中山隧道 Nakayama tunnel 長岡市



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@じゃらん
山古志や魚沼の山の中には、戦前から地元の村人たちが自分たちの手で何年もかかって掘った素掘りのトンネルがいくつかあった。雪が降れば陸の孤島となり、病人が出ても医者は来てくれない。大雪の年は食料も途絶える。人一人がやっと通れるようなトンネルで隣村と往き来した。
その中でも中山隧道は、長岡市と魚沼市間にある国道291号の旧道のトンネル。昭和初期、住民がツルハシで掘った、全長877mの日本一長い手掘りの隧道(ずいどう=トンネル)。
かつての小松倉集落では、日用品の買い出しなどで約12キロ離れた旧小出町に行くには、中山峠を越える必要があった。峠道は4キロ以上もあり、周辺は数メートルの雪が降り積もる豪雪地帯。医者もいなかったため、冬に急病人が出れば、病人を背負って命がけで峠越えをしなければならなかった。
山古志でも最奥にあった東竹沢村長に当選した松崎利得は、金銭面で反対者もあった中で、「トンネルなら土地買収しなくて済むからカネはかからん。おれたちで、仕事のない冬場に掘ればいい。長さ500間(900m)とみて、1年に20間(36メートル)掘れば25年後に開通する」と言って住民を説得した。林道の名目で県の補助を受け、そのうち反対していた村民も仲間入りした。
1933年(昭和8)から1949年(昭和24)、太平洋戦争で一時中断したが、16年の歳月をかけ、旧小松倉集落住民は自らツルハシでこの「命のトンネル」を掘り抜いた。1949年(昭和24)春、ついにトンネルが貫通し、悲願が達成された。このように住民の労働奉仕によってできたのが中山隧道だ。

その後、松崎利得は上京し、当時首相だった田中角栄に手記『中山隧道の記録』を手渡している。田中は、ロッキード事件で逮捕され、拘置所でこの本を読んだという。「地域の格差是正」が田中の政治信条であり、この本に感銘を受けた。
出所した田中は、奥只見から小出に抜ける道路を、大きく迂回させて中山隧道をそのルートに入れるよう県や建設省に働きかけ、1981年(昭和56)国道に昇格させ、国道291号とした。その後、新しい中山トンネルが掘削されることとなった。政治路線といわれれば、その通りだが、それが田中だった。

関連作品としてドキュメンタリー映画「掘るまいか 手掘り中山隧道の記録」がある。2006年(平成18)に土木学会選奨土木遺産に選定された。現在も残るツルハシの痕跡など先人達の偉大なエネルギーと苦闘の歴史を伝えてくれる貴重な土木遺産となっている。
隧道は現在、崩落の危険性があると、長岡市は2016年(平成28)度から本格的な保全工事を進め、小松倉側から約70メートル地点までのみ隧道内部の見学が可能。

  • ❏〔所在地〕 長岡市山古志小松倉~魚沼市 ※GOOGLE 画像
  • ❏〔アクセス〕
    • 🚅…JR上越線「越後堀之内駅」より車で25分
    • 🚘…関越自動車道「堀之内IC」より車で15分
  • ❏〔駐車場〕 15台
  • ❏〔問い合わせ先〕 0258-59-2343 長岡市山古志支所産業建設課



≪現地案内看板≫

中山隧道の経緯

本隧道は、子々孫々の暮らしの安からんことを願い、我らのツルハシで掘り抜き、49年間村を支えてその役割を中山トンネルに引き継いだものである。

昭和8年11月12日 鍬立て式(山の神の命日)
昭和9年10月 中山隧道開さく期成会結成
昭和14年10月21日 80間(144 m)到達
昭和18年 掘削中断、180間(324 m)
昭和22年 掘削再開
昭和24年5月1日夕刻 貫通、幅4尺、高さ6尺、502.8間
昭和25年 2期工事 幅2 m、高さ2.5 mに拡張
昭和31年 トンネル拡張及び路盤下げ工事
昭和39年 坑内舗装工事
昭和35年 広神側坑口付近が落盤
小松倉住民がコンクリート巻き立て工事を施工し補修
昭和56年 照明工事
平成7年 山古志側坑口のコンクリート巻き立て工事(延長9 m)
平成8年 広神側坑内のモルタル吹付工事 延長214.9 m
平成10年 道路規制 幅1.4 m、高さ1.5 m、長さ875 m
平成10年12月14日 中山トンネルに役割を引き継ぎ新生

平成10年12月
小松倉自治会記す





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