キィ、と扉が軋む音。
 何となく入りづらそうにしているティルに変わり、コハクが先に立って店の中に入る。彼の白い法衣とこのうらびれた酒場という組み合わせは、どっからどう見てもミスマッチだった。彼に続き、ティルも渋々店内に足を踏み入れる。
「……あ。消えた」
「おや、本当ですねぇ」
 店の中に入った途端、今まで眩しいぐらいに白い光を放っていたナイフがふっと元に戻った。先程からこの光に照らされていた所為か、周りが妙に薄暗く感じられる。
「光が消えたって事は、やっぱりここで当ってるって事なのかな」
「そうかもしれませんね」
 半ば上の空で答えながら、コハクは店内を見回した。ティルも口を閉ざして店内を見回し、やがて二人はきょとんと顔を見合わせ首を捻る。何処をどう見ても、この店の中に誰か人がいるような様子は全く感じられなかったからだ。シーフギルドの入り口だと言う店に、誰もいないと言うのはあまり普通では考えられない事だった。
「とりあえず、もうちょっと調べてみましょうか」
 言っておいて、ティルの答えを待ってはいない。コハクはさっさとカウンターの中に入り、慣れた手つきでグラス棚や床下などを調べ始める。何だかいつも自分がやっている事を先に始められて、自分のポジションを取られたような気分になり掛けているティルだった。茶色い尻尾が、ぱたんぱたんとゆっくり左右に揺れている。
 しかし、ただ見ているだけというのも癪に障るので、カウンター横のちょうど入り口とは反対に当たる壁を触って調べてみる事にした。コハクは相変わらずカウンターの中を触ったり擦ったりして何かを探している様子だが、いかんせんゆったりとした法衣の袂を押さえながらの作業なので、あまりスピーディとは言えない。彼が持ち歩いている六尺棒も動きを妨げる原因になるようで、今はカウンターに立てかけてあった。
 そんな彼を横目で見ながら、ティルは慎重にカウンター横の壁を調べ始める。彼の記憶が正しければ、大抵の酒場にあるシーフギルドでは、カウンター脇辺りにギルドへの入り口が隠されている事が多かったからだ。大体、ギルドに入るには自分がギルドの一員であるという会員証を見せなければならないのだし、一応ギルド員は、裏世界に関わるような事はやっていない”はず”なのであるから、本来ならば入り口を隠す必要も無いはずなのである。案の定、キールのギルドの入り口も例に漏れず、カウンター脇にあるのをティルはすぐに見つける事が出来た。
「入り口なら、あったよ」
 鍵も掛かってない、と言い、ティルは隠し扉を開けた。中を覗き込み、彼はまた首を捻る。
「……ここにも、誰もいない?」
 ティルが覗き込んだギルド内部に繋がる下り階段の中にも、人がいる気配は感じられない。とりあえず、扉を開けたままにして、まだ何かを探している様子のコハクの元へと向かう。
「どうする?みんな呼んで来ようか?」
「そうですねぇ……。中に誰もいないのですから、呼んで来ても同じじゃないですか?」
 相変わらず袂を押さえた、動きづらそうな格好で何かを探しながらの答え。こちらを見る気配の無いコハクから目を逸らし、窓の外を見たらエルゥが長い首を伸ばして中を覗きこんでいるのと目が合った。もし、中に人がいたならまず完璧に怪しまれるだろう行動にと、ティルは小さく首を振る。ただでさえ、目立つ容姿をしてるってのに。
 ティルがそんな事を考えているとは露知らず、エルゥはしきりに中と自分を交互に指差していた。そんなエルゥに、入って来いと手招きをする。すると、どうやら外で待っている事に飽き飽きしていたらしく、彼はすぐに店内に飛び込んで来た。
「何や、ティルー。何かおもろいモンあったんか?」
 わくわくとした期待を含んだ声だった。状況判断が出来ない方では無いのに、何か面白そうな事があるとどんな状況に置かれていてもすぐにそれを楽しむ事が出来るというのは、ある意味彼の特技とも言えるだろう。
「エルゥ、よっぽどヒマだった?」
