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「ほんっと。信っじられないよねー」 くすくすと笑う声。 開け放った窓からは、風と一緒に光と真っ白なカーテンがふわりと揺れて入ってくる。 お気に入りの居場所になったらしい揺り椅子に座った麻衣は、真っ白なベッドに腰掛けた漆黒の青年に視線を向けた。笑みを含んだ琥珀色の瞳は、いたずらっぽく生気に満ちてきらめく。 視界の後ろでは、新しく今朝剪ったばかりの可憐なピンクのバラが、花びらを光に透かして揺れている。 「あたしが来てからもう五日!最初の日と今日を入れなくても、まる三日もいたのに、二人で話すの初めてなんて」 実際、麻衣の言う通りだったから、反論の余地はないし言い訳をするつもりもない。ただ、黙って聞いているのはどこか気に障ったから、漆黒の青年は憮然と唇を開いた。 「…………最初の日はルエラがお前を独占していただろう。あとは、僕が帰ったらお前は寝ていたんだから不可抗力だと思うが」 「だって疲れたんだもん」 麻衣はちいさく肩をすくめて、答える。 エアチケットをまどかが出している以上、SPRの研究室に顔を出さないわけにはいかなかった。そうでなくても奨学金を貰っている身の上では、捕まるお偉方には挨拶はしておいた方が良いに決まっている。今回はナルは大学の方に詰めていたから、麻衣は単独行動で───つまり、防波堤がなかった。 「みんなもう遠慮会釈なく質問してくるし。………英語、だいぶ慣れたけどまだ駄目だー……」 「それはお前の課題だな」 「わかってます」 さらりと返されて、今度は麻衣が憮然と答える。 「でもさ。ナルが異常に帰り遅かったのだって事実じゃんか。あれでも一応待ってたんだよあたし」 「研究発表を控えているもので」 やはりさらりと返ってきた言葉には、奥にほんのわずか、不本意という色が宿っていた。聡くそれを関知した麻衣はくすりと笑う。 自分を構わないことでルエラにナルが責められているのは知っていたし、そうでなくても最初から本当に咎める気なんてどこにもなかった。 「年貢のおさめどきっていうんだよそういうの。………まあ、仕方ないよね」 「お互いにな」 「まったくだよね」 はあ、とためいきをついて、麻衣は勢いをつけて椅子から立ち上がった。揺り椅子が大きく揺れたが、それは振り向かず、そのまますとんとナルの隣に座る。 「まあいいや。…あのね、ルエラに聞いたんだけど。ここ、ナルがあたしの好みのこと言ってくれたって本当?」 「…………ルエラが最初に考えた通りだったら、カーテンもファブリックもピンクのバラ柄、このベッドにもカーテンがついていただろうな」 「天蓋?」 「そう。………柱をみればわかるだろう」 麻衣に与えられたベッドは、年代物の四柱ベッドだ。 「…………たまには憧れるけど、自分の部屋、にはちょっと違うよね………」 「この家で、ルエラが知っている限り、娘がいたことはないらしいからな。マーティンにも兄弟はいないし」 「そっか」 「ルエラは娘も欲しかったらしいから。……………多少は、つきあってくれ」 「ナルってルエラには優しいよね」 麻衣はちいさく笑って、漆黒の瞳を真下から覗き込む。さらりとこぼれた髪が、ナルの腕を滑って落ちた。 「でも、ここのこと、考えてくれてありがとう。真っ白で、明るくて好き。それに、マーティンのお母様が使ってたっていう家具も、すごくすてき。こういうの憧れだったかもしれない」 「そう」 「ナルが言ってくれたんでしょ?このままでいいって」 「新調する必要はないと言っただけだ」 「うん」 淡々とした声に、トーンの高いやわらかな響きが応える。 「それでいいの。………ルエラって、お茶に呼ぶって言ってたよね?」 