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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

上司と部下とガーベラと

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「いやというか、なんというか」と私は正直な言葉を綴った。「不思議だ」
 椎名はその言葉が思いがけなかったらしく、一瞬目を見開くと、
「はは、こりゃあいい」
 私は明るく笑った彼を見て少しほっとしていた。いつもの椎名が隣にいた。笑いの残った顔で彼は右手に持っていた眼鏡を私に返してくれた。私はレンズ越しに彼を改めて見る。張りのある健康的な褐色の肌。
「ゴルフ焼けだ」と椎名は笑って、片方の淡い色の甲を私に見せた。
 いつの間にかテレビは消されていて、時計の時を刻む音だけが響いていた。椎名はゆっくりと、そしてしっかりと私の手をとった。私は随分体温の高い椎名の指が、私の指をもてあそぶのを不思議な気持ちで眺めた。ふと、彼の手が私の手を掴み、持ち上げる。
 なんだろうと思って、椎名の方を見れば、彼はゆっくりと私の人差し指を口に咥えた。
 私は今度ばかりは心臓が暴れた。先程のふいうちとは違って、今度の椎名は明らかに私を誘っていた。目が私を捉えたまま、舌は私の人差し指を撫でるように蠢く。
 私は硬直し、どうしたらいいか分からなくなり、ただ椎名の目に釘付けになっていた。
「不思議か?」と椎名が私の指を唇に引っ掛けたままそう呟く。低く。
 私はされるがままだった。なんというのか、椎名がどのように私を攻め立てるのか興味があった。男から見ても魅力的な男がどのように私を陥落させる気なのかと。私は受身になりつつも、傍観しているような別な人格がいるようだった。冷静な自分とそうではない自分。いっそうのこと夢中になれたほうがお互いの幸せではないのか。
「鏡」と椎名に呼ばれる。先程と同じように充血していて、少し潤んだ瞳が目の前にある。
「好きだ」
 聞き間違いではなく、椎名は私にそう言った。あの時のように疲労の戯言などと言い訳などできぬ状況で。彼は私の指をしゃぶりながら「好きだよ」と妄想のように言い続けた。彼に掴まれた腕は拘束と表現した方がいいくらいびくともしなかった。
 まさかと思って私が椎名の股間を見ると、しっかりと見て分かるくらい隆起していた。
 私は椎名ほどの男が自分のような人間に興奮していることに純粋に驚いた。
 椎名は私の指から手首に舌を動かした。目を閉じて酔ったように舐めていたのに、今度は一転してこちらを見ながら手首にキスをした。
 その挑むような目つきに、ぞくっと何かが身体を走る。思わず口で息をすると、椎名がのり出して私の身体に覆いかぶさってきた。
 手首を拘束されながら口づけ。今度は性急に舌が入ってくる。生温かい奇妙なものが私の口の中を蹂躙する。
 私は正直キスの感触より、股間に当たる椎名の固いものの方が気になった。ごりごりと擦り付けるような感触。激しくて、硬くて、痛みが走る。
 私と同じ世代の男が、まさにオスの顔で私を見つめる。男の魅力というのはこういうものに違いない。私は正直もっとこの男と絡みたかった。体温を感じて、私をどんどん誘惑するこの男をもっと感じたかった。しかしそれをするにはここは狭すぎた。
「待ってくれ」と私は思わず、上ずった声をあげた。上司という考えがこの時頭から消えていた。私の声色に何か違いでも感じたのか椎名は私の上にのったまま、視線を和らげる。
 拘束していた手をそっと離して、椎名は優しくキスをした。
 唇を通じて気持ちが伝わると初めて知った。そしてそんな優しさとは裏腹の、椎名の欲望を感じる。
「すごい」と私は思わず言っていた。
 そんな妙な感想に椎名は少しぽかんとした後にっこり笑った。
「もっと凄いことしたいんだが許してくれるのか?」
 私は思わず喉を鳴らす。下半身の一点が熱くなる。
「もっと激しいのか?」
「ああ」
「もっと感じるのか?」
「ああ!」
 椎名の目はぎらぎらと私をねめつける。私のものも椎名に負けず劣らず隆起していて、布越しに当たるお互いをもっと感じたくなっていた。
「だったらもっと私を攻め立ててくれ」
 ぐいと私は椎名の股間に己のものを押し付けると、椎名は乱暴にソファーの前のテーブルを蹴飛ばした。