「あったり前や。ヒマでヒマでとろけそうやったで。どうせ誰もいないんやったらすぐに呼んでくれても良かったやんか」
「エルゥさん、ずぅぅぅぅっと何かぶつぶつ言ってましたよねぇ?見てるこっちは飽きなかったですよー」
「うっさいわ、リーフ。みんなヒマやろなーと思うてやっとったパフォーマンスやんか。退屈せぇへんかったんならごちゃごちゃ言わんといてや」
「あ、信じなくて良いよ。ホントにヒマだっただけだから」
「分かってますよー」
 苦笑を浮かべるティルに、にっこり笑って返すリーフ。それを見て、エルゥは自慢の尾羽をぴんと立てた。
「ふん、どいつもこいつもー。そう思うんなら思っとったらええわ。全く、わいの細やかな心遣いに気付かんとは鈍感な奴らやなぁ」
「はいはい。じゃあそういう事にしときましょ」
「かーっ!気に食わんなぁ、その投げ遣りな言い方!!今度からはもうみーんな一緒にヒマを味わってもらう事に決めたでー!!覚悟しときや」
「……お取り込み中、悪いんだけど」
 延々と続きそうなエルゥの言葉を遮ったのは、半ば呆れたような調子のリリィの声。彼女とノースは先程ティルが見つけた隠し扉から繋がる階段を覗き込んでいた。
「ギルドって、この中よね?」
「……そうだと、思うけど」
 自信無さそうに答え、何処を見ているのか静かに店内に佇むべオを見やる。ティルの答えを否定しないという事は、間違っていない、という事なのだろうか。
 ここがシーフギルドだと言ったのは、べオである。その事実を知っていた、という事は、何らかの方法でここに入った事があるからに違いない。あまり積極的に話をする方では決して無いし、まして自分に関する話をする事も全く無い。だが彼は、ふざけた事を言って回りを困らせた事もまた、無かった。そんなべオが、わざわざこの場面で嘘を言うわけも無い。
 ……普通に考えたなら。
 だけど、ここで言う普通って、何だ?
 ――俺は、ちょっと他人を信じられなくなってるのかな。
 あの時――イリーズに、記憶を見せてもらったから?
 俺を犬にしたのが、おっちゃんかもしれないと、そう思ったから?
 そう考えて、少し寂しくなった。
 あの場面を見たいと望んだのは自分のはずだ。他の誰でも無い。
 自分が元からイグナーダだったのか、それとも人間だったのか。それはまだどちらとも自分では言い切ってしまいたくは無い。フィリエラの言葉一つで、ああ、そうだったんですか、と納得する事は、彼には出来なかった。自分で確かめるまでは、どちらとも言えない。フィリエラの言葉も、イリーズの見せてくれた記憶も、鵜呑みに出来るほど彼は素直では無かった。
「……俺、中を見てくるよ。中がどうなってるのか分からないし、何かが起こってるのかもしれないし。それが何も分からないまま、この大人数で中に入るのは危険だろ?」
 そんな、もやもやした気持ちが言わせた言葉なのかもしれなかった。早くフィリエラを見つけて、早く真実が知りたい。それはそんな、ティルの本心から出た、言葉だったのだろう。
「お、せやったらわいもついてくで。ここに残ってもヒマでしゃぁないからなー」
 ここぞとばかりにエルゥが弾んだ声で言い、ティルを見上げる。が、その表情を見て、彼は続く言葉を飲み込んだ。
 …………?
 何や……?
 彼の隣に立つ褐色の肌のイグナーダは、妙に寂しそうな顔をしていた。ティルがイグナーダになる前までは、いつも一緒にいたエルゥでさえ、見た事の無い表情。
 それは、エルゥに、ティルとの距離を感じさせるもので。
 自分がいなかった時、ティルは何をしていたのだろうと考えさせるもので。
 それらは、エルゥが今まで一度も考えた事も無かったような類のもので。
 だから、彼は言葉を続ける事が出来なかった。
 ティルがそんな表情を見せたのはほんの一瞬で、彼がエルゥの方を向いて首を横に振ったときにはもうその顔には浮んでいなかった。多分、その表情を見たのは、エルゥ以外にいなかっただろう。
 見なければ良かったと、そう思った。
「……何でや?」
 ――何で、あんな表情してたんや?
