鈴木牧之 南魚沼市



明和7年1月27日(1770年2月22日)〔生〕 - 天保13年5月15日(1842年6月23日)〔没〕

江戸や上方には、雪に苦しむ豪雪地のことなど、全く知られていなかった。その雪国の実態を伝えることに、生涯をかけたのが鈴木牧之だった。

牧之は明和七年(1770)正月27日、越後塩沢の縮仲買商の家に生まれた。本名を儀三治といった。俳諧をたしなむ父に学問を学び、長じては絵師につき、禅僧に漢詩を学んだ.天明6年(1786)5月十七歳の時、縮の商いで江戸に出た。三国峠を越え関東地方に入ると、越後とはまったく異なる世界が広がり、雪深い郷土の特異性に感銘を受ける。
江戸には二ヶ月滞在し、書塾に入門もした。後に一流の文人たちと交わる基礎は、こうして築かれた。

牧之は家業の綿問屋と質屋を手堅く守りながら多くの俳句や絵や著述を残した。その代表作『北越雪譜』7巻は江戸時代のベストセラーとなった。

『北越雪譜』出版をめぐる山東京伝との文通が始まった時、牧之は二十代の若さだった。牧之は綿を背負って江戸に商売に行った際、当時江戸における人気戯作者山東京伝に出版を依頼したが、難航しているうちに京伝は世を去った。滝沢馬琴が引き継いで世に出すことを約してはくれたが、何年経っても実現せず、結局、京伝の弟京山の手で、ようやく『北越雪譜』は刊行にこぎつけたのだった。京山との関係のよくなかった馬琴は牧之の原稿を返さず、新たに書き直すしかなかった(『鈴木牧之―雪国の風土と文化』新潟県教委発行)というから、出版にいたるまでの辛酸・労苦は想像に余りある。

『北越雪譜』『初編』の上梓は天保七年(1836)、最初の構想から四十年近くが経過していた。

牧之はまた文政11年(1828)信越国境の秘境、秋山郷、現在の中魚沼郡津南町に旅をして『秋山紀行』2巻を著している。平家の落人伝説で知られ、名だたる豪雪や飢饉に苦しむこの地方の生活や習俗、人間の哀歓をつぶさに観察し、牧之一流の名文で描写している優れた紀行文である。

また牧之は、町年寄格として苗字帯刀を許されたほど家業には精通するといった合理主義者でもあった。

《牧之の晩年》
牧之は、生涯で6人の妻を娶ったが、ほとんど離別している。最後の妻りたが牧之の死を看とっている。
自分の息子も結核で失い、娘婿を、刈羽郡高柳町の旧家村山家からもらっているが、牧之とは折り合いが悪かったという。牧之は家庭的には恵まれない人であった。
そして天保13年(1842)5月15日72歳の生涯を終える。

新潟県塩沢町は、「雪の文化館」の別称も付けた鈴木牧之記念館を鈴木家の菩提寺長恩寺境内に建て、忘れてならない過去を伝えようとしている。


墓所
〔所在地〕新潟県南魚沼市塩沢371 長恩寺


鈴木牧之記念館(⇒)
〔所在地〕新潟県南魚沼市塩沢1112−2
〔アクセス〕
  • 電車…JR上越線「塩沢駅」から徒歩で10分
  • 車…関越自動車道「塩沢石打IC」から車で15分
〔鈴木牧之を紹介しているサイト〕





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ジャンル:おにぎり
アクセス:JR上越線塩沢駅 徒歩13分
住所:〒949-6408 新潟県南魚沼市塩沢471-11(地図
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情報掲載日:2015年4月28日



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