 激しい音がして、テーブルは向こう側に飛び、ひっくり返りこそしなかったがコーヒーの入ったマグカップが激しく上下する。
 私たちは絡まったまま、ソファーの前に転がった。もともとスプリングがおかしかった椅子なので段差などないに等しい。椎名は性急に私のスーツの上着を脱がして、シャツの前を乱暴に開いた。激しく乱暴に椎名は私の乳首を吸い上げた。感じたことがない快感と痛みに私は酔った。「もっと、もっと吸って」
 痛い、気持ちいい。段々熱くなる己の雄がぱんぱんに張り詰めていく。私は自分のものに触れず、椎名のものに手を触れた。布越しでも熱さが伝わる。硬いそれを握ると、胸を舐めていた椎名が「・・・っ」と呻いた。その顔が色っぽく。
 私は上体を起こして、椎名の口にむさぼりついた。自分で舌を入れて椎名の口腔の犯す。
 ズボンを脱がそうとしている椎名を手伝って尻を上げ、下着ごと剥がされる。それだけで布に擦られて反応する。爆発寸前を目の前に晒しながら、私は、私に跨ったまま全身の服を脱ぎ去っていく椎名を眺めた。日焼けしてない肌は、うっすらと色が淡いが、もともと色黒らしくあまり差がない。
 彼の中心で猛々しく誇示する欲望がある。
 私は彼を迎えた。
 直接触れ合う私たちの欲望は、熱く、ぬめった感触が気持ちが良かった。椎名は私を犯すように腰を揺らし、お互いの肉棒を擦り合わせた。私の中心はもう限界で先端から漏れ出した精液がゆるゆると私を追い詰めていった。
「鏡」と椎名は私を見詰めたまま、夢うつつという顔で声を掛けた。
「おれは君と繋がりたい」
 私はその言葉に痺れた。もうどうでもいいからめちゃめちゃにして欲しかった。何も考えられないようにして欲しかった。いや、実際私はもう溺れていて、息も絶え絶えだった。
「もっと攻めて、もっと追い詰めてくれ」
 私はそう返事をした。
 はちきれんばかりの中心への刺激は、私の要求に反してストップし、その代わり未知なる蕾へ移行した。
 私はもう自分自身がどろどろに溶けていっている感覚があった。滴り落ちて尻の周りをべたべたにしているのは自分の精液であるのも認識していた。もしかして緩やかに私は一回イってしまっていたのかもしれなかった。それくらい全身が痺れていた。
「くぅ、・・・アァ、いい」
 私はゆっくりと侵入してくるそれに震えた。初めてなのに抵抗がなかった。不快感が逆に興奮にすりかわり、私の脳を犯していった。精液を潤滑液として進入してくるそれを私は飲み込みたくて思わず締め付ける。指を増やして広げていく椎名は、こちらを充血した目で見詰めたまま。
「早く欲しい」と私は思わず言っていた。
 椎名はそんな私を睨むように見詰めて指を抜くと、一気に私を貫いた。
「あぁァアァ」と私は痛みに悲鳴を上げ、段々と麻薬のように快感に繋がっていく過程を感じた。痛いが気持ちがよかった。私の中心から、びゅくびゅくと精液があふれ出た。イッた感覚があったが、これが何回目か分からない甘美な痺れが全身を包む。
 椎名は私を奥の奥まで攻め立てた。快感はずっと続いて、私の肉棒からは何度も何度も精液が溢れた。腰が浮き、椎名の熱くて太い欲望が行き来し、内臓に刺激が伝わった。犯され、おかしくなり、世界が真っ白になっていく。ぼんやりとした世界の中で、はっきりしていたのは椎名の色黒の顔が快感に震えていることだった。
 椎名の唇の奥から、吐息と呻きが混じったような声が溢れた時、私の中に熱いものが注がれていった。何度も何度も椎名は私にそれを注ぎ込み、私は蕾からどろりと溢れるその液の感触に満足しながら、最後に一つ、大きく震えたのだった。

 私は眩しくて目を開けた。目の前には電灯が強すぎる光を私に注いでいた。眼鏡のレンズに所々白いものが付着していて、視界が少し不明瞭だった。
「起きたか?」
 低い声に首を曲げると、ソファーに座ったスーツの足が見えた。私は痛む腰を叱咤しながら起き上がった。身体はきれいに拭かれていて、バスタオルが掛けられていた。
「シャワー借りたぞ」椎名は組んだ足を直して私に告げた。黒いスーツには少し染みがあって、私は口元を歪めた。
「落ちなくてね。恥ずかしいがクリーニングだ」 私は裸に掛けられていたバスタオルを腰に巻いて、椎名の隣に座った。ぼんやりした頭で眼鏡を取ると、バスタオルの端でレンズを拭く。 
「すごかった」と私は正直な感想を漏らした。
