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蝉の鳴く日

五日目。

「眠れないのか?」
「ああ、眠れない」
 男は答えた。その声は高揚していた。
「今日は興奮しているな」
「分かるか?」
「分かるさ」
 上の兵士は呆れながら言ったが、妙な予感がしていた。この戦場で興奮するような自体などそうそうないことは分かりきったことだった。
「実は、屍姦を試してみたんだ」
 その台詞に上の兵士は一瞬絶句したが、冷静を装って尋ねた。「どうだった?」
「女というものは必要不可欠だというのが分かったよ」
 男は応える。
「利口になったな」
「ああ。・・・今度は生け捕りにする」

六日目。

 雨が降っていた。周りの兵士達のいびきが耳を刺激し、男は眠れなかった。否、それ以上に気になっていたのは静か過ぎる上の住人なのだった。
 上のベッドには確かに気配が存在したが、いつもの声は耳に届かなかった。
 男は寝返りを打つ。上の兵士の動きに集中する。寝返りの数、ひゅうひゅうと漏れる呼吸音に。
 目がいつになく冴えていた。

七日目。

「起きているか?」
 男が上の兵士に声を掛ける。
「ああ、起きているよ」
 ひゅう、と一つ呼吸が鳴った。
「怖くて眠れないんだ」
「なぜ?」
 上の兵士は問う。
「君が昨日話しかけてくれなかったからさ。死んだかと思ってね」
 否、本当は死んでいたなんて思わない。   
 知っている、上の兵士はずっと起きていた。己と一緒で相手の呼吸に神経を集中して、寝返りの数を数え、生きていることを確認し続けていた。そうじゃなければ狂いそうだった。けれど、また今。
「なぜ黙るんだ?」
 男は沈黙を繰り返している上の兵士に、苛々とした声を出す。
「寝ろよ」
 突き放した静かな声が返って来た。それは冷たく、まるで、真っ黒い穴が開いた死体に向けられているようで。
「できないんだ」
「じゃあ、口を閉じてろ」
「できない」
「なぜ?」
 男はついに悲鳴を上げた。
「君に嫌われたくない」
「そうか」
「そうさ」
「・・・俺は女を犯す奴は嫌いだ」

八日目。

 目を覚ますと、眩しい太陽の下、草原に寝転がっていた。青臭い緑の香り、肌を撫でる風。
 上体を起こすと、遠くの方で虫取り網を持った子供が自分を呼んでいる。
 耳にはつんざくような蝉の鳴き声が響いていた。
 どこか懐かしい風景。けれども何か違う。
「これは嘘だな」
 その呟きとともにに闇に戻る。
 遠くの方で爆撃音が聞こえた。
「起きたのかい?」
 下から声がした。
「ああ」
 上の兵士は応える。
「眠っていたろう?」
「少しね」
「どうして起きたんだ?」
「嘘だったからさ」
「嘘?」
「平和がね」

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