「そう」 「本式アフタヌーンティーをするのよって張り切ってたけど」 「僕のためというよりは、どちらかといえば麻衣のためだろうな」 苦笑した彼は、かなり無理な体勢で自分を見上げたままの彼女の背に腕を差し入れて、華奢な身体を支えた。そのまま、肩を抱くように引き寄せる。 「だってナル、パーティー嫌いでしょ?開いてもいいのにって嘆いてたよ?」 抱き寄せられるのに身を任せたまま、麻衣はくすりと笑った。 「それは遠慮する」 「だからあたしにかこつけてティーパーティーなんだと思うけどな」 ぬくもりが近くなっても、吐息が触れるほどちかく、深い瞳が見つめても、声のトーンはどちらも穏やかなまま変わらない。 「時間、もう少しだよね?」 「そうだな」 淡々とした答えを聞いてから、麻衣は手を伸ばして、白皙の頬に指先で触れた。 「麻衣?」 「ちょっとだけ」 一瞬で、トーンが変わる。 密やかに、囁くように。 けれど感情を極限まで抑制した、切ない声音。 白い指先が、冷たい頬から唇に触れて、強く視線が絡む。 冷たい漆黒の髪に触れれば、絹糸よりやわらかく手のひらを滑っていく。 風をはらんでふわりと膨らんだレースのカーテンが、一瞬だけ麻衣の顔に深い陰翳を落として、風と光がその翳りを払拭した。 唇が、誘われるように降りてきて、瞼におちて、そこから頬に滑る。 「ナル」 呼んだ声を封じるように、ゆっくりと、唇が重なる。 触れるだけの淡いくちづけはすぐ解けて、麻衣はナルの腕の中から滑り抜けた。 「下に行く前に、誕生日プレゼント渡したいんだけど、いい?」 「………ジーンにも渡すんじゃないのか?」 「それは、あとでお花買っていくからいいの。ちゃんとつきあってよね」 「約束だからな」 「OK。それと、ナルのは別。ちょっと待って」 机の上に置いてあったハンドバッグから小さなガラスの瓶を取り出した麻衣は、それを持って戻ってきた。透明な瓶の中で、濃い赤の液体が揺れている。疑問を口にしようとしたナルの意志さえ封じるような琥珀色の瞳は強く彼を見据えて、彼女は小さな瓶の蓋をあけて中身を口に含む。瓶の蓋を閉めてベッドに転がして。 麻衣は半ば強引にナルの唇に唇を重ねた。 口移しに、深紅の液体が麻衣からナルへ伝わる。 唇の端からひとしずく、血のような液体が頬を伝った。 ナルが飲み込んだのを確認してから、ふわりと麻衣が身体を離す。それを閉じこめるように、腕が伸びて華奢な身体を捕らえた。 「………………麻衣」 「なに?」 「なんだこれは」 「飲んで分からなかった?」 「赤ワインだろう」 「そうだよ。…………綾子にちょっとだけ分けて貰った赤ワインを、ジョンに頼んで聖別して貰ったの。お守り渡しても、つけてくれないでしょ」 つまりこれは、問答無用で中から「護符」を入れるということらしい。 「…………昼間からやることじゃないな」 「どうして?護符なんだよ?」 ナルの台詞には鮮やかな笑みが返って、するりと身を翻して麻衣はナルの腕から抜け出した。 「ナル。お墓参りの花。買うより、お庭のバラを貰っていった方が良いかな」 「……………ルエラに聞け」 「そうする」 「もちろんつき合ってくれるよね?」 「しつこい。………ところで、瓶の中身はまだあるようだが?」 「一応、これ上等のワインらしいから、そのままナルにあげるけど?」 「これは、『護符』としての麻衣からのプレゼントなんだろう?」 「…………そうだけど」 一瞬の躊躇をおいて用心深く答えた彼女に、彼は妍麗な美貌に滅多にないほど綺麗な笑みを浮かべて、ことばを継いだ。 「『キス』も、守りの一種なのは知っているな?」 「…………………昼間からやることじゃないって言ったのはナルでしょ」 白い貌がさっと淡く上気する。 それをいっそ楽しげなほどの笑みで見やって、ナルは応えた。 「そう。………だから」 すらりとした身体が立ち上がる。 「夜に来る」 一瞬だけ、低い声で囁いて。 ナルはそのまま扉に向かった。 