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カネダ著作権事務所

著作権判例エッセンス

著作者性

【著作者の判断基準】

法は,211号において,「著作物」とは,「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と定義し,これを受け,同項2号において,「著作者」とは,「著作物を創作する者をいう。」と定義しているところ,思想又は感情を創作的に表現し得るのは自然人のみであるから,元来,著作者となり得るのは自然人である。
<平成181226日知的財産高等裁判所[平成18()10003]>

著作権の原始的な帰属主体は,著作者である(著作権法17条)から,客観的に著作者としての要件を満たさない者について,著作権が原始的に帰属することはあり得ず,仮に,当事者間において,著作者でない者につき著作権が原始的に帰属する旨の合意が成立したとしても,そのような合意の効力を認めることはできないと解さざるを得ない。
<平成160331日東京高等裁判所[平成16()39]>

著作者が企画案ないし構想を提供する第三者の進言により、はじめて著作を決意し、その協力により著作物を完成するという経過をたどることは、決して稀ではなく、その場合進言をした第三者が当然に著作権者となるものではない。
<平成40121日東京高等裁判所[昭和63()4174]>

著作者とは「著作物を創作する者」をいい(著作権法212号)、現実に当該著作物の創作活動に携わった者が著作者となるのであって、作成に当たり単にアイデアや素材を提供した者、補助的な役割を果たしたにすぎない者など、その関与の程度、態様からして当該著作物につき自己の思想又は感情を創作的に表現したと評価できない者は著作者に当たらない。そして、本件において原告らがその著作物であると主張する原告記事のように、文書として表現された言語の著作物の場合は、実際に文書の作成に創作的に携わり、文書としての表現を創作した者がその著作者であるというべきである。
(略)
原告記事は、その体裁上、原告個人らの発言を主たる内容として構成されているところ、インタビュー等の口述を基に作成された雑誌記事等の文書については、文書作成への関与の態様及び程度により、口述者が、文書の執筆者とともに共同著作者となる場合、当該文書を二次的著作物とする原著作物の著作者であると解すべき場合、文書作成のための素材を提供したにすぎず著作者とはいえない場合などがあると考えられる。すなわち、口述した言葉を逐語的にそのまま文書化した場合や、口述内容に基づいて作成された原稿を口述者が閲読し表現を加除訂正して文書を完成させた場合など、文書としての表現の作成に口述者が創作的に関与したといえる場合には、口述者が単独又は文書執筆者と共同で当該文書の著作者になるものと解すべきである。これに対し、あらかじめ用意された質問に口述者が回答した内容が執筆者側の企画、方針等に応じて取捨選択され、執筆者により更に表現上の加除訂正等が加えられて文書が作成され、その過程において口述者が手を加えていない場合には、口述者は、文書表現の作成に創作的に関与したということはできず、単に文書作成のための素材を提供したにとどまるものであるから、文書の著作者とはならないと解すべきである。
<平成101029日東京地方裁判所[平成7()19455]>

本件絵本の創作的表現の核心部分が、扱うテーマやストーリーを構想し、これを具体的に表現する絵柄やその配置、配色の決定及び文字記述部分にあり、これらを創作した者が著作者たり得るものであって、単に決められた色を塗ったり、輪郭線の仕上げをするに止まる場合は、単なる補助作業であって著作物の創作行為とは評価できない(。)
<平成111117日東京高等裁判所[平成10()2127]>

著作権法は、思想又は感情の創作的な表現の保護を目的とし、その創作的な表現を行った者を著作者とするものであるから(著作権法211号、2号)、著作者を認定するに際しては、その思想、感情、アイデア、事実等の表現それ自体でない部分に着目するのではなく、それらを誰が創作的に表現したかが問題となる。
<平成141210日大阪地方裁判所[平成13()5816]>

