平維茂 阿賀町



平維茂(たいら これもち) ?〔生〕~?〔没〕

平安時代の終わりごろ、越後の北部に本拠をかまえた城氏は、越後から会津地方にかけて勢力を張り、まさに越後を代表する大豪族でした。
城氏はもともと10世紀後半から11世紀前半に越後国を支配していた平維茂(平氏の一族)の子孫で、 越後平氏の有力豪族です。
平維茂は桓武平氏の流れをくみ、平貞盛の養子となりますが、それが十五番目の子にあたっていたので余五といわれ、のちに鎮守府将軍というくらいについたので、余五将軍とよばれるようになりました。
この余五将軍の子平繁成は、前九年の役の前年(永承6年・1050年)出羽国の秋田城介に任命されている。それ以後、この一族を城氏と呼ぶようになったのです。
平繁成は11世紀中庸に勃発した前九年の合戦に際しては、陸奥奥六軍の安倍氏を討つため、先鋒の役割を果たした人物としても知られています。

東蒲原郡三川村岩谷に、国の重要文化財に指定されている薬師堂のある平等寺というお寺がありますが、このお寺は余五将軍が「作ったといわれています。
 余五将軍が船で川を下っていると、阿賀野川の中から神々しい光が発しているのを見つけ、不思議と思い拾い上げると黄金色に光る薬師如来像だった。平維茂は神意と悟り付近の高台に堂宇を建立し薬師如来像を祀り平等寺としたのが始まりとされます

また近くには余五将軍の墓もあり、そこには天然記念物の杉の大木があって、将軍杉と呼ばれています。維茂を埋葬後に目印として植えられたと伝えられています。

このほかには、余五将軍の夫人が身を投げたといわれる御前ヶ渕があり、上川村安用には夫人が隠れていたという岩窟があります。
『維茂夫人は御前ヶ遊窟(ごぜんがゆう)という山深い洞窟に住んでいました。夫である維茂の死期が近くなり、3月10日の明方までに来なければ間に合わないと知らせが届きました。夫人は急いで夫の元へ駆け付けるが夜明けの鶏の声を聞き、夫の死を悟った夫人は阿賀野川へ身を投げてしまいます。身を投げた場所を御前ヶ鼻(ごぜんがはな)といいます。しかし鶏の声は天邪鬼(あまのじゃく)のいたずらだった。それ以来この土地の人は鶏を食べないと云われます』

このように、このあたりにはいくつかの伝説がありますが、どれも余五将軍に関係のあるものです。

〔墓所〕
  • ・別所温泉 将軍塚 
        長野県上田市
  • 平等寺内将軍杉 鎮守府将軍平維茂碑並銘 
        新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷
〔周辺の観光施設〕
  • 平等寺
    〔所在地〕東蒲原郡阿賀町岩谷 
  • 将軍杉
    〔所在地〕東蒲原郡阿賀町岩谷
  • 御前ヶ遊窟
    〔所在地〕東蒲原郡阿賀町七名
    〔特徴〕標高846mある急峻な岩山で、山腹に洞窟が点在する

    【新潟県阿賀町】御前ヶ遊窟 - YouTube
  • 御前ヶ淵
    〔所在地〕東蒲原郡阿賀町吉津



  • ①平等寺
  • ②将軍杉
  • ③御前ヶ遊窟
  • ④御前ヶ淵
  • ⑤別所温泉 将軍塚





平維茂ゆかりの宿
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伝えに拠れば、平安時代中期の武将で信濃守であった平維茂が、謡曲『紅葉狩』で知られる戸隠山中での鬼女退治の帰り、岩の間からほとばしり出る温泉を発見してこれを浴びたところ、激闘により衰退した身体が見事に回復した。そこで、維茂は、ここに白山神社と寺を建立し、温泉は長らくその寺湯として守られてきたという。弱い体も金剛のように強くなり,不治の病も治ったので,寺号を金剛霊泉寺と名付けたという。




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