた時の寝言で、このティッシュは男鹿が鼻をかんだだけなのではないか、など色々考えた結果、俺はそのゴミ箱の前に正座をしてそっと鼻を近づけることにしたのでした。
変態と罵って構いません。ええ、構いませんとも。
鼻腔を漂ったあの匂いを感じた時、俺は思わずゴミ箱を投げ出しておりました。バラバラとゴミが散乱したのを横目で見ながら、俺は何か恐ろしいものを知ってしまったような気になりました。いや、正直に言いましょう。俺を襲ったのは嫌悪感で、全身に鳥肌が立ってしまいました。
俺はしばらく自分の感情の整理がつかずに、のろのろと機械的にゴミを拾って元に戻しました。
一体俺はどうしたというのでしょう。あんなに男鹿のことが好きなのに、彼の出したモノに嫌悪感を抱くなんて。俺は混乱しました。もしかして自分が彼が好きだというのは錯覚なのかもしれません。人生の中で初めて人を好きになっただけのことで、所謂性的な意味で好きなのではないのでは、いえいえ。それはありません。性的な感情なしで彼の放尿する姿で勃起したりはしないでしょう。
俺は混乱したまま修学旅行を終えて、帰りのバスの中では、せっかく男鹿が話しかけてくれたというのにうわの空で、きっと彼には俺が大層機嫌が悪いように見えたことでしょう。
さて、そんな感じで今に至ります。日常は相変らず単調で、現に今だって、つまらない化学の授業をBGMにぼんやり窓の外を眺めています。一つ欠伸をして、凝り固まった肩を回すと、ふと男鹿と目が合いました。彼はシャープペンの端を甘噛みしながらこちらを見ていました。俺の方が見ていることはあっても、彼がこちらを見ていることは珍しかったので俺は内心動揺しました。
「ナニ?」
俺が相変らずの脊髄反射で低い声を上げると、男鹿はハッとしたようで一瞬にして顔を背けました。見れば伸びた癖毛の下にある耳が真っ赤になっていて、予想外の反応に俺は混乱しました。
これはどういうことなのでしょうか。あの修学旅行では、俺のキスを拒んで寝ぼけるなと突き飛ばした男が、今はこっそり俺の様子を窺っては目をそらして顔を赤くしています。
俺はごくりと唾を飲みました。よく考えれば、彼が一人で自慰に勤しんでいたのも俺のキスで興奮してしまったからなのかもしれません。いや、正直に言いますと、俺は女性経験も一通りしておりますし、その辺の学生よりも経験値は豊富で、あ、そうです。きっと真面目な男鹿など童貞に違いありません。そりゃあ俺のキスで興奮しようものです。そうですよね。うん。そうに違いない。
などと思ったところで、何の行動もできないのが俺という人間で、ただ一人で都合のいい妄想を繰り返しては、ニヤニヤ笑っていました。
チャイムが鳴って、俺は楽しい妄想から現実に戻り席を立ちました。昼休み、俺は教室から離れることにしていました。ざわざわとやかましい教室が好きではないのです。俺は購買でパンを一つ買うと、廊下を歩きながら腹の中に押し込めて図書室のドアを開けました。皆の好奇や迷惑そうな視線を無視して、綴じてある新聞を何紙か手に取ると、一番奥の席に腰を下ろしました。この席は丁度棚の影になっていて入口から見えない位置にありました。俺は足を組んで新聞に目を通しました。昼休みというのは本を読むには短すぎるので新聞ぐらいが丁度いいのでした。俺が好きなのは新聞に連載されている小説だったり、投書欄だったり、各社説だったりですが、新聞によって主張が微妙に違うことがまた面白いのでした。これで煙草が吸えたら最高の場所なのですが、そうも言ってられません。俺は時計に目を走らせると、腰を上げました。屋上で一服してから教室に戻るとしましょう。
俺がいつも通り屋上へ向うと、気温が低く肌寒いせいか誰もいませんでした。俺としても好都合で、フェンスに身体を預けて煙草を一本とると、いつも通り唇に咥えようとしました。
「獅子原」
急に掛けられたその声に驚いて俺の手から煙草が転げ落ちました。拾おうとへっぴり腰になっている時に、自分の目の前に影がさしました。視線だけを上げると、男鹿が何か思いつめたような顔でこちらを見下ろしています。俺は煙草のことを言われるのかと思い、「あん?」と嘲笑してやりました。