著作物として保護されるべきは、著作物から読み取ることのできる建築思想(アイデア)ではなく、その表現形式自体であるから、著作権者がアイデアの発案者である必要はないのである。
<平成120308日名古屋地方裁判所[平成4()2130]>

写真集の題名を発案,決定することは著作物自体の創作とは異なるから,これに関与したということだけでは本件写真集を創作したということはできない。
<平成190131日横浜地方裁判所[平成16()3460]>

著作者とは「著作物を創作する者」をいう(著作権法212号)。創作する者とは,当該作品の形成に当たって,その者の思想,感情を創作的に表現したと評価される程度の活動をすることをいう。当該作品の形成に当たって,必要な資料を収集,整理をしたり,助言,助力をしたり,アイデア,ヒントを提供したり,できあがった作品について,加除,訂正をしたりすることによって,何らかの関与をした場合でも,その者の思想,感情を創作的に表現したと評価される程度の活動をしていない者は,創作した者ということはできない。
<平成160218日東京地方裁判所[平成14()27550]>

本件各銅像のようなブロンズ像は,塑像の作成,石膏取り,鋳造という3つの工程を経て制作されるものであるが,その表現が確定するのは塑像の段階であるから,塑像を制作した者,すなわち,塑像における創作的表現を行った者が当該銅像の著作者というべきである。
<平成180227日知的財産高等裁判所[平成17()10100]>

上記デジタルワーク作業において,浮世絵画像の制作当時の色彩や技巧を再現するには,年月の経過による損傷や汚れを単に機械的に除去する技術だけではなく,浮世絵特有の色使いや様々な技巧についての作業者の造詣をも活用することが不可欠であることが認められる。このような作業者の造詣の内容(この中に,作業者の思想や感情が含まれることは,当然である。)によって,デジタルワーク作業の結果に,作業者の個性が表われることは明らかであるから,デジタルワーク後の画像自体には,創作性があり,その限度で著作物性が認められるというべきである。
<平成141210日東京高等裁判所[平成13()5284]>

被控訴人はA流において絶大な地位を占めており,同派は被控訴人の個人組織であるといっても過言ではなかったものであるところ,作品の振付においても,その関与の程度に濃淡はあるものの,同派の名を冠した作品については,少なくとも最終段階では被控訴人が総監督として必ずこれをチェックし,被控訴人の了承なしに発表することはなかったのであるから,被控訴人が特に他の者の著作権とすることを了承したとか,その作品の完成のいずれの段階にもまったく関与しなかった等特段の事情がある場合を除いては,A流として振り付けられた作品の著作権は被控訴人に帰属すると解するのが相当である。
<平成141226日福岡高等裁判所[平成11()358]>

請負契約に基づき外部の独立した請負人によって著作物が作成された場合、その著作者は、特別の事情がない限り、請負人であると解されるのであり、このことは請負人が法人である場合にも妥当するものである(。)
<平成150710日東京高等裁判所[平成15()546]>

