白い闇の十字架。
 黒い光の十字架。
 相反する二つの十字架が重なり合うイメージ。
 ――もう、何度も見た光景だ。
 見る回数が増える度、コハクは焦りを覚える。早く伝えろと急かされているような気分になる。
 自分と姉が受けた神託から導き出した答え。
 本来ならば、姉が伝えるべき答え。
 それは多分……この町で巡りあった人達と関係があるのだろうか。
 そんな事を考えながら、コハクはギルドへの階段を降りて行った。


 宝珠。それは魔法の力を引き出す時に媒介になる物であるとフェリルは認識している。自分はお世話になった事は無いし、本物を見た事も数える程しかない。が、それでも、宝珠の種類は地水火風の四つとそれら全てから力を借りる事が出来る精霊魔法の宝珠、合わせて五つだったはずだとおぼろげながら記憶があった。今、目の前の少女が口にした、”光”と”闇”の宝珠が存在するなど、聞いた事も無い。
 自称”光”の力を持つという自称”終末の聖母ラストマリア”。そんな彼女が宝珠を求めて結社を追いかけているとなると。
「結社……銀の十字結社が、その”光”の宝珠とやらを持っているって事か?」
 半分程、呆れたような声で言ったのにも関わらず、返って来た答えは真剣なものだった。
「じゃから、追いかけていると言ったじゃろう。結社などどうでも良いのじゃ、宝珠さえ戻ってくればな」
 まぁ……、とフィリエラはぼそりと付け加え。
「わらわの宝珠を奪った罪は万死に値するがのぅ。それだけではなく、このわらわの力を利用しようとしよったからに」
「……何が、あったんだよ?」
 控えめにティルが問う。この少女の事だ。こちらから聞いておかなければ、勝手に周りに伝わっていると解釈して何をしていたのか話してはくれないだろう。あれだけ心配かけられたのだし、ここのところははっきりとさせておきたいティルだった。
「簡単な事じゃ。その結社とやらがわらわを必要としていると言うから、ついて行ったまでの事じゃよ。それならそうと、最初から言えば良いのにのぅ」
「ついて、行った?」
 あれだけ、心配したのに。
 リリィやリーフなんて、もうこれ以上無いって程、心配してたのに。
 先程押し込めたはずの怒りが、また舞い戻ってきたようだった。全く、終末の聖母ラストマリアだかなんだか知らないが、この少女の勝手な行動に振り回され続けるのには、いー加減に我慢の限界に達していたところだったから、余計だったのだろう。
「……いーっ加減にしろよっ……。それならそうだって、伝えるぐらい、お前には出来たんだろう……っ?」
 一度押し込めたものを解放してしまうのは、いとも簡単だった。頭の中に勝手に浮んでくる言葉を、何も考えずに彼は次から次へと口にする。
「心配なんて、一瞬の感情でしか無いって、さっきそう言ったよな?最終的には、自分の使命を知って、みんな離れて行くって。ああ、確かにそうだよ、その通りだよ。みんなフィリエラから離れていくだろうさ。だけど、それは、フィリエラが終末の聖母ラストマリアだからなんかじゃない。世界の終わりなんてものが来た時の事じゃない。フィリエラ自身が、そんな風にしか考えられない限り、誰だって離れて行くよ。俺だって、エルゥだって、他のみんなだって!」
 まくし立てながら、少女の目に浮んでいた、深い絶望の色が思い出された。ティルに先程、言葉を押し込めさせた表情が。
 今も少女は、同じような目をしているのだろうか。
「だけど。だけど、リリィは違う。彼女は、違うよ。きっと、何があっても、フィリエラについて行く。それが、自分の使命だって思ってるから。そうする事以外、自分は生きてちゃいけないって思ってるから」
「宝珠を守る、巫女だからじゃろう?その他に、どんな理由があるというのじゃ」
 悟り切った、ある意味冷ややかな、フィリエラの台詞。
「違うっ!!」
 自分でもびっくりしたほど、強い語調でティルはフィリエラの言葉を遮った。
