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カネダ著作権事務所

著作権判例エッセンス

舞踊・無言劇著作物

【「キラキラぼし」の振付け】

「キラキラひかる」や「ピカピカひかる」の歌詞に合わせて両手首を回すことは,星が瞬く様子を表すものとして,誰もが思いつくようなありふれた表現であり,また,「キラキラひかるおおきなほし」と「ピカピカひかるちいさなほし」の対比として,前者では両手を高く上げて腕を大きく振り,後者では,胸の高さに挙げた両手を小さく振ることも,大小の対比として自然に思いつく,ありふれた表現であると認められる。さらに,「うたっているよ」の歌詞に合わせて手を順番に口の横に当て,首を左右に揺らすことも,歌っていることを示す動作として,ありふれた表現であると認められる。
そして,「たのしいうたを」の歌詞に合わせて,両手を胸の前で交差させて首を左右に揺らすことについては,原告書籍より前に発行されたポプラ社書籍に掲載された「キラキラぼし」において,「おそらのほしよ」との歌詞に合わせて右手と左手を順に交差させて胸に当て,体を左右に揺らす動作が記載されていることからすれば,両手を胸の前で交差させ,体を左右に揺らす動作は格別な表現ではなく,上記振付けは,ポプラ社書籍記載の動作と左右に揺らす部位が首であること及び対応する歌詞に違いがあるものの,特段創作性があるものとは認められない。
したがって,原告主張の振付けは,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
以上によれば,原告主張の「キラキラぼし」の振付けは,著作物には当たらない。
<平成210828日東京地方裁判所[平成20()4692]>

【社交ダンスの振付け】

社交ダンスが,原則として,基本ステップやPVのステップ等の既存のステップを自由に組み合わせて踊られるものであり,基本ステップやPVのステップ等の既存のステップは,ごく短いものであり,かつ,社交ダンスで一般的に用いられるごくありふれたものであるから,これらに著作物性は認められない。また,基本ステップの諸要素にアレンジを加えることも一般的に行われていることであり,基本ステップがごく短いものでありふれたものであるといえることに照らすと,基本ステップにアレンジを加えたとしても,アレンジの対象となった基本ステップを認識することができるようなものは,基本ステップの範ちゅうに属するありふれたものとして著作物性は認められない。
社交ダンスの振り付けにおいて,既存のステップにはない新たなステップや身体の動きを取り入れることがあるが,このような新しいステップや身体の動きは,既存のステップと組み合わされて社交ダンスの振り付け全体を構成する一部分となる短いものにとどまるということができる。このような短い身体の動き自体に著作物性を認め,特定の者にその独占を認めることは,本来自由であるべき人の身体の動きを過度に制約することになりかねず,妥当でない。
以上によれば,社交ダンスの振り付けを構成する要素である個々のステップや身体の動き自体には,著作物性は認められないというべきである。
社交ダンスの振り付けとは,基本ステップやPVのステップ等の既存のステップを組み合わせ,これに適宜アレンジを加えるなどして一つの流れのあるダンスを作り出すことである。このような既存のステップの組合せを基本とする社交ダンスの振り付けが著作物に該当するというためには,それが単なる既存のステップの組合せにとどまらない顕著な特徴を有するといった独創性を備えることが必要であると解するのが相当である。なぜなら,社交ダンスは,そもそも既存のステップを適宜自由に組み合わせて踊られることが前提とされているものであり,競技者のみならず一般の愛好家にも広く踊られていることにかんがみると,振り付けについての独創性を緩和し,組合せに何らかの特徴があれば著作物性が認められるとすると,わずかな差異を有するにすぎない無数の振り付けについて著作権が成立し,特定の者の独占が許されることになる結果,振り付けの自由度が過度に制約されることになりかねないからである。このことは,既存のステップの組合せに加えて,アレンジを加えたステップや,既存のステップにはない新たなステップや身体の動きを組み合わせた場合であっても同様であるというべきである。
<平成240228日東京地方裁判所[平成20()9300]>
【注】以上の判示の前提として、以下の「事実認定」がされている点に留意(そのような社交ダンスの特殊性が判決に影響したものと思われる):
『「社交ダンスには,様々なステップがある。社交ダンスの基本となるステップは,Imperial Society of Teachers of Dancing(「ISTD」)が発行する社交ダンスの教科書である「The Ballroom Technique」や,ISTDのラテン・アメリカン・ダンス委員会が監修する各ラテン種目の教科書などに掲載されている(これらの社交ダンスの教科書に掲載されているステップを「基本ステップ」という)。
また,基本ステップ以外にも,メダルテスト,競技会,デモンストレーション等で広く一般に使用されるようになったステップも数多くあり,このようなステップの一部はISTDの元会長であるDが著作した「ポピュラーバリエーション」に掲載されており(ポピュラーバリエーションに掲載されているステップを「PVのステップ」という),これに掲載されていないステップも数多くある。
社交ダンスは,原則として基本ステップやPVのステップ等の既存のステップを自由に組み合わせて踊られるものであるが,競技ダンスでは,基本ステップを構成する諸要素にアレンジを加えて踊ることは一般的に行われており,また,ある種目の基本ステップを,種目を超えて用いることも一般的に行われている。さらに,他の種類のダンスの動きを参考にするなどして,既存のステップにはない新たなステップや身体の動きを取り入れることも行われている。
社交ダンスの振り付けとは,このような既存のステップを選択して組み合わせ,これに適宜アレンジを加えるなどして一つの流れのあるダンスを作り出すことをいう。』