【編集著作者性】

著作者が企画案ないし構想を提供する第三者の進言により、はじめて著作を決意し、その協力により著作物を完成するという経過をたどることは、決して稀ではなく、その場合進言をした第三者が当然に著作権者となるものではない。著作物をもととして完成される編集著作物について、第三者が進言した場合でも同様である。
編集物で著作物として保護されるのは、「その素材の選択又は配列によって創作性を有する」ことが必要であるから(著作権法121項)、Aが「智惠子抄」の編集著作権者であるというためには、その素材となったCに関するBの作品を自ら選択し配列したと認められることが必要である。
<平成40121日東京高等裁判所[昭和63()4174]>
【参考:同事件の最高裁判決】
本件編集著作物である「智惠子抄」は、詩人である高村光太郎が既に公表した自らの著作に係る詩を始めとして、同人著作の詩、短歌及び散文を収録したものであって、その生存中、その承諾の下に出版されたものであることは、原審の適法に確定した事実である。そうすると、仮に光太郎以外の者が「智惠子抄」の編集に関与した事実があるとしても、格別の事情の存しない限り、光太郎自らもその編集に携わった事実が推認されるものであり、したがって、その編集著作権が、光太郎以外の編集に関与した者に帰属するのは、極めて限られた場合にしか想定されないというべきである。
そもそも本件において、光太郎以外の者が「智惠子抄」の編集に携わった事実が存するかをみるのに、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、この認定したところによれば、()収録候補とする詩等の案を光太郎に提示して、「智惠子抄」の編集を進言したのは、出版業を営んでいたDであったが、「智惠子抄」に収録されている詩等の選択は、同人の考えだけで行われたものでなく、光太郎も、Dの進言に基づいて、自ら、妻の智惠子に関する全作品を取捨選択の対象として、収録する詩等の選択を綿密に検討した上、「智惠子抄」に収録する詩等を確定し、「智惠子抄」の題名を決定した、()Dが光太郎に提示した詩集の第一次案の配列と「智惠子抄」の配列とで一致しない部分がある、すなわち、詩の配列が、第一次案では、光太郎が前に出版した詩集「道程」の掲載順序によったり、雑誌に掲載された詩については、その雑誌の発行年月順に、同一の雑誌に掲載されたものはその掲載順に配列されていたのに対し、「智惠子抄」では、「荒涼たる歸宅」を除いては制作年代順の原則に従っている、()Dは、第一次案に対して更に二、三の詩等の追加収録を進言したことはあるものの、光太郎が第一次案に対して行った修正、増減について、同人の意向に全面的に従っていた、というのである。
右の事実関係は、光太郎自ら「智惠子抄」の詩等の選択、配列を確定したものであり、同人がその編集をしたことを裏付けるものであって、Dが光太郎の著作の一部を集めたとしても、それは、編集著作の観点からすると、企画案ないし構想の域にとどまるにすぎないというべきである。原審が適法に確定したその余の事実関係をもってしても、Dが「智惠子抄」を編集したものということはできず、「智惠子抄」を編集したのは光太郎であるといわざるを得ない。したがって、その編集著作権は光太郎に帰属したものであり、被上告人が、光太郎から順次相続により右編集著作権を取得したものというべきであって、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。
<平成5330最高裁判所第三小法廷[平成4()797]>

控訴人が,本件写真集の掲載写真について作品のテーマごとにグループ分けして配列することなどを提案した点は,アイデアの提供あるいは助言にすぎないというべきであり,控訴人の行為をもって,Aらによって撮影された本件各人形の相当数の写真の中から本件写真集に掲載された写真を取捨選択し,選択した写真の配列,レイアウト等を決定し,本件各人形の写真の選択及びその配列をしたという,創作的な表現活動であると評価することはできない。
<平成190725日知的財産高等裁判所[平成19()10022]>

編集著作物は、編集物に収録された素材たる著作物の選択、配列に創作性が認められるが故に著作物として保護されるものであることに鑑みれば、素材について創作性のある選択、配列を行つた者が編集者であると解すべきであることはいうまでもないところであるが、それにとどまらず、素材の選択、配列は一定の編集方針に従つて行われるものであるから、編集方針を決定することは、素材の選択、配列を行うことと密接不可分の関係にあつて素材の選択、配列の創作性に寄与するものというべく、したがつて、編集方針を決定した者も当該編集著作物の編集者となりうるものと解するのが相当である。しかしながら、編集に関するそれ以外の行為、例えば素材の収集行為それ自体は、素材が存在してこそその選択、配列を始めうるという意味で素材の選択、配列を行うために必要な行為ではあるけれども、収集した素材を創作的に選択、配列することとは直接関連性を有しているとはいい難いし、また編集方針や素材の選択、配列について相談に与つて意見を具申すること、又は他人の行つた編集方針の決定、素材の選択、配列を消極的に容認することは、いずれも直接創作に携わる行為とはいい難いから、これらの行為をした者は、当該編集著作物の編集者となりうるものではないといわなければならない。
<昭和550917日東京地方裁判所[昭和44()6455]>