 本当は、そう問い掛けたかった。だがそれは言葉にはされず、酷く曖昧で中途半端な”何で?”という質問だけで途切れてしまう。
 ティルはその質問の意味を、”何故一緒に行けないのか”という意味の質問だと受け取ったようだった。ティルだけではなく、周りにいるリリィやノースも。今の遣り取りから言って、それが妥当といえば妥当な考えになるのだろう。
 ……だから。
 エルゥもその意味で合っているのだと、話を合わせる事にした。
 わざわざ、神妙になりそうな方向に話を持っていくのは、彼の得意とするところではなかったから。
「わいらみぃーんな置いて一人で中調べに行きよる気か?もし、中で何かが起こってたらどないする気や。それに第一、待ってるだけやなんて、わいがヒマでヒマで死ぬかもしれん」
「俺一人の方が、調べやすいんだよ。だって俺には、腕輪があるから」
「……ああ。『透明の腕輪インビジリティ・リング』ね?」
「そういう事」
 リリィがティルの左腕にはまっている腕輪に目を落として言う。それに一言頷いて返し、
「だからさ。俺一人の方がやりやすいんだよ。これで姿を消していけば、誰かがいたとしても見つかる可能性は低いしね」
 『透明の腕輪インビジリティ・リング』。つまりは名前そのままの力を持つ腕輪である。これをはめている者の意思により、姿を消す事が出来るのだ。エルゥは、ティルからこの腕輪は何処かの遺跡で見つけたのだと聞いていた。だが、彼がこれを使用しているところは、まだ見た事が無い。
「ま、すぐ戻ってくるよ。何かあったら知らせるから」
「あ、ちょっと待たんかい!」
 言うとティルは姿を消す事も無く、さっさと階段を降りて行ってしまう。さっきの表情を見てしまったからなのか何なのか、エルゥにはまるでティルがこの場から早く離れたがっているかのように見えてしまった。彼がそんな風に仲間から離れたがる理由があるのか、と問われたらきっと答えられないのだろうけど。
「……何やねんな、ありゃあ」
「……さぁ?でもきっと、ティルには何か考えがあるんじゃないかしら」
 リリィが答えるまでに、微妙な間があった。それを取り繕うかのように、彼女は言葉を重ねる。
「ま、あの腕輪もある事だし。滅多な事にはならないわよ。のんびりと、待ってましょう?」
「そうか?まぁ、リリィちゃんがそう言うんやったら……。そういやリリィちゃん、何であの腕輪の事、知っとったんや?」
「ああ、それはね……」
「これですね」
 言いかけたリリィの台詞は、コハクの声によって遮られた。今まで会話に入らず、何かをずっと探し続けていたコハクは、カウンターの中の床を見つめて難しい顔をしている。
「何がこれ、なの?」
「地下室ですよ。ギルドではなく、店の中のね。店のお酒などを置いておく場所があるんじゃないかと思ったんですが……」
 どうも歯切れが良くない。
「無かったの?」
「いえ、ありましたよ。妙に綺麗に隠してありましたが。ただ……」
「……開けられない。違うか?」
 横から唐突に言葉を挟んだべオにコハクは苦笑して見せた。その笑顔はどんな言葉よりも明白に、べオの言う通りだと如実に語っている。
「これ、誰かが『キー・ロック』の魔法を掛けましたね。術を掛けた術者の力にもよりますが、これは結構面倒ですよ。普通こんな場所、それほど厳重にするものですかね?」
「……つまり、何が言いたいんや」
 ティルが降りて行った階段を見つめたままのエルゥの声は微妙に固い。
「とにかく、開けてみましょうか」
 その質問には答えず、コハクはそう言った。


 階段を下り終わり、自分の右手に視線を落とす。普通ならば目に入るべき右手は、今はティルの目には映らない。今でこそ透明になったまま移動する感覚は覚えたとは言え、そこにあるべき身体が自分にも見えない、というのはどうやっても好きになれるものでは無かった。自分が存在している事はもちろん分かっているのだけれど、それでも目に見えないという事実はやはり自身の存在を不安にさせるものであるのだろう。