「獅子原。今、時間いいかな」
俺は眉間に皺を寄せました。いいも何もそろそろ予鈴が鳴る時間です。ほら、チャイムが鳴りました。しかし、もう耳タコになっている電子音も、男鹿には聞こえてないようでした。俺としてはこのままサボっても構わないのですが、目の前の男はそうも言ってられないでしょう。
「後にしろ」と俺は言いました。彼の足元で煙草を見つけましたが、ここは拾わないで立ち去るが吉です。俺が何気無く立ち上がって男鹿の横を通りすぎようとしましたが、すれ違い様に彼の手が俺の腕を掴みました。
「触るんじゃねぇッ」
俺はかあっと熱くなる自分の感情を誤魔化すように振り向き怒鳴りました。目の前の男鹿は怯えたように目を丸くし、身体を硬直させました。
ああ。冬は。
北風が二人の間を吹き抜けるから嫌いなのです。
「悪い」
男鹿は呆然とそう呟き、先ほどまで俺を掴んでいた手を所在なくゆっくりと下ろしていきました。俺は、違うんだと心の中で叫びます。本当はお前の体温を感じたくて仕方がなく、なんて俺がそう思っている時に何の感情もなく気軽に触ってくるから動揺するのです。驚いてしまうのです。期待してしまうのです。
つまり。
「好きなんだ」
気づけば俺は、冷たくなった彼の指を握り、そう訴えていたのでした。目の前の男鹿は、俺の怒ったような声とその内容のちぐはぐさに混乱しているようでした。それはそうでしょう。急に男からそんなことを言われては頭が真っ白になるに決まってます。俺は早鐘のように打つ胸を抱えながら、しばらく彼の返事を待ちましたが、男鹿はうまく言葉が出てこないようでした。彼の瞳は真剣で、一生懸命俺を理解しようとしていることは伝わりました。俺は彼の唇の開閉がどのように動くのか興味がありましたが、段々と恐怖心にさいなまれてきました。どう考えても男鹿は普通の男で、画期的な発想があるとは思えません。
そんな時です。本鈴が鳴ったのは。
俺はここぞとばかりに踵を返しました。答えは保留になったままですが、きっと男鹿のことですからいつもと変わらず俺と接してくれるはずです。それでいいのです。だって告白する気など元々なくて、勢いあまってしまったというか。
「返事、聞かないのか?」
気を抜いた俺の後ろ手を再び男鹿が掴んできました。俺は心臓が止まるかと思うくらい驚き、今度は振り払うこともできず足を止めました。
「嬉しいよ。ありがとう」
俺は耳を疑いました。勢いよく振り返って男鹿の表情を窺うと、彼は穏やかな笑みを浮かべていました。何も考えていないような表情に俺は逆に腹が立ちました。
「お前分かってるのか?俺が言ってるのは、えー、つまりだな、その、」
いざとなると恥ずかしくて二の句が告げません。ええ、情けない男なんです。そんな俺を助けるように男鹿は言います。
「分かってる。修学旅行のアレ、寝惚けてたわけじゃないってことだよな」
そこまで言って彼は顔を背けて声を詰まらせました。耳は真っ赤に染まってまして、こんな姿を見たら愛しさ大爆発です。思わず男鹿を力いっぱい抱きしめてしまいました。
驚いて身体を硬直させた男鹿に間近で笑い掛けると、彼はびっくりしたように目を丸くしました。もう照れ隠しなど必要ありません。だって俺は一年間思いつめていた本音を言うことが出来て、しかも男鹿はそんな俺を軽蔑せずに受け入れてくれているのです。その現実だけで充分でした。
翌日から生活は劇的に変わりました。傍から見れば大して俺たちの関係は変わったようには見えないでしょうが、あの頃とは雲泥の差なのです。俺の心は毎日浮つき、歩けばいつの間にかスキップになっているほどでした。二人でいる時は幸せで、周りの目など全く気になりませんでした。きっとこれからは、二人で微笑みあったり、ふとした瞬間に目が合って照れ笑いしたりとか、そういう現実がくるに違いないと、信じて疑わなかったのです。
