Kaneda Copyright Agency ホームに戻る
カネダ著作権事務所

著作権判例エッセンス

著作物性

【表現性の要件(表現とアイディア)】

著作権法によって保護される「著作物」とは、「表現したもの」であること、言い換えれば、著作者の思想又は感情が外部に認識できる形で現実に具体的な形で表現されたものであることを要するものというべきである。
(略)
著作権法によって保護されるのは、創作性そのものではなく、「表現したもの」、すなわち、現実になされた具体的表現を通じて示された限りにおいての創作性であり、その意味では、著作権法によって保護されるのは、現実になされた具体的な表現のみであるというべきである。
控訴人電話帳がいまだそのものとしては存在しておらず、したがって、右の意味で、思想又は感情を創作的に「表現したもの」となっていない以上、仮に、近い将来完成される予定であり、どのような編集方針に基づいて編集され、どの区を掲載対象とし、どのような内容となるのかなどが事前に示されていたとしても、控訴人ら主張の電話帳としての具体的な表現が存在しないのであるから、著作権法上の保護を受ける余地はないものといわざるを得ない。
<平成121130日東京高等裁判所[平成10()3676]>

著作権法にいう「著作物」と評価されるためには、「表現したもの」であること、言い換えれば、著作者の思想又は感情が外部に認識できる形で現実に具体的な形で表現されたものであることを要するものというべきである。そして、そうである以上、著作権法による「著作物」に対する保護が、思想又は感情自体に及ぶことはあり得ないのはもちろん、思想又は感情を創作的に表現するに当たって採用された手法や着想も、それ自体としては保護の対象とはなり得ないものというべきである。
<平成130123日東京高等裁判所[平成12()4735]>

著作権法によって保護されるのは、直接には、「表現したもの」(「表現されたもの」といっても同じである。)自体であり、思想又は感情自体に保護が及ぶことがあり得ないのはもちろん、思想又は感情を創作的に表現するに当たって採用された手法や表現を生み出す本(もと)になったアイデア(着想)も、それ自体としては保護の対象とはなり得ないものというべきである。
このような立場を採った場合、思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体に創作性がなくても、表現されたものに創作性があれば、著作権法上の保護を受け得ることの反面として、思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデアに創作性があって、その結果、外観上、表現されたものに創作性があるようにみえても、表現されたもの自体に、右アイデア等の創作性とは区別されるものとしての創作性がなければ、著作権法上の保護を受けることができないことになる。そうでなければ、表現されたものの保護の名の下に思想又は感情あるいはこれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体を保護することにならざるを得ないからである。
<平成120919日東京高等裁判所[平成11()2937]>

「著作物」とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であるから、それが自然科学の分野における論文等であつても自然科学的思想あるいは技術的思想を創作的に表現したものであるかぎり、それは著作物であり、著作権法上の保護を受け得るものであることはいうまでもない。しかし、自然科学的分野あるいは技術的分野における「思想の創作」であつても、その創作が表現される文章、図画等の「形式」に関係のない「思想」そのもの、例えば特許法でいう「発明」そのもの、実用新案法でいう「考案」そのものは、著作権法で保護される著作物に当らない。 「発明」又は「考案」は、「自然法則を利用した技術的思想の創作」(特許法21項、実用新案法21項)であり、産業上利用することができる発明又は考案をした者は、その発明又は考案が特許要件、実用新案登録要件を備えているかぎり、特許権又は実用新案権として登録され、特許法、実用新案法上の保護を受け得るが、技術的思想の創作である発明、考案も、それが「言語」あるいは、「図画」、「図表」、「図形」、「写真」等の「形式」(著作権法101号、6号、8号参照)で表現されていないかぎり、その発明又は考案に含まれている抽象的な技術思想、自然科学的、技術的原理・原則は、著作権法でいう「著作物」ではなく、したがつてそれは同法上の保護を受け得ないのである。
<昭和580630日東京高等裁判所[昭和57()3258]>