「そろそろ時間だと思うが」 「………………………………………………………」 凍結したように固まった麻衣は、数瞬で溜息をついて生き返って。 漆黒の瞳を見上げる。 「ナルの馬鹿」 「なんとでも」 いっそ淡々と答えた彼は、一言だけ付け加えて扉を開いた。 「この三日、好きであんな時間に帰っていたわけじゃないからな」 研究室で、頭脳とは乖離していく想いに振り回されたのは、腹が立つことに事実だから。 この程度は許されるだろうと思う。 彼女は、あと二日ほどで、また手の届かないところに戻るから。 「…………明日と明後日も、遅くなるわけ?」 「不明」 一言で答えて、扉口で麻衣が追いつくのを待ってから、ナルは部屋を出て歩き出した。 追いかけてくる軽い足音を聞きながら、目を伏せる。 数日前は、聞こえなかったのが当たり前だった声と足音。 それなのに。 心に馴染んで、またなくなることを想像することができない───無意識にそれを拒む、気配。 ナルは軽い溜息をついて、今は何も考えずに、養父母の待つサンルームに向かうことを優先した。 溢れる光と風と、ふたりの穏やかな笑顔が待っていることを、考える。 祝福と、聖なる守護を運んできた白い少女が、後ろから駆けてくる。彼女はそこで、窓辺で揺れていたレースのカーテンのように、光を孕んだ笑いを響かせるだろう。 (いらないおまけ〜。笑) 石の墓石に、ルエラの花園から摘んできた両腕いっぱいのバラをおいた。 白がいいのじゃないのと言われたけれど、色とりどりの。 花びらが、白い石に散って、奇妙に美しい。 「キレイだよね」 笑って、麻衣はポケットから小さな紙袋を取り出した。隣に立つナルをちらりと見上げて、中から出した銀の十字架を、花束の横に置く。 「クロス?」 「うん。銀の。ジョンにね」 「聖別してもらったのか」 「うん」 にこりとわらった少女に、ナルは皮肉な笑みを浮かべる。 「得意の幽体離脱で直接渡した方が早いんじゃないのか?」 「…………………」 思わず目をまたたいた麻衣は、笑顔を閃かせて、いいの、と言葉を返す。 「きっとここまで取りに来てくれるし。そのほうがいいの」 「何故」 「ここにはナルと一緒に来たから♪」 「意味不明だな」 「ナルはそれでいーの。…………じゃあね、ジーン」 にこりと笑って、意味ありげに隣を見上げて。 跪いて、墓石の名前にキスをする。────はっきりと、親愛の。 麻衣は思い切りよく立ち上がると、傍らを見上げて腕をとった。 「さ、かえろ♪」 「…………」 動揺など見せることは皆無に等しい漆黒の美貌の青年が、はっきりと、目を瞠っている。 麻衣はくすりと笑って、華奢な身体を翻す。 軽い足取りの白い少女のあとを、一拍おいてから、漆黒の影が追った。 |
2004年博士誕生日企画からの転載です。当初予定はなかったのですが、たくさんのリクエストありがとうございました(笑) white、というのはそのまま、「白」、純潔、無垢、聖なるものの表象です。無意識とか直観とか、平和。そんな意味もありますが、太女神の表象だったりするので侮れません(笑) ちなみに、「神父が聖別した赤ワイン」は「キリストの血」を表します。同時に、「赤ワイン」はそのまま血のイメージを持ちますし、キスにもいろいろとイメージがあります。銀は聖なるものですし、薔薇は愛(愛も色々v)の象徴ですねー。(笑)そのへん複層的になっておりますので(←迷惑な趣味。)お好みのイメージでお読みくださいませv なお、ナルが言っているこの日の「夜」の話のリクエストを非常にたくさん頂きましたので、短いですが書きました。このページのどっかから行けます(笑)たいして難しい隠しリンクではありませんし、内容も、あくまで「white」です(笑)
2004年9月19日 誕生日企画でHP初掲載
2004年10月26日 加筆、再掲載 |
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