Kaneda Copyright Agency ホームに戻る
カネダ著作権事務所

著作権判例エッセンス

HOEHLING v. UNIVERSAL CITY STUDIOS, INC., 618 F.2d 972 (2nd Cir. 1980)
<著作権は「歴史的事実に対する解釈」(the interpretation of historical facts)を保護するか>

【概要】

本ケースにおける争点は、著作権は「歴史的事実に対する解釈」(the interpretation of historical facts)を保護するか、という点にありました。

控訴人は、事故調査報告書、当時の記事や関連書籍の研究、関係者へのインタビュー等を行い、実在したある有名な飛行船”Hindenburg(ヒンデンブルク)号に関する書籍を出版しました。何年か後になって、被控訴人が、同じ飛行船に関する書籍を出版しました。被控訴人書籍を出版した出版者は、同じく被控訴人である映画会社に被控訴人書籍の映画化権の売り込みに成功しました。被控訴人らの映画の公開予定を知った控訴人(原審の原告)が著作権侵害及びコモンロー上の不正競争を理由に被控訴人ら(原審の被告ら)に対し提訴したのが本ケースです。
控訴審である第2巡回区控訴裁判所は、著作権侵害を証明するためには、控訴人は、被控訴人らが控訴人の書籍をコピー(複製)したこと、及び彼らが控訴人の表現を不法に利用したことを立証しなければならないところ、控訴人のストーリーは歴史的解釈に基づくもので、それ(その歴史的解釈)は控訴人の書籍に対する著作権によって保護されるものではない、と結論づけました。
(注)”Hindenburg(ヒンデンブルク)号は、ヒトラーの時代にドイツで建設された巨大で豪華な飛行船のことです。この巨大飛行船が、フランクフルトから合衆国に向けた飛行中、193756日、New JerseyLakehurst上空で突然爆発炎上しました。この事故(事件)を巡っては、公式な事故調査が行われ(なお、公式な見解では、サボタージュ(何者かによる破壊工作活動)の可能性を排除できないとしていた。)、また、新聞や雑誌等のメディアも当時この事故を大きく取り上げ、さらに、後になって、さまざまな研究者や作家による、この爆発炎上事故(事件)に関する書籍が出ています。

【「歴史的事実に対する解釈」の要保護性】

本ケースにおける第2巡回区控訴裁判所の基本的なスタンスは、次の判示部分に端的に表れています:
「発行された著作物にかかる著作権の付与は、そこに含まれる表現に対して、ある限られた期間の独占権として、その著作者に認められるものである。著作権は、オリジナルな作品を創作することによって既存の知識をさらに集積[集大成]させる者に対して、経済的なインセンティブ(動機づけ)を与える。それにもかかわらず、著作権者に与えられる保護は、決して歴史[史実]には及ぶことはない。このことは、たとえその歴史[史実]が、文書的資料によって立証された事実であっても、又は説明的な(歴史的)仮説であっても同様である。この法理を支える理論的根拠は、知識のもとは、歴史[史実]がすべての者にとって共有財産である時に最もその有用性を発揮し、そして、あらゆる世代は、過去の知見や見識を自由に活用することができるという点にある。それ故に、歴史[史実]に係わる記述に対する著作権による保護の範囲は、実際のところ、狭いものとなり、その保護の範囲には、すでにパブリックドメインに帰した特定の(歴史的)事実や理論[学説]を当該著作者が創作的に表現した部分のみしか含まないことになる。我々の前にある本ケースが示すがごとく、他人の表現を大量に不法に利用する行為がない場合には、歴史[史実]に係わる作品が問題となる場合における著作権侵害の請求は、めったに容認されないのである。」

A grant of copyright in a published work secures for its author a limited monopoly over the expression it contains. The copyright provides a financial incentive to those who would add to the corpus of existing knowledge by creating original works. Nevertheless, the protection afforded the copyright holder has never extended to history, be it documented fact or explanatory hypothesis. The rationale for this doctrine is that the cause of knowledge is best served when history is the common property of all, and each generation remains free to draw upon the discoveries and insights of the past. Accordingly, the scope of copyright in historical accounts is narrow indeed, embracing no more than the author's original expression of particular facts and theories already in the public domain. As the case before us illustrates, absent wholesale usurpation of another's expression, claims of copyright infringement where works of history are at issue are rarely successful.