「違うよ」
 ――あたしは何も、出来なかった――
 そう言った時の、リリィの思いつめた表情が目の前をちらちらと過ぎて行く。あの時彼女は、今度も手遅れだったら、と考えていたのかもしれないと、ティルは思う。
「リリィがどうして、フィリエラを心配するか、分かるか?確かに、終末の聖母ラストマリアだから、それもあるよ。確かに、それもあるんだ。だけど、それだけじゃない。それだけじゃないんだ」
 床を見つめて、ぽつりと呟く。フィリエラの顔を正面から見ていたら、また怒鳴りだしそうだったから。
「……命に代えても、君を守る事。それが仲間への、家族への最大の供養になるって、そう思ってるんだよ。フィリエラは、それを知っていたのかい?宝珠が盗まれた事の顛末を、知っていたのかい?」
「何者かに盗まれたと、リリィは言っておったが……」
「その程度しか、知らないんだろう?実際、宝珠が盗まれた時に何があったのか、少しも知りはしないんだ。そして、知ろうともしなかった。フィリエラは、相手が君の宝珠を奪うために、リリィの村を全滅させたなんて事、全く知らなかったんだ」
 咎めるような口調で言ったその時。
「……お客さんだぜ」
 今まで黙っていたフェリルがぼそりとそう言い。
「……ティル……」
 聞こえてきたその声に、ティルははっとして扉の方を向いた。
 フェリルがお客さんと呼んだのは。
 やっと追いついてきたエルゥ達の事だった。


「……遅いわネェ、フェリルちゃん」
 とりあえず物置に身を隠し、退屈そうに自分の髪を指でくるくると弄びながら、エリザが言った。ケインからの返答は「そうだな」といったあまりにも簡単なものだったので、会話自体がそこで止まってしまいそうになり、エリザはもう一度、「遅いわネェ」と呟いた。
「何か、あったんじゃないかしらネェ?様子を見に行った方が、良いんじゃないかしら?」
「まるで、何かあった方が楽しいとでも言いたそうな口ぶりだな」
「アラァ、分かるゥ?」
 楽しそうににっこりと笑い、「そりゃァね」とあっさりと言った。
「アンタが何を言いたいか、当ててみようかしら?多分……『これだけ長く付き合ってれば、誰にだって分かる』って、ところかしらネェ?」
 肩でくすくすと笑い、
「図星?アンタの考えている事も、簡単に分かるわネェ」
 ケインからの返答は、無い。彼は、火の点いていない煙草をくわえながら、物置の扉を細く開け廊下の様子を伺っていた。いつも通り、白衣を纏ったその背中はぴんと緊張していて、他の人間ならば話し掛けようなどとは思わないだろう張り詰めた空気が放たれている。それでも、お構いなしに話し続けられるのは、エリザだから出来る事なのだろう。ケインという男の過去を知る、彼女だからこそ。
「ホントに、長く付き合ってるからネェ。いい加減に、お互いが考えそうな事なんて、お見通しさネ」
 ふっと、ケインの背中から目を逸らし、ぽつりと言った。
「……ネェ。アタシ達、会ってから何年経つかしら?」
 懐かしそうな口調で言った彼女の顔からは、いつもの笑みが消えていた。人をからかうような甘ったるい口調も、なりを潜めている。目を細め、何処か遠くを見るような。フェリルがいる時には一度も見せた事の無い、優しげな表情をしていた。
「さぁ……。十年……は、過ぎたか?」
 振り返らずに答えたケイン。だから、彼にはエリザがどういう表情をしていたのか、知る事は出来なかった。
「十一年。後、一ヶ月でちょうど十一年サ」
「もう、そんなになるか」
 相変わらず、廊下の様子を伺ったまま答えたケイン。台詞とは裏腹に、その言葉はぞんざいで硬い。そんな彼の様子を見て、エリザはケインに気取られないよう、ふっと小さくため息をついた。
「……まだ、忘れられないのかい?」
 それは、彼女自身、意識していなかった台詞だった。気がつくと、言葉だけが勝手に口から飛び出していた。