しかし実際は、なかなかそんな日はやってきません。むしろ逆に男鹿の言動にイライラすることが多くなりました。俺の気持ちを知っているはずなのに思い通りになってくれない男鹿に苛立ち、悲しみ、苦しくなったのです。
友人、恋人、その境と違いはどこにあるのでしょうか。恋人よりも友人という立場の方が公平で純粋で崇高だったのかもしれません。彼にちっとも近づいた気がしない今、そう思えてならないのです。だってほら、休み時間のこの瞬間でさえ、男鹿と友人たちの笑い声が聞こえてきます。俺は今も昔もああいう風に笑い合えたことなどありません。俺は恋人という立場を得たのにも関わらず、彼の友人たちが羨ましくて仕方がありませんでした。そして、この原因は自分の内側にあることに薄々気づいてはいたのです。
そんな時に、
「ホントよくやるよ。なぁそう思わね?」
と、彼の友人の一人がせせら笑ったのが聞こえたのです。
プチっと俺の神経が切れました。
正直前後の会話など耳に入っていませんでした。もしかしたら、男鹿の生真面目な言動についての揶揄だったり、やっかみだったのかもしれません。いや、それ以上に対象が男鹿だったのかも疑問です。しかし俺の全神経がその言葉に反応したのですから、俺は本能を信じます。
我ながら俊敏な動きでした。教室の反対側に彼らがいたのにもかかわらず、俺は近くの椅子を飛び越え、机をなぎ倒し、鼻で笑ったクラスメートの胸倉に掴みかかっておりました。
「な?な?」
?まれた奴は目を白黒させて全身を硬直させました。そしてがたがたと震え出しました。周りにいた友人たちは慌てて俺を止めようとしてきます。もちろん男鹿もその一人でした。彼は俺の手を掴み、やめろと言いながらも、クラスメートに向かって「今のはお前が悪い。獅子原だって努力してるんだぞ。それを馬鹿にした言い方をして」と真剣に言いました。
俺は怒りの矛先を変えました。俺が間違っていました。
「てめぇが一番馬鹿にしてるだろ」
俺は今度は男鹿に掴みかかりました。俺に襟首を?まれても、床に押し倒されても彼は理解が出来ないようで目を丸くしていました。俺は気持ちが伝わらない怒りと悲しみから拳を振り上げましたが、その行為を確認するなり男鹿は表情を一変させました。それは恐怖に震えた顔ではなく、明らかに軽蔑のこもった眼差しで、ぎくりと俺の腕は止まりました。
「どうした?殴らないのか?」
彼の声は怒りに震えていましたが、硬直したまま動かなくなった俺を見るなり今度は唇を歪めました。
「殴れないよな?俺のこと大好きだもんな?」
男鹿の言葉は軽薄で、残酷でした。俺は本当に彼が好きでした。しかし彼は全く本気にしてなかったようです。人付き合いが苦手な不良が酔狂なことを言っていると思っていたに違いありません。いえ、それ以前に浮かれていた俺を嘲っていたのでしょう。だって俺のことを少しでも真剣に考えているのなら、今この状態で、皆がいる前でそんな馬鹿にしたような言い方をするわけがないのですから。
俺の中から熱いものが溢れてきました。涙が溢れて止まりませんでした。それはボタボタと男鹿の頬に落ち、泣いている俺を見て彼は絶句したようでした。
俺は跨っている彼から素早く離れると、慌てて廊下に逃げ出しました。情けなくて、恥ずかしくて、腹立たしくて、何もかも滅茶苦茶にしたくなりました。
「ぅおおおおおおおぉおおお」
俺は吼えるように叫び、廊下にあるあらゆる物を蹴飛ばし、殴り、消火器を担いで窓を叩き割りました。誰かが鳴らした火災報知器のベルが甲高い音をたて、気づけば俺はざわざわと集まってきた野次馬に囲まれていました。誰も俺の心情など理解できるはずがありません。
俺はあくまでも孤独でした。
「何見てんだァ、ォラァ!」
俺は頭が沸騰したまま涙を流しながら回りにわめき散らしました。教師に羽交い絞めにされるまで、俺は何を叫んだのかまるで覚えていません。いや、覚えていなくてよかったのかもしれません。どうせ俺の言葉など、誰の心にも響かず、意味のないものだったでしょうから。