数学に関する著作物の著作権者は、そこで提示した命題の解明過程及びこれを説明するために使用した方程式については、著作権法上の保護を受けることができないものと解するのが相当である。一般に、科学についての出版の目的は、それに含まれる実用的知見を一般に伝達し、他の学者等をして、これを更に展開する機会を与えるところにあるが、この展開が著作権侵害となるとすれば、右の目的は達せられないことになり、科学に属する学問分野である数学に関しても、その著作物に表現された、方程式の展開を含む命題の解明過程などを前提にして、更にそれを発展させることができないことになる。このような解明過程は、その著作物の思想(アイデア)そのものであると考えられ、命題の解明過程の表現形式に創作性が認められる場合に、そこに著作権法上の権利を主張することは別としても、解明過程そのものは著作権法上の著作物に該当しないものと解される。
<平成60225日大阪高等裁判所[平成2()2615]>

そもそも,学問上の理論それ自体は,著作権の保護の対象となるものではない(。)
<平成140726日東京地方裁判所[平成13()19546]>

被侵害部分に記載されているような地層を発見し,その構成を特定し,その層序を決めることは,豊富な経験知識を前提に,膨大な現地調査とそれに基づく根気強い分析をすることを要するものであろうことは,想像に難くない。また,その結果得られた発見や仮説が大きな価値を有することもいうまでもないところである。しかし,著作権法は,発見や仮説そのものを保護し,これらを発見者や仮説の提唱者に独占させようとするものではない。控訴人ら主張のように,素材の取捨選択等の内容の重視を押し進めて,それが独創的であるとの一事をもって,表現に創作性がある,としたり,あるいは内容が同一であることから,表現にも同一性がある,としたりすると,その背後にある発見(発見された事実)や仮説の他者による表明が,事実上極めて困難となり,結局,発見や仮説そのものを保護し,発見者や提唱者によるその独占を認めることにならざるを得ない。このような結果は,著作権法の立場と両立し得ないことが明らかであり,このような結果をもたらす控訴人らの解釈を採用することはできない。
(略)
ある特定の場所に,火山があり,それが活動していたという事実ないし仮説に到達するためには,豊富な経験知識を前提に,膨大な現地調査とそれに基づく分析をすることを要するものであり,その結果得られた事実や仮説が尊重に値することはいうまでもないところである。しかしながら,著作権法は,事実の発見そのものを保護するものでもなければ,事実に関する仮説(より一般的にいえば思想・感情)そのものを保護するものでもない。したがって,「畑沢火山」が示す仮説が仮説自体としては独創的なものであるとしても,それだけで,その仮説を具体的に表現したものに著作権法上の創作性が認められることになるわけのものではない。そして,「畑沢火山」という用語は,地名と「火山」という用語を組み合せたものにすぎず,その表現方法自体はごく普通のものという以外になく,そこに著作者の個性が表れているとは,到底認めることができない。
<平成141114日東京高等裁判所[平成12()5964]>

自然科学論文における著作者の独創にかかる思想内容については,学問は先人の思想,発見をもとにして発展して行くものであり,その利用を禁止することは文化の発展を阻害することになるから,抽象的な理論体系,思想内容については,アイデアや事実など表現それ自体ではない部分に該当するものと解するのが相当である。
<平成180426日大阪高等裁判所[平成17()2410]>

著作権法が保護の対象とするのは,「創作的」な「表現」であって,その基礎にある思想,感情又はアイデアではない。
控訴人は,ポニー交通システムのうち,市街中心部を双方向(時計回り及び反時計回り)に循環する市街地循環復路線は,過去に類例がなく,控訴人が新たに考案したものである旨主張する。しかし,そのような路線の設定方法自体は,思想ないしアイデアであって,著作権法が保護の対象とする著作物ではない。よって,市街中心部を双方向(時計回り及び反時計回り)に循環するという路線設定の方法自体は,それが創作的なものであるか否かを問わず,そもそも著作物に当たらないといわざるを得ない。
<平成190327日知的財産高等裁判所[平成18()10058]>

歴史的事実の発見やそれに基づく推論等のアイデアは,それらの発見やアイデア自体に独自性があっても,著作に当たってそれらを事実又は思想として選択することは,それ自体,著作権による保護の対象とはなり得ない。
<平成220714日知的財産高等裁判所[平成22()10017]>