「アンタが気にやむ事は無いじゃないか。あのコが死ななきゃならなかったのは、アンタの所為じゃ……」
「俺が、殺したんだ」
 小さいが鋭い声で。エリザに皆まで言わせずにケインが言う。そんな彼の様子を見て、一度は口をつぐみかけた彼女だったが、意を決したように頷くと言葉を続けた。
「だけど、アンタの意思じゃ無かった。アンタは、ただ利用されただけじゃないか」
「そうだ。確かに利用されただけだった。だけど結果は?結局、手を下したのは、この俺だ。どんな理由があろうと、彼女を殺したのは俺なんだよ」
「……復讐、かい?」
「そう思うなら、思っても良い」
 ケインの様子は、怖いほど冷静だった。一度もエリザの方を見ず、ずっと前だけを見つめている。その背中に、エリザはまた言葉をぶつけた。
「そうかい。それじゃァ、そう思わせてもらう事にするよ。でもね、有りがちな事を言わせて貰えば、そんな事をしたってあのコは喜ばないサ。それぐらい、アンタだって、分かってるんだろう?」
「……本当に、有りがちだな」
「復讐なんてモンは、結局自己満足の代物でしか無いんだ。遣り遂げたって、誰も喜ばない。自分ですら喜べない。むしろ、また一つ、自分の中に闇を抱え込む事になるんだ。そんなの、虚しいだけじゃないか」
「説教なんて、珍しいな」
 振り返らないケインの言葉が、多少柔らかくなったように感じられた。それを聞いて、エリザもふっと表情を緩める。
「そりゃあ、説教もするさネ。アタシは、あのコから、アンタが無茶をやらないように見張っててくれって言われてるんだヨ?」
 本当は、微妙に違っていたのだけれど。
「だからサ。アンタが何をしようとしてるのかぐらい、把握しておく権利はあるのサ。無茶な事をしようとしたら、すぐに止められるようにネ。そういう訳で、一つ質問があるのサ」
 一体どういう訳なんだか、と苦笑しながら首を傾げたケインに構わず、エリザは言葉を続ける。
「アンタの目的が復讐だってのは、分かったヨ。アンタが銀の十字結社に何か関わりがあるんじゃないかって事も、何となくネ。ただサ、フェリルちゃん。あのコ、何で巻き込んだのサ?まさか本気で、あのコに結社を全滅させようなんて考えてた訳じゃ、無いだろう?」
 エリザの視線が痛いほど背中に突き刺さってくるのを感じながら、ケインはようやっと彼女の方を向いた。それに伴い、背中に突き刺さっていた視線も胸から顔に移動して、彼の視線と正面から絡み合う。
 そうして見たエリザの顔は、今まで見た彼女の顔のどれとも違っていた。とても真摯な眼差しだと、ケインは思う。そしてこれが、彼女本来の顔なのだ、とも。
 そんな彼女の視線を真正面から受け止めながら、ぽつりと答えを返した。
「簡単な事だ。フェリルも、結社と関わりがあるからだよ」


 時が凍りついたようだった。ティルとリリィ、そしてフィリエラと三人、それぞれがそれぞれはっとしたように口をつぐんだ。取り残された形になっているエルゥ達やフェリルも場の空気に押されたように黙っている。息が詰まるような重苦しい空気がこの場を支配していた。
「……何がどうなってて、あんた等は一体何モンなのか、説明してもらいてぇもんだな」
 最初に口を開いたのは、フェリルだった。ぼそりと、そう言い、ティルから順番に冷めた視線を巡らせて行く。べオの所で一瞬視線を止めたように見えたのは、ティルの見間違いだったのか。
「ああ、だけどな、宝珠がどーのって話はもういーぜ。たっぷりと聞いたし、大体、また喧嘩が始まったらいる場がねぇからな」
 ひらひらと手を振り、投げ遣りな口調。腕を組むと近くの壁に背中を預けた。もうどうにでもなってくれと思っているのかもしれない。
「……あのぅっ……」
「ん?」
 小首を傾げ、フェリルの顔をまじまじと凝視しながらそう言ったのは、リーフだった。小柄なハーフエルフの少年は、おずおずと質問をする。
「……何処かで、会った事がありませんか?……えと……」