控訴人であるA. A. Hoehlingは、彼自身による綿密な調査を基にして、1962年、『誰がヒンデンブルク号を破壊したか?』(Who Destroyed the Hindenburg ?)というタイトルの書籍を出版しました。控訴人の当該書籍は、事実を基にした読み物(ノンフィクション)として公表され、客観的で報告的な記述スタイルで書かれていました(His book is presented as a factual account, written in an objective, reportorial style.)。
(注) Hoehlingは、彼の書籍に中で、ヒンデンブルク号にはナチスドイツのプロパガンダの道具の1つとしての役割があったと記述するとともに、結論として、最も可能性があるのは、ヒンデンブルク号爆発炎上事故(事件)は、ヒンデンブルク号の「整備工」("rigger")の1人であったEric Spehlの破壊工作活動によるものである、というものでした。そして、Spehlがそのような破壊活動をした動機は、ナチスの不敗神話を打破するために献身していたある女友達を喜ばれるためであった可能性があるとしていました。

Hoehlingの書籍出版から10年後、Michael MacDonald Mooneyは、『ヒンデンブルク号』(The Hindenburg)というタイトルの書籍を出版しました。Mooneyの作品は、ヒンデンブルク号爆発炎上事故(事件)という悲劇を取り巻く実際の出来事を通して、数多くの象徴的なテーマを織り込んで、歴史的な読み物というよりは、文学的な読み物として特徴づけることができました(Mooney's endeavor might be characterized as more literary than historical in its attempt to weave a number of symbolic themes through the actual events surrounding the tragedy.)。彼の主要なテーマは、(当該悲劇が起こった)5月という月の自然美を、「技術」の、冷たくて、人為的な進歩と対比させるところにありました(His dominant theme contrasts the natural beauty of the month of May, when the disaster occurred, with the cold, deliberate progress of "technology.")。
(注)Mooneyの作品において、Spehlは、感性豊かな熟練工として描かれていて、また、ヒンデンブルク号は、Spehlのそのようなキャラクターとは対照的に、技術の象徴として捉えられていました。そして、ヒンデンブルク号爆発炎上事故(事件)-MooneySpehlが爆弾を仕掛けたものとしているーを、技術に対する自然の究極的な勝利(the ultimate triumph of nature over technology)として描きました。なお、本ケースにおいて、Mooneyは、自身の作品を書き上げるに当たって、Hoehlingの書籍の記述も参考資料の1つとしたことは認めています。

Hoehlingが彼の書籍に対して有効な著作権を有していることに異論はありません。しかしながら、著作権侵害を証明するためには、Hoehlingは、被告らが彼の作品を「コピーした」こと、及び彼の「表現」を「不法に利用した」ことを立証しなければなりません(To prove infringement, however, he must demonstrate that defendants "copied" his work and that they "improperly appropriated" his "expression.")。そして、通常、不法な利用は、著作権によって保護され得る表現との「実質的な類似性」を証明することによって示されます(Ordinarily, wrongful appropriation is shown by proving a "substantial similarity" of copyrightable expression.)。
Hoehlingの第一の主張は、被控訴人らは(MooneyUniversalの双方とも)、自分の書籍の根本的なプロット、すなわち、Eric Spehlは、その女友達に感化されて、ヒンデンブルク号に爆弾を仕掛けてその巨大飛行船に対して破壊工作を行ったという筋書きをコピーした、というものでした(Hoehling's principal claim is that both Mooney and Universal copied the essential plot of his book i. e., Eric Spehl, influenced by his girlfriend, sabotaged the Hindenburg by placing a crude bomb in Gas Cell 4.)。しかしながら、控訴裁判所は、このHoehlingの主張を認めず、かえって、被控訴人らは、彼らのプロットは、Hoehlingのそれとは実質的に類似していないことを説得力をもって示したと認定しました(例えば、Hoehlingの作品中のSpehlは、その共産主義者の女友達を喜ばせるためにヒンデンブルク号を破壊したとしているのに対して、Mooneyの作品におけるSpehlは、テクノロジーの時代に対する反感が動機となってヒンデンブルク号を破壊したとしている)。

