† 第三章・神託と月の影 †

 夢を見たのだ、と思う。
 今までだって、よくあった事だと思う。
 ――それなのに。
 何故、こんなに胸騒ぎがするのだろう?
 何故、こんな場所にいるのだろう?


 ――でもそんな事は、今頃考えてもどうしようも無い事な訳で。


 そんな結論が出て、彼は大きくため息をついた。
 家を出てくる前に、もっとちゃんと考えておくべきだったのだと、今更ながらに考え、またため息をつく。そうしていれば、今こうしてこんな面倒に巻き込まれないで済んだのかもしれない。
 そんな事をごちゃごちゃと考えながら隣を見る。カウンタの隣の席には何やら少々ぽ〜っとした感じの青年が座っていた。モスグリーンの髪の毛に巻いている、これでもかという程派手な黄色のバンダナが目立っていた。黙々と少し遅めの昼食に勤しんでいるその青年は、彼の視線に気がついたのかフォークを動かす手を止め、にっこりと笑ってみせる。その笑みにつられてぎこちなく笑ってみたりしながら彼――コハクは今度は心の中でため息をついた。
 ここは、フィリルアー最大の港町、キール。フィリルアーと季球りきゅうを結ぶ玄関口だ。ゆえに、様々な人種職種の人間がここには集まってくる。
 コハクもフィリルアーの人間ではない。彼のフルネームは真光寺琥珀しんこうじこはく。彼はつい最近、季球からフィリルアーへ渡ってきたのだ。そして彼が季球の人間であるという事は、彼の纏っている白い衣装のお陰で一目でそうと分かる。季球の衣装はフィリルアーとは違い、一様に四角く裁った布を縫い合わせて作ったもので、それを胸の前で合わせ、帯で止めて着るようになっており、ゆとりのある構造のその衣服は、コハクが季球から来たのだという事を何よりも雄弁に物語っていた。
 ……こんな事、してる場合じゃ無いんだけどな……。
 そう思いながら、彼はもう一度隣に座る青年、ノース=フリップの方を見てため息をついた。


 そしてもう一人、ため息を止められない人物がいる。


 キールについてから三軒目の宿屋の出入り口を出て、リーフは空を仰いでため息をついた。自分の憂鬱な気分とは裏腹に恐ろしいほど綺麗な快晴である。真っ青なその空を見上げて、彼は少々腹が立ってくる気持ちさえ覚えた。
「なんじゃ。またダメじゃったのか?」
 下から、時代錯誤な言葉遣いの台詞が聞こえる。今し方リーフが閉めたドアの横で、フィリエラがちょこんとしゃがみ、彼を見上げていた。
「やっぱり、来てないってさ」
「じゃから言ったじゃろう?お主の両親はここにはいないと」
 相変わらず自信たっぷりに言い、彼女は立ち上がった。ぱんぱんと服についたゴミをほろい、「して、これからどうするのじゃ?」と彼に問う。
「とりあえず、残りの宿屋を当たってみるよ〜。……どうせいないだろうけど」
 最後の方は自分に言い聞かせるような口調であり、彼が本当に期待はしていないのだという事が容易に分かる。ただ、いないと100%確信する事が出来ないから、一応当たっとこうというところなのだろう。
 次の宿に向かって歩き出したリーフについて歩きながら、フィリエラはさして面白くも無さそうな口調と表情で、また質問をした。
「どうせ、いない?そう思っておるのに、何故律儀に当たってみるのかのぅ?」
 それは、答えを求めた言葉というよりは、心から不思議だと思ってつい口に出してしまったような台詞だった。だから厳密には、質問とは言わないのかもしれない。
「さぁ?……可能性ってやつじゃない?」
「……ふむ。なるほどのぅ。お主達は自分の目で見たものしか、信用出来ないように出来ておるようだからの」
 それは、慎重で良い事ではあるが、時にはそうじゃ無い時もあるんじゃがの、と呟いた言葉は、リーフには届かなかった。
 自分の目でしっかりと見てしまった現実と。
 もう見ることは出来ない想い出と。
 時が来たら、自分はどちらを信用するのだろうか――?
「……で?両親が見つからなかった時は、どうするつもりじゃ?」
「……結社を、探すよ」
 いつものほほんとしているリーフが固い決意を込めた短い言葉で答える。
 最初は、キールが自分の旅の終わりだと思っていた。
 両親が自分より先にここに着いているなどという事は、世界が引っ繰り返ってもないだろうとは予想済みだったから、そのままキールで両親が到着するのを待とうと思っていたのである。神話クラスの方向オンチである彼の両親だが、別大陸(例えそれがあのファーランドだとしても)に渡ろうとして家を出たのなら、最大の港町であるここ、キールを目指さないはずが無い。いつ立ち寄るかは本当に謎であるのだけれど、会うまで待ち、
 ――アカデミーに、ステラのいるイスライアに戻るはずだった。
 だけど、今は。
 戻れない。
 このままじゃ、帰れない。
『壊す事は簡単でも、直すことは難しいから』
 例え、その通りだとしても。
 直そうと努力する事は、決して悪い事じゃないはずだから。
 手を固く握り締めて黙々と歩くリーフを見上げ、フィリエラはやれやれと首を横に振った。
「お主が十字架軍団を探したいのはよぉ〜っく分かったが、どうやって探す気じゃ?心当たりなんぞ、無いのじゃろう?」
「探す必要なんて、本当は無いよ。向こうから、来てくれるみたいだから」
 彼は、気付いていなかった。フィリエラが正にその答えを欲して質問をしたのだという事に。
 彼女は、そうじゃな、と低く返し。
「じゃがの、一つ間違いがある。奴等の狙いはお主ではない」
「――え?」
 いつの間にか、彼らの周りには人がいなくなっていた。不自然な程、周りは静まり返っている。
「今の、奴等の狙いは、わらわじゃ」
 そう言ってフィリエラはリーフを思いっきり突き飛ばした。