【フラダンスの振付け】

ア 著作権法10条1項3号は「舞踊の著作物」を著作物の例示として挙げており,これは,人の身体の動作の型を振付けとして表現するものである。そして,これについては,それを公衆に直接見せることを目的として上演する権利(上演権)が著作権の支分権として定められている(同法22条) 。
イ ハワイの民族舞踊のことをフラないしフラダンスというが,フラには古典フラと現代フラがあり,古典フラが,大昔からハワイ人の歴史の中でそれぞれの流派に大切に守られ受け継がれてきた詠唱(オリ)と踊り(フラ)から成るのに対し,現代フラは,19世紀以降に西洋文明の影響を受けてメロディーを取り入れて作り出され,いわゆるハワイアン音楽と共に発展したものである。本件で問題となっているのは現代フラであるが,現代フラでは,師匠であるクムフラ(クム)が自ら楽曲に振付けをして,自らの教室(ハーラウ)の生徒に教えている。
そして,ハワイの民族舞踊であるフラダンスの特殊性は,楽曲の意味をハンドモーション等を用いて表現することにあり,フラダンスの入門書においても,フラは歌詞をボディランゲージで表現するとか,ハンドモーションで歌詞の意味を表現し,ステップでリズムをとりながら流れを作るというのがフラの基本であるとされている。すなわち,フラダンスの振付けは,ハンドモーションとステップから構成されるところ,このうちハンドモーションについては,特定の言葉に対応する動作(一つとは限らない)が決まっており,このことから,入門書では,フラでは手の動きには一つ一つ意味があるとか,ハンドモーションはいわば手話のようなもので,手を中心に上半身を使って,歌詞の意味を表現するとされている。他方,ステップについては,典型的なものが存在しており(入門書では合計16種類が紹介されている。),入門書では,覚えたら自由に組み合わせて自分のスタイルを作ることができるとされている。
ウ これらのフラダンスの特徴からすると,特定の楽曲の振付けにおいて,各歌詞に対応する箇所で,当該歌詞から想定されるハンドモーションがとられているにすぎない場合には,既定のハンドモーションを歌詞に合わせて当てはめたにすぎないから,その箇所の振付けを作者の個性の表れと認めることはできない。
また,フラダンスのハンドモーションが歌詞を表現するものであることからすると,ある歌詞部分の振付けについて,既定のハンドモーションどおりの動作がとられていない場合や,決まったハンドモーションがない場合であっても,同じ楽曲又は他の楽曲での同様の歌詞部分について他の振付けでとられている動作と同じものである場合には,同様の歌詞の表現として同様の振付けがされた例が他にあるのであるから,当該歌詞の表現として同様の動作をとることについて,作者の個性が表れていると認めることはできない。
さらに,ある歌詞部分の振付けが,既定のハンドモーションや他の類例と差異があるものであっても,それらとの差異が動作の細かな部分や目立たない部分での差異にすぎない場合には,観衆から見た踊りの印象への影響が小さい上,他の振付けとの境界も明確でないから,そのような差異をもって作者の個性の表れと認めることは相当でない。また,既定のハンドモーションや他の類例との差異が,例えば動作を行うのが片手か両手かとか,左右いずれの手で行うかなど,ありふれた変更にすぎない場合にも,それを作者の個性の表れと認めることはできない。
もっとも,一つの歌詞に対応するハンドモーションや類例の動作が複数存する場合には,その中から特定の動作を選択して振付けを作ることになり,歌詞部分ごとにそのような選択が累積した結果,踊り全体のハンドモーションの組合せが,他の類例に見られないものとなる場合もあり得る。そして,フラダンスの作者は,前後のつながりや身体動作のメリハリ,流麗さ等の舞踊的効果を考慮して,各動作の組合せを工夫すると考えられる。しかし,その場合であっても,それらのハンドモーションが既存の限られたものと同一であるか又は有意な差異がなく,その意味でそれらの限られた中から選択されたにすぎないと評価し得る場合には,その選択の組合せを作者の個性の表れと認めることはできないし,配列についても,歌詞の順によるのであるから,同様に作者の個性の表れと認めることはできない。
