天文16年(1547)、上杉謙信公は常安寺を建立し、その守護神として秋葉三尺坊大権現(秋葉神社)を秋葉山上に遷宮した。 秋葉信仰は火伏せ(火防)の山岳信仰で、その信者は全国に及ぶ。同神社は遠州(静岡)の秋葉山とともに秋葉信仰の二大霊山の一山、江戸時代に幕府から日本総本廟の称号を与えられていた。 火伏の神の祭りは、毎年7月24日、三尺坊の祥月命日の夜開かる。 夜8時、暗く静まる秋葉の山に法螺貝の音が響き渡る。松明をを灯す修験者に先導された行列は、常安寺を出て127段の石段を登り、結界の組まれた秋葉公園を目指す。結界正面には、三尺坊を勧請した神輿が据えられる。 祭りは、この神輿の前で修験者による降神の儀式から始まり、結界へと移る。宝弓で四方を射る破魔矢の儀、神剣の儀が行われ、周囲が清められる。結界中央の焚壇が点火されると祭りは最高潮になり、秋葉真言と激しく燃える聖なる神火の周囲では、火性三昧秋葉の火祭り秘法が繰り広げられる。焚壇の火勢が静まるころ、結界の中では火渡りが始まる。毎年、修験者を先頭に千人を超える善男善女が、無病息災・家内安全を願い合掌して渡るという。 また、市街地では前日夜から「うま市」が開催される。かつては越後の三大馬市に数えられるほどの賑わいであったという。現在、馬の姿はないがたくさんの露店が並び、家族連れなど多くの人で賑わう。 (☛ 上杉謙信)
常安寺曹洞宗上杉謙信は、栃尾に在城したおり名刹「瑞麟寺」において学問・禅を学んだ。 常安寺は、天文16年(1547)8月、「瑞麟寺」の住職門察和尚を開山として建てられた。 現在境内には、本堂と庫裏があるが、創建当時の常安寺は七堂伽藍を配した豪華なたたずまいだったという。火災により焼失し、元禄14年に再建され、現在の本堂は昭和54年に建てられたもの。 また、背後の秋葉山上に守護神の秋葉三尺坊大権現がある。
秋葉神社江戸時代、火事を防ぐ『火伏の神』として日本全国に広まったのが『秋葉三尺坊大権現』。秋葉信仰における「火坊日本総本廟秋葉三尺坊大権現」の称号をもって多くの崇敬を集めている。天文16年(1547)、上杉謙信は常安寺を建立し、天文20年(1551)にその守護神として楡原の蔵王堂より遷したと伝えられている。蔵王権現は大同年間に奈良から勧請されたもので、越後一の修験道場であったと伝えられている。その末社が秋葉権現といわれる。 三尺坊は実在の人物で、信濃の戸隠村に生まれ、天応2年(782)の4歳の時には既に、越後蔵王権現に修行に出かけた修験者であるという。,10歳の時、いったん戸隠の父親の元に帰り、26歳の時には大阿闍梨となって、蔵王権現堂の第一の坊「三尺坊」を務め、さらなる修行を積んだ。 27歳の時、一切衆生を願って十二誓願を発し不動三昧の秘法を修した。 火生三昧の法を修し,神通不思議の験力を得,飛行昇天したので,秋葉山に合祀し秋葉三尺坊というようになったとも。 静岡にある遠州秋葉山とともに、二大霊山のひとつとして、徳川幕府から秋葉信仰第一総本廟の称号を与えられ、今も全国から参拝者が訪れる。 安永5年(1776)築の拝殿の奥には、弘化3年(1846)に落慶した総欅彫りの「奥の院」がある。 石川雲蝶と熊谷源太郎の2人が土台から破風に至るまで、8年の歳月を費やした圧巻の彫刻でも有名。和様と唐様の折衷式。 127段の石段を下った所に、この神社の別当を勤める名刹・常安寺があり、霊験あらたかな火伏のおふだはこの常安寺でいただける。
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秋葉の火祭りまで
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常安寺 秋葉神社 秋葉神社 奥の院 謙信公銅像