 きれいに身づくろいした男の隣に座っていると、先ほどのことが幻のような気さえしてくる。
 私は激しい夢を見て、椎名がそんな私を見ていただけではないかと錯覚する。
「鏡」と隣の椎名は微笑んだ。「またキスさせてくれるか?」
 優しい上司の顔を見て、現実だったと実感する。私の答えを聞かぬまま、椎名は私の下唇に吸い付いた。
「こんな私のどこがいいんです?」
 私が疑問だったことを聞くと、「今更それか」と椎名は呆れたようなため息をついた。
「理屈じゃないだろう、こういうのは」
 私が納得いったようないかないような反応をすると、椎名は難しい顔をした。「具体的な表現は難しいに決まってる。君は男だし、おれより老けてるし、仕事は要領が悪いし」
「これは失礼しました、部長」
 私が言うと、椎名は「怒るなよ」と笑った。
「それは冗談としてだ。おれはずっと君が好きだったよ。本社から、経理課の調査指示を受けて、君の前で仕事を見ていて、きっと全然回りが見えない人間なのだろうなと思った。おれが好きだということも、きっとずっと気づかないだろうと思った。口を開けて告白しても、目で君を犯しても」
 そこまで言って自嘲ぎみな乾いた笑いがまじる。
「家に送り届けようと車に乗っている時、おれは柄にも上がってしまってハンドルを持つ手が震えて困ったよ。君の体臭を微かに感じるだけで勃起しそうだった」
 椎名のその告白に私は思わず笑ってしまう。随分青臭いことを言っている。思春期じゃあるまいし。
「笑いたければ笑えばいいさ」と椎名は笑みを湛えたまま言った。
 意識をそらそうとして野球を聞いたり、他愛もない会話をしたが全然意味がなかったと聞かされて、私は何だかあの息苦しさに合点がいった思いだった。
「さあてと」と椎名が徐に腰をあげたのは深夜零時をまわったところだった。私は彼を見上げながら「仕事ですか?」と聞いた。
「今日中に終わらせないといけない大仕事があってな。ああ、もう昨日か」
 ふわあと緊張感なく椎名はあくびをして、伸びをした。黒いスーツの染みが先程より目立って見える。
「その染み、きっと手ごわいですよ。私に似て頑固そうだ」
「そうかな」と椎名は染みを見る。「きっとそう見えるだけさ」
 出て行く彼を送ろうと腰をあげたところでいかずちのように走り抜ける激しい痛みに襲われる。思わずソファーに手を付くと、送らなくてもいいぞ、と声が掛かった。そして思い出したように言う。
「そういえば、迫田くんの件を話すと約束していたのを忘れていた。時間ができたら電話するから」
 こんな時に嫌なことを思い出させる。私は眼鏡越しに睨みつけてやった。
「部長、本当に私に惚れてるんですか」
 返って来たのは楽しそうな笑い声。椎名は靴を履いてドアを開けると、一度だけこちらを振り返った。
「好きだよ。部下である君もな」

 翌日私は五分遅刻して出社した。先に席についていた篠塚たちの頭上に「おはよう」と声を掛ける。彼らより遅く出社したのはこれが初めてだった。
 まず気づく。レターケース横の埃がなくなっていた。拭こう拭こうと思っていてそのままにしていたのは何日前だったか。
 そういえば、入口の棚に花が活けてあった。あんなのは今まであったろうか。
「おはようございます、どうぞ」と酒見がコーヒーの入ったカップを私のデスクに置いた。大昔に私が持参した私物だ。まだあったとは。
 私がいろんなことに混乱して固まっていると、
「あ、やっぱお茶のがよかったですか?」と遠慮がちな声がかかった。酒見は慣れないことをして少し顔が緊張気味だった。
「このカップどこから持ってきた?」
 私は彼の質問には答えず、コーヒーに口をつけて尋ねる。濃くて美味い。
「あの、実は迫田さんの代わりに茶を入れようとしたんですけど、たまたま通り掛った部長が、食器棚の奥を指差して、課長はコーヒー党だ、と」
「部長が出社しているのか?」
 確か椎名は休みだったはずだがと聞くと、酒見は「さっきはいましたけど」と戸惑った顔をした。
 今日出社しない為に、昨日一度会社へ行ったのではなかったのか?と私は少し納得がいかなかった。朝まで仕事が終わらないような要領が悪い男ではない。私とは違うのだから。
 何だかいやな予感が首をもたげてくる。長く勤めていると気づくこともある。気づきたくないことを。
 私は電話を取る。椎名のデスクに掛けたが、出たのは総務部の女子社員だった。
「部長は?」
 私の声が随分固いからか女子社員は少し言葉を絶句する。「本日は公休ですが」
