竹前兄弟と紫雲寺潟干拓 (新発田市)



 加治川右岸に広がる水田、米子・真中・塩津などの村が点在する紫雲寺郷(北蒲原郡紫雲寺町)の地は、今からおよそ240年前に開発された土地である。
 日本海岸の砂丘の内側に広がる紫雲寺方は「塩津潟」とも呼ばれていた。横6キロ、立て4キロもある湖は、かつて漁業が営まれ、舟の往来も盛んであった。
塩津潟は加治川をはじ め、菅谷川、舟戸川など大小多数の川が流 れ込み、周辺地域の水難防止を目的とした遊水地にされていた。
潟縁の地の開発が進むにつれ、水害をこうむる度合いを増し、連年の不作で潟周辺の百姓は苦しんでいた。この湖を干拓し、水田造成をもくろみ、一身を賭して干拓事業を遂行したのが竹前権兵衛・小八郎の兄弟であった。
 当時、全国各地域で人口が増え続け、食料が不足し生活に困窮する人が増え続けていたので、幕府は享保の改革の一環として、財を持っている人による「新田開発」を推奨していた。
竹前権兵衛は信州(長野県)高井郡米子村で代々庄屋を努め、山林を持ち、硫黄鉱山の採掘も行っていた。また、幕府などに硫黄を売り込むために江戸の町に出店を設け、弟小八郎に店の経営にあたらせるなど、地方出身の新興商人でもあった。

 竹前兄弟が潟開発を思い立ったのは、商用で館村(新発田市)領主松平邸に出入りしていたとき、たまたま潟端の館村領民の水難などの訴えを聞き、開発可能な情報を得たのがきっかけであった。竹前兄弟は現地を確かめ、開発への決意を新たにした。

 二人の計画は、私費で約5千町歩の新田を開こうとするものであった。資金不足を補うため、江戸の屋敷などを町人会津屋佐左衛門に質入し、二千両を得るなど、私財を投げうって大事業にのぞんだ。

 工事は、弟小八郎が現地におもむき藤塚浜不動院を事務所とし、享保12年(一七二七)6月、紫雲寺潟周囲の実測から着手された。湖の周辺の土地は、ほとんどが幕府領で一部が新発田藩のものだった。12月には幕府から開発の許可がおりた。広大な湖を眺めるにつけ、事の成就に不安の去来する小八郎は、小舟を潟の真中に浮かべ、工事完成を一心に祈願したと伝えられている。
 その後、柏崎の町人宮川四郎兵衛と養子儀右衛門を出資者に加え、また信濃亀倉村の竹前久右衛門や信濃鴨原村の水沢新右衛門などの協力を得て工事はすすめられた。宮川家は紀州流の土木事業家として、加賀藩など各地の以来によって新田開発を成功させ注目されていた。主要な工事は、潟の水を直接海に落とす落し掘(現在の落堀川)掘削工事、加治川の水が潟に流入するのを防ぐ加治川境締め切り工事などであった。落し堀(現在の落堀川)工事には、延べ2万8千人余の人々が立ち働いたという。
工事の幾多の障害のなかで、最大の悩みは、潟周辺農民の妨害や新発田藩の反対運動であった。とくに新発田藩では、遊水池として作用していた紫雲寺潟が干拓されることにより、洪水の際の被害の増大をおそれたからであった。竹前小八郎は、こうした問題解決のための心労が重なり、享保14年、工事完遂のめども立たない中で北越の荒野に病死した

 工事は兄の権兵衛によって引き継がれ、幾多の経過の後、享保17年干拓地にとうとう新しい田が生まれた。しかし、916両余の資金を投入しても工事はなお完成せず、資金不足で工事進捗は困難となった。

 幕府は竹前家中心の工事進捗を危ぶみ、塩津潟干拓地を全部没収し、幕府が中心となって工事を続行した。その際500町歩を権兵衛に与え、残りの1500町歩を新発田藩領民の希望者のうち17人に与えて、その後の開発を任せた。塩津潟の新田開発は、新発田藩の町人などによって続けられた。
権兵衛は、幕府からもらった土地のうち、200町歩を宮川四郎兵衛、成田佐左衛門に分け与えた。また工事のため犠牲になった人のため、紫雲寺潟とうい寺を建立したという。
こうして享保19年、干拓工事はついに完成した。徳川吉宗の享保改革により新田開発が奨励され、全国に無数の新田が開かれたが、ここ紫雲寺潟開発が最大であり、しかも町人普請として着目された。
翌年,新田村42村が誕生し、紫雲寺郷農村の建設が開始された。しかし、この年の冬、信州や越後各地から入植し、竹前家など開発地主のもとで工事に従事した農民たちは、耕地の所有権を主張して江戸に越訴した。こうした地主と小作人との争いは、その後も解決されず問題は明治以降にまで持続したのであった。
 竹前権兵衛は寛延2年(1749)3月3日,71歳でその生涯を閉じた。竹前権兵衛・小八郎の墓 は紫雲寺町米子(紫雲寺墓所内)にある。米子の地名は、竹前家の故地、信州高井郡米子村(現須坂市)にちなむものである。
紫雲寺潟干拓の中心的役割を果たした竹前権兵衛、小八郎兄弟、成田佐左衛門、宮川四郎兵衛らの功績をたたえるため、宮川家の子孫が文政13(1830)年に決湖開田の碑を建立した。



竹前権兵衛・小八郎兄弟の墓所
〔所在地〕新潟県新発田市米子18 紫雲寺

決湖開田の碑
〔所在地〕新発田市大島(旧住吉神社境内 大島公会堂脇)
〔アクセス〕
竹前兄弟を紹介しているサイト



決湖開田の碑   地図 ストリートビュー














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