越乃雪 Koshinoyuki 長岡市
越乃雪(こしのゆき、越の雪)は、新潟県長岡市の大和屋が製造する落雁である。山川、長生殿とともに日本三大銘菓の一つとされる。 越後産のもち米から作ったみじん粉に和三盆を合わせ、型に押し固めて四角く整形して作られる。和三盆は少し褐色がかった色を持つが、粉砕した粉砂糖をまぶすことで、見る角度によって雪原のようなきらめきが見える。 大和屋の歴史は古く、長岡城下の千手町村で金物商を営んでいたのだが、当主庄左衛門は薬種にも関心を抱いていた。そこで糯米お粉にした寒晒粉に当時、薬とも言われた和三盆を加えた菓子を考案していた。 安永7年(1778)、長岡藩9代藩主である牧野忠精が病に伏され、心配した近臣の一人が、大和屋の庄左衛門に相談した。 庄左衛門は当時考案していた菓子を献上した。長岡藩9代藩主である牧野忠精が病に伏され、心配した近臣の一人が、大和屋の庄左衛門に相談した。 結果、忠精の食はみるみると回復し、病を改善するに至った。喜んだ忠精は庄左衛門を召し、『実に天下に比類なき銘菓なり、吾一人の賞味はもったいなし、之を当国の名産として売り広むべし』と称賛すると、この菓子に「越乃雪」の名を与えたのだった。 以後大和屋では金物商と兼業で「越乃雪」の製造が続けているが、この年を大和屋の創業年としている。牧野家を通して、将軍家をはじめ、諸大名や公家などにも献上されるようになった。 長州の吉田松陰の愛弟子で奇兵隊を創設した高杉晋作には、越乃雪にまつわる逸話が残されている。 慶応2年(1866)7月頃から肺結核に冒された晋作は、翌年(1867)に入るとかなり病状が悪化し、本人も回復の見込みがないことを感じていたという。 奇兵隊の一員として晋作の薫陶を受けた三浦梧楼は、臨終(4月14日)の10日程前に晋作を見舞った際のことを以下のように回想している。 ふと傍らを見ると、小さい松の盆栽があつて、その上に何か白いものをいっぱい振りかけてあるから、「これは何んですか」と聞くと、「俺はもう今年の雪見はできないだろうから、この間文具屋の硯海堂が見舞にくれた「越の雪」を松にふりかけて雪見のなごりをやっている所さ」、と微笑していたという。 🤩2023年」11月、国の登録有形文化財である本店を改装し、リニューアルオープンした。築80年近い商家のたたずまいを守りながら、新たにカフェスペースを設けた。 株式会社 越乃雪本舗大和屋〔所在地〕長岡市柳原町3-3〔連絡先〕 ☎0258-35-3533 〔アクセス〕
〔HP〕http://www.koshinoyuki-yamatoya.co.jp/ |
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