エ 他方,上記で述べたのと異なり,ある歌詞に対応する振付けの動作が,歌詞から想定される既定のハンドモーションでも,他の類例に見られるものでも,それらと有意な差異がないものでもない場合には,その動作は,当該歌詞部分の振付けの動作として,当該振付けに独自のものであるか又は既存の動作に有意なアレンジを加えたものいうことができるから,作者の個性が表れていると認めるのが相当である。
もっとも,そのような動作も,フラダンス一般の振付けの動作として,さらには舞踊一般の振付けの動作として見れば,ありふれたものである場合もあり得る。そして,被告は,そのような場合にはその動作はありふれたものであると主張する。
しかし,フラダンスのハンドモーションが歌詞を表現するものであることからすると,たとえ動作自体はありふれたものであったとしても,それを当該歌詞の箇所に振り付けることが他に見られないのであれば,当該歌詞の表現として作者の個性が表れていると認めるのが相当であり,このように解しても,特定の楽曲の特定の歌詞を離れて動作自体に作者の個性を認めるものではないから,個性の発現と認める範囲が不当に拡がることはないと考えられる。
オ ところで,フラダンスのハンドモーションが歌詞を表現するものであることからすると,歌詞に動作を振り付けるに当たっては,歌詞の意味を解釈することが前提になり,普通は言葉の通常の意味に従って解釈すると思われるが,作者によっては,歌詞に言葉の通常の意味を離れた独自の解釈を施した上で振付けの動作を作ることもあり得る。そして,原告は,その場合には解釈の独自性自体に作者の個性を認めるべきであると主張する趣旨のように思われる。しかし,著作権法は具体的な表現の創作性を保護するものであるから,解釈が独自であっても,その結果としての具体的な振付けの動作が上記ウで述べたようなものである場合には,やはりその振付けの動作を作者の個性の表れと認めることはできない。
他方,被告は,たとえ歌詞の解釈が独自であり,そのために振付けの動作が他と異なるものとなっているとしても,当該解釈の下では当該振付けとすることがありふれている場合には,当該振付けを著作権法の保護の対象とすることは結局楽曲の歌詞の解釈を保護の対象とすることにほかならず許されないと主張する。しかし,歌詞の解釈が独自であり,そのために振付けの動作が他と異なるものとなっている場合には,そのような振付けの動作に至る契機が他の作者には存しないのであるから,当該歌詞部分に当該動作を振り付けたことについて,作者の個性が表れていると認めるのが相当である。そして,このように解しても,個性の表れと認めるのは飽くまで具体的表現である振付けの動作であって,同様の解釈の下に他の動作を振り付けることは妨げられないのであるから,解釈自体を独占させることにはならない。
これに対し,歌詞の解釈が言葉の通常の意味からは外れるものの,同様の解釈の下に動作を振り付けている例が他に見られる場合には,そのような解釈の下に動作を振り付ける契機は他の作者にもあったのであるから,当該解釈の下では当該振付けとすることがありふれている場合には,当該歌詞部分に当該動作を振り付けたことについて,作者の個性が表れていると認めることはできない。