著作者とは著作物を創作する者をいい(法2条1項2号),著作物とは,思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう(同項1号)。編集著作物とは,編集物(データベースに該当するものを除く。)でその素材の選択又は配列によって創作性を有するものであるところ(法12条1項),著作物として保護されるものである以上,その創作性については他の著作物の場合と同様に理解される。
そうである以上,素材につき上記の意味での創作性のある選択及び配列を行った者が編集著作物の著作者に当たることは当然である。
また,本件のように共同編集著作物の著作者の認定が問題となる場合,例えば,素材の選択,配列は一定の編集方針に従って行われるものであるから,編集方針を決定することは,素材の選択,配列を行うことと密接不可分の関係にあって素材の選択,配列の創作性に寄与するものということができる。そうである以上,編集方針を決定した者も,当該編集著作物の著作者となり得るというべきである。
他方,編集に関するそれ以外の行為として,編集方針や素材の選択,配列について相談を受け,意見を述べることや,他人の行った編集方針の決定,素材の選択,配列を消極的に容認することは,いずれも直接創作に携わる行為とはいい難いことから,これらの行為をしたにとどまる者は当該編集著作物の著作者とはなり得ないというべきである。
もっとも,共同編集著作物の作成過程において行われたある者の行為が,上記のいずれの場合に該当するかは,当該行為を行った者の当該共同編集著作物の作成過程における地位や権限等を捨象した当該行為の客観的ないし具体的な側面のみによっては判断し難い例があることは明らかである。すなわち,行為そのものは同様のものであったとしても,これを行った者の地位,権限や当該行為が行われた時期,状況等により当該行為の意味ないし位置付けが異なることは,世上往々にして経験する事態である。
そうである以上,創作性のあるもの,ないものを問わず複数の者による様々な関与の下で共同編集著作物が作成された場合に,ある者の行為につき著作者となり得る程度の創作性を認めることができるか否かは,当該行為の具体的内容を踏まえるべきことは当然として,さらに,当該行為者の当該著作物作成過程における地位,権限,当該行為のされた時期,状況等に鑑みて理解,把握される当該行為の当該著作物作成過程における意味ないし位置付けをも考慮して判断されるべきである。
<平成281111日知的財産高等裁判所[平成28()10009]>

控訴人は,編集著作物において素材の選択,配列を決定した者は問題とならず,配列を行ったのは控訴人であるなどと主張する。しかしながら,控訴人の主張が,決定権限を持たずに素材の配列に関与した者,例えば,単なる原案,参考案の作成者や,相談を受けて参考意見を述べた者までがおよそ編集著作者となるというものであるとすれば,そのような主張は,著作者の概念を過度に拡張するものであって,採用することはできない。
<令和元年87日知的財産高等裁判所[平成31()10026]>

編集著作権の発生は,編集作業を実際に誰が行ったかという観点から認定すべきであり,契約の内容がこれを直ちに左右するものではない。
<平成241226日大阪高等裁判所[平成24()1019]>

題号の選択それ自体が,編集著作物としての創作性を基礎付けるものではないから,本件書籍の題号が,控訴人の提案どおりのものと決定されたからといって,このことから直ちに,控訴人を本件書籍の編集著作者とすべきことになるわけではない。
<平成28127日知的財産高等裁判所[平成27()10022]>

【著作者の推定(法14条)の意義】

著作権法14条は,著作者として権利行使しようとする者の立証の負担を軽減するため,自らが創作したことの立証に代えて,著作物に実名等の表示があれば著作者と推定するというものであるが,同規定の文言からして「推定する」というものにすぎず,推定の効果を争う者が反対事実の証明に成功すれば,推定とは逆の認定をして差し支えないことになる。この理は,創作的表現を行ったと主張するものが複数関与する場合であっても異なるところはないというべきであ(る。)
<平成180227日知的財産高等裁判所[平成17()10100]>