数学の代数や幾何あるいは物理の問題とその解答に表現される考え方自体は,アイデアであり,これを何らかの個性的な出題形式ないし解説で表現した場合は著作物として保護され得るとしても,数学的ないし物理的問題及び解答に含まれるアイデア自体は著作物として保護されないことは当然である。このことは,パズルにおいても同様であり,数学の代数や幾何あるいは物理のアイデア等を利用した問題と解答であっても,何らかの個性が創作的に表現された問題と解答である場合には,著作物としてこれを保護すべき場合が生じ得るし,これらのアイデアを,ありふれた一般的な形で表現したにすぎない場合は,何らかの個性が創作的に表現されたものではないから,これを著作物として保護することはできないというべきである。
<平成200131日東京地方裁判所[平成18()13803]>

表現を離れた単なるアイディアは著作物とはいえず,著作権法上の保護の対象とはならない。しかるところ,原告アイディアは,「スーパードリームボール」というスポーツについてのアイディアであって表現ではないから,原告アイディアを著作物ということはできない。原告は斬新なアイディアは著作物というべきであると主張するが,アイディアがいかに独創的であったとしても,アイディアにすぎない以上,著作物たり得ないことに変わりはないから,原告の主張は採用できない。
<平成131218日東京地方裁判所[平成13()14586]>

著作権法は,ダイエット法等のアイデアを保護するものではな(い。)
<平成26829日東京地方裁判所[平成25()28859]>

【キャラクターの著作物性】

著作権法上の著作物は、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(同法211号)とされており、一定の名称、容貌、役割等の特徴を有する登場人物が反復して描かれている一話完結形式の連載漫画においては、当該登場人物が描かれた各回の漫画それぞれが著作物に当たり、具体的な漫画を離れ、右登場人物のいわゆるキャラクターをもって著作物ということはできない。けだし、キャラクターといわれるものは、漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって、具体的表現そのものではなく、それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものということができないからである。
<平成9717日 最高裁判所第一小法廷[平成4()1443]>

【創作性の要件】

ある表現物が著作物として同法上の保護を受けるためには,「思想又は感情を創作的に表現したもの」でなければならない。第1に,思想又は感情自体ではなく「表現したもの」でなければならないということであり,第2に,「創作的に表現したもの」でなければならないということである。そして,創作性があるといえるためには,当該表現に高い独創性があることまでは必要ないものの,創作者の何らかの個性が発揮されたものであることを要する。
表現がありふれたものである場合,当該表現は,創作者の個性が発揮されたものとはいえず,「創作的」な表現ということはできない。また,ある思想ないしアイデアの表現方法がただ1つしか存在しない場合,あるいは,1つでなくとも相当程度に限定されている場合には,その思想ないしアイデアに基づく表現は,誰が表現しても同じか類似したものにならざるを得ないから,当該表現には創作性を認め難い。
<
令和3114日大阪高等裁判所[令和1()1735]>

「創作」とは「模倣」でないことを意味するものと解すべきである。
<昭和471011日東京地方裁判所[昭和44()9353]>

創作性は,人間の知的活動の成果として,著作者個人の工夫した表現について認められると解される。したがって,既存の著作物に基づいてそのまま機械的に表現した物及び既存の著作物と同一性を保ちつつこれに多少の修正,増減等を加えた物は,著作権法上,既存の著作物を有形的に再製した複製物(同法2115号)に該当するから,これらの物に創作性を認めることはできない。
<平成200131日仙台地方裁判所[平成15()683]>

「創作的に表現した」というためには,当該成果物が,厳密な意味で独創性が発揮されていることは必要でなく,作成者の個性が表れたものであれば足りるというべきであるが,既存の著作物に依拠し,これと同一のものを作成し,又は,具体的表現に修正,増減,変更等を加えても,新たに思想又は感情を創作的に表現することなく,既存の著作物と実質的に同一のものを作成したにすぎないものは,既存の著作物の複製物であって,作成者の個性が発揮されたものとはいえないから,創作的な表現とは認められない。
<平成271225日東京地方裁判所[平成27()6058]>