 地下に降りて来ても、まだ誰も見当たらない。ギルドの中にすら、人が一人もいなかった。一つ一つ部屋を覗いて回りながら、どう考えてもおかしいこの状況は一体何故なんだろうと一人考えてみる。
 まぁ、何も見つけてないんだから、答えなんて出るわけは無いのだけれど。見つけてないどころか、情報すら持っていないのだから。
 それに気付き、ティルはこの何だか無駄に広い感じのするギルドの中を調べる事に専念する事にした。考える前に情報を集める事。それが、先決だ。
 地下にあるわけだから、もちろん窓などは無い。光源は壁に掛けられた”灯火ライト”の魔法の掛かったランプだけだ。その薄暗い廊下を歩いて次々と部屋の中を覗いて行きながら進む。やはりこのキールのギルドは、ティルがいたウィンデルのギルドよりは格段に広い。一瞬、自分が知らないだけでギルドってのはこれだけ広いものなのかと思ってもみたが、どう考えても地下に部屋が七つは多すぎると考え直した。
 そして、その七つの部屋、全てに人がいる気配は無い。気配も無ければ、何かがあったような痕跡も無い。つまりは、このままでは危険が無いという事は分かったけれど、この状況をどう判断するのか、その判断材料も見つけられなかったという事になる。
 何かがおかしい事は明白なのに。
 何処かに、何処かにこの不自然な状況を説明出来る何かがあるはずだ。
 ――必ず。
 先程、コハクに自分の仕事を取られたような気分になっていたからだろう。彼は意地でも何かを見つけてやろうという気持ちになっていた。
 そんな気持ちが伝わったのだろうか。最後に覗いた行き止まりの部屋で、どうしようかと考えていたティルの耳に、小さな音が響いたような気がした。ティルは周りを見回し、耳をすましてみる。
 もう一度。今度ははっきりと聞こえた。
 何か、ドアを開け閉めするような、小さく擦れた音。
 音の聞こえ方から言って、上の階の音が聞こえてきている、と言った類いのものではない事は、すぐに見当がついた。地下のような壁しか無い場所では、音は反射してあちらこちらに低く響く。今聞こえた音は、その地下独特の音の響き方だ。つまりそれは、このギルド内部にティルの他に生き物がいるという事になる。
 腕輪で姿を消している、という事実がティルを少々大胆にしていたのかもしれない。彼は音がどの部屋から響いているのかを突き止めるため、とりあえず廊下に出て部屋を覗いて回る事にした。いつもならこんな行動は絶対に取らない。少なくとも、その音の届き方から、どの部屋から音が響いているのかぐらいは推測し、もうちょっと慎重に行動するだろう。
 ただ単に部屋を覗いて回るという一番単純な確認方法を取ったため、その部屋はすぐに見つかった。ギルドの中で一番大きな部屋で、位置もちょうど真ん中に位置している。多分、ここがギルドのメインに使われている部屋なんじゃないだろうかと勝手な推測をした部屋だった。
 生き物がいるのだろうという予想に反して、何もいない事には変わりは無い。ただ、その他に大きく違う点が一つあった。
 ――正面の壁の一角に、下り階段の入り口が開いている。
 この広いギルドにまだ、続きがあったわけだ。
 部屋に誰もいない事を再確認し、小走りで隠し階段の入り口へと近寄る。すぐに、内開きの隠し扉に小さな十字架のレリーフがあるのが確認出来た。
 ――銀の十字結社。
 とりあえずは、これで充分だと判断し、ティルは小さくため息をついた。流石にこの階段を一人で降りて行く気にはなれない。ギルドに入って、意外と時間も過ぎている事だし。
 だが、その判断は少々遅かったのかもしれなかった。
 彼が部屋から出ようと回れ右をした時、廊下から入って来た人物がいる。
 男とも女ともはっきり断然出来ない顔立ちをしたその人物は一言、
「そこに誰かいるんだろ?」
 と、正確にティルの方を向いて言った。

≪Old / Next≫