【「推定」を認定した事例】

本件広告は,原告サイトのトップページに掲載されていたものであり,本件広告の右下には,「Copyright 2004-2018」として,原告の名称の英語表記と合致する「Top trend Co..Ltd.」との表示がされており,「Copyright」が著作権を意味する語として一般的に用いられ,原告の名称の英語表記も原告を示すものとして一般的に理解し得るものと認められるから,原告は,本件広告に,その名称が著作者名として通常の方法により表示されている者であるということができ,著作者と推定され,これを覆すに足りる証拠はないから,本件広告について著作権を有すると認められる。
<令和元年717東京地方裁判所[平成31()99]>

映画の著作物である本件作品のDVDのパッケージの裏面左下隅には「DEEP’S」の文字がそのロゴと共に表示され,その下に「制作・著作・受審/ディープス」と表示されていること,上記パッケージの画像は,原告が本件作品をダウンロードやストリーミング配信の方法で販売するウェブページにおいても表示されていること,「ディープス」は旧商号かつ登録商標であるが,原告は,これをレーベル名として用いてアダルトビデオ作品を全国的に流通・販売しており,AV業界ではそのことが広く知られていることが認められる。
上記認定事実によれば,著作物である本件作品が公衆に提供又は提示される際に,原告の変名として周知の「ディープス」が著作者名として通常の方法により表示されているということができるので,原告は,本件作品の著作者と推定され,その推定を覆すに足りる証拠は存在しない。
<令和元年94日東京地方裁判所[令和1()11739]>

【「推定」を覆した事例】

本件著作物の表紙には「A・Y・B・C編」と表示され,また,そのはしがきには,本件著作物編者らの氏名が連名で表示されるとともに,「この間の立法や,著作権をめぐる技術の推移等を考慮し,第4版では新たな構成を採用し,かつ収録判例を大幅に入れ替え,3件を厳選し,時代の要求に合致したものに衣替えをした。」とある。
本件著作物のような編集著作物の場合,氏名に「編」と付すことは,一般人に,その者が編集著作物の著作者であることを認識させ得るものといってよい。上記はしがきの表示及び記載も,本件著作物において編者として表示された者が編集著作物としての本件著作物の著作者であることを一般人に,認識させ得るものということができる。(中略)
そうすると,本件著作物には,相手方の氏名を含む本件著作物編者らの氏名が編集著作者名として通常の方法により表示されているといってよい。
したがって,相手方については,著作者の推定(法14条)が及ぶというべきである。
これに対し,抗告人は,氏名に「編」と付された者が著作権法上の編集著作者とは異なる場合も少なくないなどとして,相手方につき著作者の推定は及ばない旨主張するけれども,現に氏名に「編」と付された者が編集著作者でない場合があったとしても,そのことをもって直ちに,「編」という表示が氏名に付されることでその氏名が編集著作物の「著作者名として通常の方法により表示されている」と一般人に認識させ得ることを否定するに足りるものとはいえない。その他これを否定するに足りる事情をうかがわせる疎明資料もない。
したがって,この点に関する抗告人の主張は採用し得ない。
そこで,相手方につき著作者の推定が及ぶことを前提に,その推定の覆滅の可否を検討する。
(略)
これらの事情を総合的に考慮すると,本件著作物の編集過程において,相手方は,その「編者」の一人とされてはいたものの,実質的にはむしろアイデアの提供や助言を期待されるにとどまるいわばアドバイザーの地位に置かれ,相手方自身もこれに沿った関与を行ったにとどまるものと理解するのが,本件著作物の編集過程全体の実態に適すると思われる。
そうである以上,法14条による推定にもかかわらず,相手方をもって本件著作物の著作者ということはできない。
<平成281111日知的財産高等裁判所[平成28()10009]>

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