「創作的に表現したもの」とは、厳格な意味での独創性があるとか他に類例がないとかが要求されているわけではな(い。)
<昭和620219日東京高等裁判所[昭和61()833]>

著作物と認めるためのものとして要求すべき「創作性」の程度については,例えば,これを独創性ないし創造性があることというように高度のものとして解釈すると,著作権による保護の範囲を不当に限定することになりかねず,表現の保護のために不十分であり,さらに,創作性の程度は,正確な客観的判定には極めてなじみにくいものであるから,必要な程度に達しているか否かにつき,判断者によって判断が分かれ,結論が恣意的になるおそれが大きい。このような点を考慮するならば,著作物性が認められるための創作性の要件は厳格に解釈すべきではなく,むしろ,表現者の個性が何らかの形で発揮されていれば足りるという程度に,緩やかに解釈し,具体的な著作物性の判断に当たっては,決まり文句による時候のあいさつなど,創作性がないことが明らかである場合を除いては,著作物性を認める方向で判断するのが相当である。
<平成141029日東京高等裁判所[平成14()2887]>

ある表現物を創作したというためには,対象となる表現物の形成に当たって,自己の思想又は感情を創作的に表現したと評価される程度の活動を行ったことが必要であり,当該表現物において,その者の思想又は感情を創作的に表現したと評価される程度に至っていない場合には,法上の創作には当たらない,言い換えると,著作物性を有しないものと解すべきである。
<平成181226日知的財産高等裁判所[平成18()10003]>

著作物の創作性は当該著作物が著作者の独自の創意工夫により著作されたか否かにあり、その表現形式等において先人の影響が存したからといつて直ちにこれを否定されるべきではなく、具体的著作物がその模写ではなくそこに知的創造活動が認められるときは、その著作物に創作性を肯定すべきものと解するのが相当である(したがつて、著作権における創作性は相対的なものであり、工業所有権における創作性の如く新規性すなわち絶対的な独創性を要しないといわねばならない)。
<昭和540709日神戸地方裁判所姫路支部[昭和49()291]>

「創作性」については、いわゆる完全なる無から有を生じさせるといつた厳格な意味での独創性とは異なり、著作物の外部的表現形式に著作者の個性が現われていればそれで十分であると考えられる。
<昭和590928日東京地方裁判所[昭和56()8371]>

著作権法における「創作性」とは、厳密な意味での独創性や新規性が要求されるわけではなく、思想又は感情の外部的表現に著作者の個性が何らかの形で現れていれば足りるものと解されるが、他方、一定のアイデアを表現すれば誰が著作しても同様の表現になるようなものは、創作的な表現とはいえない。
<平成100529日東京地方裁判所[平成7()5273]>

「創作的」とは、何らかの知的活動の成果であって、思想又は感情を表現する具体的形式に作成者の個性が現れたものであれば足り、厳格な意味で独創性の発揮されたものであることは必要ないが、アイデアそれ自体は著作権法による保護の対象とはならないし、データや事実を機械的に記載したにすぎないもの、誰が作成しても同様の表現となるようなありふれた表現のものは、創作性を欠き、著作権の保護の対象である著作物たり得ないというべきである。
<平成140312日大阪地方裁判所[平成13()12680]>

本件著作物の一部分に既存の名称,ごく短い文章,他の表現形式が想定できない文章,平凡かつありふれた表現から成る文章があるとしても,このことは,多数の語句及び文章が不可分一体のものとして一個の著作物を構成している場合において,当該著作物の創作性を否定する根拠となるものではない。
<平成150718日東京高等裁判所[平成14()3136]>

確かに,一つのまとまりのある著作物を細分化し,その各部分がアイデアないしありふれた表現にすぎないとして,全体としての創作性を否定することは誤りである。しかしながら,一つのまとまりのある著作物の創作性を判断するに当たり,その構成部分まで分解し,それぞれの構成部分を逐一考察して,創作性の有無程度を検討することは正当な分析方法である。
<平成161124日東京高等裁判所[平成14()6311]>

一覧に戻る