「朝はいたと聞いている」
 私が畳み掛けると、「私は見かけていませんので・・・少しお待ちください」と保留音。
 私は保留音楽を聞きながら、内線や外線の通話ランプが色々光っている電話機を眺めていた。そこで妙なことに気づく。
 保留が終わった。
「お待たせしました。確かに部長は朝いらっしゃっていたようですが、今はおりませんし、公休となっているのでもう帰られたかと」
 女性社員の困惑した声を聞きながら、私は話題を変える。
「本日応接室Aの利用はあるのか調べてもらえないか?」
 応接室Aは小さな個室だ。四人座るだけでも息苦しくなる狭さの上に、装具が古く、あまり対外用には使われない。常連の業者や、個人面談などに使われるだけで、電話だって形式的にあるオマケのようなものだ。その場所の外線ランプが先ほどから点いたままというのはどういうわけだ。
「どうしてでしょうか。業者の予定も入ってませんし、受話器が上がっているのかもしれませんが・・・。今確認に行きますので」
 赤く点いている外線ランプに椎名の気配がした。私は咄嗟に言葉が出た。
「いい。私が行ってくる。それと申し訳ないが、これから使いたいので、誰も通さないでくれないか」
「お客様でしたら、お茶でも」
「必要ない」と私は短く言い放つ。そして電話を切ると、立ち上がる。腰が痛い。昨日は甘く感じたこの腰の痛みも、今はただの暴力に感じてくる。私は頭の中で段々確信へと繋がる一つの結論を否定しようともがいていたが、気づくのはいつも遅く、事態が好転したことなど人生で一度もなかったことを思い出す。
「課長?」と訝しげにこちらを伺う二人の部下を見ながら彼らの行く末を案じた。
「しばらく席を外す。何かあったら・・・」と言いかけて、私は口をつぐむ。あっても私を探すことなどこの二人がしたことがないことを思い出した。
 自虐的に出た笑いを隠しもせず、私は経理課を後にした。

 応接室Aは二階の廊下の端にあった。用事がなければ、誰も立ち入らない空間だった。私は壁にある札を裏返して「使用中」と表示させると、ノックする。
 小さい曇りガラスに見える人影は、少し動きをとめてこちらの様子を伺うような素振りを見せ、そして諦めたようだった。
「はいりたまえ」
 私の予感通り、中から聞こえてきた声は椎名の低音だった。
「失礼します」
 私は一言声を掛けて軽く頭を下げる。椎名はソファーに背中を預け、腕を組み、複雑な笑顔を向けていた。
「なんのようだ?」
 彼の着ているスーツは昨日の染みのついたものではなく、濃紺のそれであり、顔にも疲れが見られなかった。
「部長の方こそ私に話しがありませんか?」
「どういう意味だ」
「文字通りの意味ですよ。先ほど外線を使ってらっしゃいましたね。本社と話していたんじゃないんですか。経理部の解体について」
 私は単刀直入に言った。
 昨日の椎名は口を滑らせた。本社の指示があって私の残業を見届けていたことを。残業代が私だけ膨大であるわりに仕事の効率が悪ければ鑑査対象になることぐらい予測できる。景気が低迷していて、部署の統合縮小などが当たり前のご時世だ。部長である男が理由もなく私に逢いにくるわけがなかったのだ。彼が私の残業に付き合うようになって何日たっていただろう。きっと一週間程度だ。もっと長い意識があるのは私の妄想であり、願望だった。
「思っていたより、落ち着いているんだな」
 椎名はこちらから目をそらして独白のように呟くと、私を向い側の席でなく、隣の席に座るように指示した。私は立ったまま「このままで結構です」と断る。どんなに睦言を交わしたところで、目の前の男は私の上司であることには変わりがなかった。
「いずれこうなる予感はしていたんです」
 私はうすうす気づいていたが、それを勝手に誤解をしていた。彼の一言が私の目を覆い、耳を塞ぎ、ありえない願望を幻としてみせていた。私は今更ながら自分に呆れ、失望した。
「篠塚と酒見はどうなります」
 私が二人のことを口に出すと、椎名は再びこちらを見上げた。瞳から何かを引き出そうとするのは無意味だと分かっていても、私は彼から目をそらせなかった。
「あの二人は配置換えだ。篠塚に関しては、本社へ戻ることになるだろう。酒見についてはこちらの采配だ。これから検討する」

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