「――わっ!」
 思わず尻餅をつく。小柄な少女の何処にそんな力があったのか。もちろん、リーフが突き飛ばされるなんて全く予期していなかったという事実も手伝ってはいるだろう。
 彼を突き飛ばしておいて、フィリエラは両手で小さく印を結ぶ。たったそれだけの動作をしただけだが、リーフには彼女の前の空気がふわんとたわんだように見えた。まるで、そこに透明な薄い幕でも張ってあるかのように。
 次の瞬間。
 どがががががっと重たい音がして、人一人分程もある巨大な氷柱が辺り一面に降り注いだ――
 ……のだが。
 ふうわりと、また空気がたわむ。だが今度は、フィリエラの正面だけではなく、彼女とリーフを中心にして円形にたわんで巨大な氷柱を押さえ込んでいた。見えない幕に包まれたような、そんな感覚。まるで、シャボン玉の中に入ったらこんな感じかとリーフは思う。
 ほわんと波紋が氷柱の衝突した場所場所で起こり、押さえ込まれて力を失った氷柱はたちまち小さくなって消えていく。少女の発生させたシールドは、中の者を守るだけではなく、そこに衝突した魔法の力を失わせる効果も持っているらしい。
 波紋が消え去るのを待って、リーフはようやっと立ち上がった。周りを見回し、シールドに当たらなかった氷柱が地面に突き刺さっているのを見て小さく息を呑む。そしてこれだけ派手に異常気象が起きたというのに、誰も見に来ないというのは不自然だと、今更ながらに気が付いた。
「……全く持って面倒じゃ」
 忌々しそうに呟くフィリエラ。舌打ち混じりの彼女の声に普段聞き慣れない響きを聞いて取る事ができ、リーフは一瞬聞き間違いかと耳を疑った。
 ――それは、焦りと恐れ。
 いつも無駄だと思えるほど自信過剰な彼女の口から、そのような感情のこもった言葉が発せられるとは瞬時には理解出来なかった。それだけ、彼が感じ取った感情がはっきりと先程の呟きに表れていたのである。
「……何をしておる」
 びっくりしてフィリエラの横顔を見つめていたリーフは、その言葉で我に返った。今の言葉にはさっきのような感情はこもっていないように感じた。だからと言って、いつも通り自信たっぷり、というわけでもなかったが。
「な、何って……」
「お主は、瞬間移動テレポートが使えるか?」
「……は?」
 リーフの台詞に被せるようにして言った彼女の言葉に彼は目を丸くする。
「……使えない事も、無いけど……」
「それなら、早くここから脱出する事じゃ。相手が本気にならないうちにな」
 ……人払いの結界が張ってある、と彼女は低く言った。
「おそらく、さっきの宿の辺りからじゃろう。この辺り一面に張っておる。これだけデカイ結界を張るとなると、相手の人数も実力も、相当なもんじゃろうな」
 面倒じゃ、と彼女はもう一度呟き、辺りを見回した。
「敵はわらわのシールドの効果が消えるのを待っておるのじゃよ。全く、こんなに早く相手から仕掛けてくるとは予想外だったわ」
 彼女の言葉にちくりとトゲがあったような気がして、リーフはふっと目線を地面に逸らした。
 あの時、ステラを逃がさなければ。
 どう考えても、彼らにフィリエラ達の事が知れたのは、彼女が報告したからだろう。リーフの事は最初から知っていたようだったが、少なくとも彼女達の方はそんな雰囲気は無かったのだから。
 もっとも、自分がそんな組織に狙われるような事をした覚えもないし、フィリエラにしたって彼女の事を何も聞かされていないリーフにとっては、何故狙われるのかがよく分かっていなかったりするのだが。
「お主、さっきわらわが言った事を聞いていなかったのか?早く脱出しろと言ったじゃろう」