「フェリル。フェリル=ドゥエイン。さぁ?俺は覚えが無いぜ?」
「そう、ですか……。じゃあ、人違い、かなぁ……」
 首を捻り、呟きながら引き下がったリーフをつんつんと突き、エルゥが話しかけてくる。
「何や?知っとるヤツか?」
「う〜ん……。人違い、だったみたいだよ〜……」
「それにしちゃ、納得いかんって顔しとるで?」
「……ん〜……。俺は絶対、あの人だと、思うんだけどな……。まぁ、俺が見かけただけかもしれないし。でも、何処で見たんだろう……?」
「全く、しっかりしぃや。自分が見た事にぐらい、自信持たんかい」
 苦笑しながらエルゥが背中を叩く。ばんっと盛大な音がして、叩かれたリーフだけじゃなく、気まずい空気の中固まっていたティルやリリィも思わずびくっと首を竦めた。その音と共に止まっていた時間が動き出したかのように、フィリエラが言葉をかける。
「……リリィ。宝珠が盗まれた時、何があったのじゃ?お主、一体何故……」
「いえ。理由など、言い訳にしかなりません。盗まれたのは、事実なんですから」
 フィリエラに台詞を皆まで言わせず、答えを被せたリリィの表情は硬い。一瞬、目の前に立つティルに刺さるような視線を投げつけ、事の成り行きを見守っているコハクに視線を移した。
「そんな事よりフィー様。こちらのコハクさんが、ご用があるという事なのですが」
 唐突に話を振られ、「え?」と自分を指差す。
「しかしまだ、お話は終わっていないのでは……?」
「でも、急ぐのでしょう?神託の内容を告げにわざわざ季球からやって来るぐらいなんですから」
「それは……」
 ……琥珀。貴方にも視えたのでしょう?
 視えたのなら、急いで伝えなくちゃならない事ぐらい、分かるわよね。
 ――伝えるって、誰に……?
 ”終末の聖母ラストマリア”様。
 そんな……いるかどうかすら分からない人物に、どうやって……っ。
 いいえ。聖母様はいらっしゃるわ。いらっしゃらないのなら、私に視えるはずが無いのだから。
 姉はそう、きっぱりと言い切った。姉の見えない目に映るもの。それを疑うわけでは無い。ましてや、自分にだって視えてしまったのだから、疑う余地も無い。リリィが言った通り、だからこそ、自分はフィリルアーに渡って来たのだから。
 それでも、今この瞬間、目の前にした終末の聖母ラストマリアとは、自分が勝手に思い描いていた人物像とはかけ離れたもので、本当にこの少女に自分達の視た事を伝えて良いものなのかと決意が揺れた。ましてや、何だかごたごたしているところに居合わせてしまったものだから(完全に話を逸らす材料にされたとしか考えられなかった)余計に神託を今伝える事に抵抗があったのかもしれない。
 だが、そんなコハクの思考とは裏腹に、この場にいる全員の視線が痛いほど自分に突き刺さってくるのを感じ、彼は小さくため息をついた。どうせなら、もうちょっと落ち着いた時に伝えたかったな、などと思いながら。
「お初にお目にかかります。私は、真光寺琥珀、と申します。終末の聖母ラストマリア様に急いでお伝えたい事がありましたので、お探ししておりました」
 ぺこりと頭を下げ一通りの挨拶をした後、コハクは一度ほぅっと息を吐き出した後、深刻な表情で神託の内容を語り始める。当のフィリエラは、聞いているのかいないのか、黙りこくったままだ。
「私と私の姉には、神託を授かる力があるのですが、つい二週間程前から、気になります神託が度々降りてくるようになりました。私は、神託とは夢のような形で視るのですが、最近、光の十字架と、黒い十字架が重なり……」
 コハクはそこで一度言葉を切った。目を閉じて深く息を吸い込み、
「……そこから発せられた光が世界を滅ぼす夢を、良く視るのです」
 ――その言葉に。
 今度こそ完全に、空気が凍り付いた。

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