カ 以上のハンドモーションに対し,ステップについては,上記のとおり典型的なものが存在しており,入門書でも,覚えたら自由に組み合わせて自分のスタイルを作ることができるとされているとおり,これによって歌詞を表現するものでもないから,曲想や舞踊的効果を考慮して適宜選択して組み合わせるものと考えられ,その選択の幅もさして広いものではない。そうすると,ステップについては,基本的にありふれた選択と組合せにすぎないというべきであり,そこに作者の個性が表れていると認めることはできない。しかし,ステップが既存のものと顕著に異なる新規なものである場合には,ステップ自体の表現に作者の個性が表れていると認めるべきである(なお,ステップが何らかの点で既存のものと差異があるというだけで作者の個性を認めると,僅かに異なるだけで個性が認められるステップが乱立することになり,フラダンスの上演に支障を生じかねないから,ステップ自体に作者の個性を認めるためには,既存のものと顕著に異なることを要すると解するのが相当である。)。また,ハンドモーションにステップを組み合わせることにより,歌詞の表現を顕著に増幅したり,舞踊的効果を顕著に高めたりしていると認められる場合には,ハンドモーションとステップを一体のものとして,当該振付けの動作に作者の個性が表れていると認めるのが相当である。
キ 以上のようにして,特定の歌詞部分の振付けの動作に作者の個性が表れているとしても,それらの歌詞部分の長さは長くても数秒間程度のものにすぎず,そのような一瞬の動作のみで舞踊が成立するものではないから,被告が主張するとおり,特定の歌詞部分の振付けの動作に個別に舞踊の著作物性を認めることはできない。しかし,楽曲の振付けとしてのフラダンスは,そのような作者の個性が表れている部分やそうとは認められない部分が相俟った一連の流れとして成立するものであるから,そのようなひとまとまりとしての動作の流れを対象とする場合には,舞踊として成立するものであり,その中で,作者の個性が表れている部分が一定程度にわたる場合には,そのひとまとまりの流れの全体について舞踊の著作物性を認めるのが相当である。そして,本件では,原告は,楽曲に対する振付けの全体としての著作物性を主張しているから,以上のことを振付け全体を対象として検討すべきである。
そしてまた,このような見地からすれば,フラダンスに舞踊の著作物性が認められる場合に,その侵害が認められるためには,侵害対象とされたひとまとまりの上演内容に,作者の個性が認められる特定の歌詞対応部分の振付けの動作が含まれることが必要なことは当然であるが,それだけでは足りず,作者の個性が表れているとはいえない部分も含めて,当該ひとまとまりの上演内容について,当該フラダンスの一連の流れの動作たる舞踊としての特徴が感得されることを要すると解するのが相当である。
ク 以上の考え方の下に,本件振付け6等の著作物性について個別に検討する(なお,上記のとおりステップについては基本的に作者の個性が認められないから,特に検討を要する場合に限り言及することとする。)。
 (略)
以上のとおり,本件振付け6には,完全に独自な振付けが見られるだけでなく,他の振付けとは有意に異なるアレンジが全体に散りばめられているから,全体として見た場合に原告の個性が表現されており,全体としての著作物性を認めるのが相当である。
<平成30920日大阪地方裁判所[平成27()2570]>

【日本舞踊の振付け】

本件第1舞踊は,A流のために作られた創作音曲に独自の振付がされたもので,同流派を象徴する舞踊である。本件第2ないし第4舞踊は,従前伝統芸能・民俗芸能として手本となる踊りがあったりするが,それとは離れて独自性のある振付がされたもので,いずれも,日本民謡舞踊大賞コンクールで受賞する等,客観的にも芸術性が高い。
したがって,本件各舞踊は,いずれも,振付者の思想,感情を創作的に表現したものであるということができ,十分に著作物たりうる創作性を認めることができる。
<平成141226日福岡高等裁判所[平成11()358]>

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