 完全に苛立ちの混じった口調だった。両手は印を結んだままで、額にはうっすらと汗が浮んでいる。
「だって……。俺の能力じゃ二人も移動出来ないよ……!」
「誰が二人だと言ったのじゃ。わらわはお主に逃げろと言っておるのじゃよ」
「そんな……そんな事出来ないよ!フィリエラ一人だけ残していくなんて……!」
 ありがた迷惑じゃな、とフィリエラはぼそりと言った。
「分からないようじゃから教えてやるが、お主、邪魔なのじゃよ」
「――っ!!」
「お主の分、余計にシールドを広げているから、結界をぶち壊す事が出来んのじゃ。当たり前じゃが、その分疲れるのも早いしな」
 冷たく言い放った彼女に対し、返す言葉を失ってリーフは立ち尽くした。そんな彼をちらりと横目で見て、とうとう痺れを切らしたかのように怒鳴る。
「邪魔だと言っておるのが分からんのか!もしもわらわのために何かをしたいのなら、早くここから消える事じゃ!お主がいるお陰で何も出来んままというのは癪だからのう!!」
『宝珠さえ、あれば』
 それは、少女が自分でも意識しないうちにリーフへと送っていたテレパシーだった。いや、テレパシーというよりは、その思いが強すぎて勝手にリーフの頭の中へと届いてしまったという方が近い。その感覚は、ボールドウィン家の屋敷で経験したものとよく似ていた。
 思いが強すぎるがために。
 テレパス能力を持つ者が、その能力を使わずとも思いを受信してしまう。
 少女が宝珠無しでこれだけのシールドを発生させたと言う事実も驚きだったが、今はそんな事に驚いているひまは無いと、ようやっと彼は理解した。
 今自分が、するべき事は。
 宝珠が無いなら、持ってきてあげれば良い。
 そう単純に結論を出し、彼はその結論を彼女に伝えた。フィリエラは一瞬眉を寄せたが、何か納得したように頷き小さく笑みをこぼす。
 いつも通りの、自信に満ちた笑みだった。
 ……でも、本当は。
 リーフが能力を使うために集中を始める。近場の物を移動させたり宙に浮いたりするぐらいの能力ならば彼の得意とするところだったので集中もあって無いようなものなのだが、瞬間移動となるとそうはいかない。目的となる場所のイメージを正確に思い浮かべて実行しなければ、最悪の場合何処にも転送されず、この世界から消滅してしまう可能性もあるのである。
 ふわりと身体が地から離れる感触。
 上手く、行きそうだ。
 目的地は、彼らが借りている宿屋の部屋。
 ――きっとすぐ、戻ってくるから。
 それまでどうか、持ちこたえて。
 ふわっと現実から切り離される感覚を味わいながら、リーフは集中するために閉じていた目を開ける。
「……っ!!」
 開けた彼の視界に飛び込んできたのは、術に集中しているフィリエラと、空から降ってくる氷柱の雨――
 ……第二撃っ!?
「……フィ――!!」
 彼女の名前を叫ぼうとした。だがそれは、もう発動させてしまった瞬間移動と降ってきた氷柱に阻まれて最後まで言う事が出来なかった。
「……ぁツっ!」
 右腕に走った痛みを合図にしたかのように、今まで立っていた通りが遠くなる感覚がやってくる。ふわりと身体が持ち上がるような感覚は、瞬間移動の発動が成功した事を示していた。あとは、目標地につく事が出来るかどうか、である。
 どんどんと小さくなっていく視界の中で、彼がその場所で最後に見る事が出来たのは、今まで立っていた場所に巨大な氷柱の雨が降り注ぐ光景だった。それを目の端に捕らえたと思った時、彼の目の前にはもう別の場所が、広がっていたのだから。

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