一方、被控訴人サイドは、Hoehlingのプロットは、「アイディア」であって、アイディアは、著作権法においては保護されないとも主張しました。これに対し、Hoehlingは、アイディアそれ自体は著作権の対象ではないが、自身のアイディア(プロット)の「表現」は著作権によって保護されていると反論しました。この議論に関し、控訴裁判所は、フィクションの分野では、あるアイディアとその表現との区別はとりわけ曖昧である[わかりづらい]works of fiction, where the distinction between an idea and its expression is especially elusive)と認めながらも、一方で、本ケースのように、問題になっているアイディアが歴史上の出来事に対する解釈である場合には、そのような解釈は、著作権法上、保護されるものではないと認定しました(But, where, as here, the idea at issue is an interpretation of an historical event, our cases hold that such interpretations are not copyrightable as a matter of law.)。そして、「歴史上の問題や出来事に取り組もうとする著作者に冷や水を浴びせるような効果を与えないためには、理論[学説]やプロットを含めて、歴史上の題材を利用する著作者(後に続く著作者)に対し、幅広い裁量(ここでは、歴史上の題材を自由に使える権利のこと)が与えられなければならない」(To avoid a chilling effect on authors who contemplate tackling an historical issue or event, broad latitude must be granted to subsequent authors who make use of historical subject matter, including theories or plots.)と続けています。

本ケースにおいて、Eric Spehlがヒンデンブルク号を破壊したという仮説は、いくつかの歴史的事実(例えば、Spehl自身の生涯や彼の女友達の反ナチ活動等)に対する解釈に基づくものです。そして、そのような歴史的解釈は、たとえそれがHoehlingのオリジナルの解釈に係るものであっても、著作権によって保護されるものではなく、後に続く著作者によって自由に利用され得るものなのです(Such an historical interpretation, whether or not it originated with Mr. Hoehling, is not protected by his copyright and can be freely used by subsequent authors.)。

歴史的なテーマを扱う作品においては、後の著作者が先の著作者の表現をまるまる利用するものでない限り、先の作品の成果(知識)を利用することができるものと解されます。「知識というものは、あらたに歴史的なテーマを扱う作品の著作者に対して、先人たちの作品に基づいて相対的に自由に創作できる途を与えることによっても、拡大する」(Knowledge is expanded as well by granting new authors of historical works a relatively free hand to build upon the work of their predecessors.)ものであり、このことは、「学術及び有用な技芸の発展」(アメリカ合衆国憲法第1編第8条第8項参照)を促し、究極的には社会公共の一般的利益の増進へとつながっていくものとなります。

なお、最後に付言すると、本ケースにおいてHoehlingは、さらに、例えば、「飛行前の、ドイツ風のビアホールでのヒンデンブルク号クルーによるドンチャン騒ぎの1シーン」や、「‘Heil Hitler’のような、当時のドイツでの一般的な挨拶」といった、作品中の1シーンやフレーズに係わる類似性についても主張しました。しかし、これらの要素は、いわゆる「ありふれたシーン」(scenes a faire)、すなわち、「ある特定のトピックを扱う際に実際問題として避けては通れないような[必然的に登場する]、若しくは少なくとも標準的な、出来事、キャラクター又はセッティング(場面設定)」("incidents, characters or settings which are as a practical matter indispensable, or at least standard, in the treatment of a given topic")にすぎないものと捉えられます。そして、一定の「ストック」や標準的な文学的小道具(仕掛け)を用いることなく特定の一時代や小説的なテーマについて記述することは事実上不可能であることから、控訴裁判所は、上述のような「ありふれたシーン」は著作権法上保護されるものではないとあらためて判示しました(Because it is virtually impossible to write about a particular historical era or fictional theme without employing certain "stock" or standard literary devices, we have held that scenes a faire are not copyrightable as a matter of law.)。

一覧に戻る