塩の道 新潟県糸魚川市

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上杉謙信が敵将武田信玄の領国甲斐・信濃に塩を送ったという話は戦国の世の美談として人口に膾炙している。

永禄10年(1567)12月6日、信玄が三国同盟(甲斐・相模・駿河)を破って駿河(静岡県)へ侵攻すると、今川氏真は相模の北条氏康とはかり、報復措置として、信玄の領国へ塩を送る事を全面的に禁止した。戦国大名が取った経済封鎖政策の一環である。

塩留めとなれば、甲斐・信濃領民の困惑ぶりは、想像にあまりある。このことを知った謙信は、「信玄と争うところは、弓箭(戦争)にある。米塩ではない」と、以前と同様に塩を輸送するよう蔵田五郎左衛門に命じた。そのため武田の領民は、蘇生の思いをなし、深く謙信の高義を感じ、その厚志を徳とした。

義塩に感謝した信玄が、そのお礼に謙信に送った伝えられている太刀一振(塩留めの太刀)が、東京国立博物館に所蔵されている。

永禄12年正月11日、越後からの塩が、雪中、糸魚川街道(松本街道)を経て深志城下(松本城、長野松本市)に到着した。喜んだ人々は、謙信の徳をたたえ、この日を塩市とし、御神塩を分け合った。この塩を正月15日の粥に入れて食べると、病気にかからないと伝えられている。塩を運んできた牛をつないだ「牛つなぎ石」が、松本市の繁華街にある。いつの頃からか、ここで飴が売られ、飴市と呼ばれるようになった。今日でも飴市が開かれている。

塩送りの美談は、後世の創作であるとはいいきれない。四百年以上、語り継がれてきたのであるから。塩は古くから商人たちによって、信濃へ送られていた。したがって、謙信が塩を送ったというよりも、謙信が塩商人の往来を黙認していたと言った方がよいかも知れない。

(出展:新潟県の不思議辞典)



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