裸押し合い祭り(南魚沼市浦佐) 裸押し合い祭り
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☆ 裸押し合い祭り(南魚沼郡浦佐町) ☆
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久しぶりに訪れた普光寺の毘沙門堂は、せみ時雨の中にあった。数百年の歴史を持ち、 わが国の三大奇祭の一つと知られる浦佐裸押し合い祭りの舞台がここである。
 祭は毎年三月三日に行われ、信者より奉納された大ローソク(四十kg)数百本に点火さ れ行われる諸行事は見る祭典として「北越雪譜」の中に詳しく記されております。
 1,200年前に坂上田村麻呂により建立された普光寺毘沙門堂の本尊に、多くの信 者が他人より早く祈願しようと押し合ったのを起源とする祭りです。以前は毎年正月3 日に行われましたが、明治六年から3月3日に行われる様になりました。
「正月三日に年男参りたりや」「まんぐわに手がけて春は来たりとのはら」「黄金に花 が咲き、四っつのすみのように」と年男たちが音頭を取り、簓をすりあげると、その年 男を囲み、大きな蝋燭を持った若者を先頭に、裸に晒し姿の数百人の男たちが、冷たい 池に飛びこみ水行(みずごり)で体を清めた後、その年の除災招福を祈願するために「さ んよ(散与)、さんよ」の掛け声と共に五穀豊穣、家内安全、身体健康を願い、ご利益 の御札を我先に奪い合い、もみ合う勇壮なこの雪国の祭は、こうして深夜に及ぶ。
普光寺の県内外の講中は七十余り、当の3月3日の夜は、その信者たちと数万の見物人 で境内と浦佐の通りは埋め尽くされる。あまたの出店を冷やかして回り、名物のカジカ 酒に酔いしれるうちに、祭はやがて幕を閉じ、境内に冷気が訪れる。この祭は、伝統的 に浦佐の若い衆(現在は多聞青年団)によって取り仕切られ、町を上げての行事となっ ている。
境内の一角には彫刻家北川岸次の彫像があり、境内のすぐしたには井口喜夫の「流転像 」が立っている。二人とも浦佐出身の傑出した芸術家であ。 (歴史紀行)

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☆ 裸押し合い祭りの言い伝え ☆
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昔、浦佐に杢市というあんまが住んでいた。ある冬の寒い晩、毘沙門堂の納所坊主、珍 念に頼まれ、うす暗いお堂の中で一生懸命に珍念の体をもんでいた。そのうち杢市の顔 がだんだん青ざめ、体がぶるぶる震え出したが、そのうちキャーという声をあげて、ひ っくり返ってしまった。
杢市は珍念をもんでいるうちに、珍念の骨組みが人間でないことがわかったからだ。見 破られたと知った珍念の顔は、見る見る変わっていった。口は耳まで裂け、目はらんら んと輝き、大きな牙が生えていた。そして今にも飛びかかろうとしていた。その姿は何 百年も生きてきた大きな山猫だった。山猫は、 「今夜のことを人に話すと命はないぞ」 といって、闇の中へ姿を消した。
この話は翌日村中に伝わった。村人たちは総出で、夕方まで山狩りをして山猫を探した が、どこにもいなかった。そこで夕方毘沙門堂へ引き上げ、元気付けのためお堂を囲ん で、押し合い、へし合いして騒いだ。
そのときお堂の天井浦に隠れていた山猫が、この騒ぎにビックリして飛び出した。しか し大混雑で逃げることができず、とうとう人々の足の下になって踏み潰されてしまった 。それが旧暦の1月3日の夜だった。
それから村では、この山猫胎児を記念して、毎年1月3日(現在は3月3日)に、退治 した山猫の皮を敷き、当時の混雑をしのんで、押し合い祭りをすることになった。 (新潟県伝説集成)

■名称 浦佐毘沙門堂
■所在地 新潟県南魚沼市浦佐2495
■問い合わせ 025-777-2001

浦佐付近




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