《金峯神社の流鏑馬》毎年7月15日に、流鏑馬神事が執行される。流鏑馬は源義家公が奥州阿部貞任・宗任の討伐の折に、北陸街道を下降し、当社へ参拝し朝敵降伏を祈願して流鏑馬を奉納した事が始まりと伝えられています。以来国主・領主・氏子崇敬者の外護を受けて連綿として今日まで伝わっている。 午後2時から国家安泰、五穀豊穣の祈祷祭がとりおこなわれ、午後5時頃から2名の騎手が流鏑馬を行う。 昭和46年(1971)長岡市無形民俗文化財に指定。県内では当神社と佐渡に残っているのみで極めて貴重な神事となっております。
金峯神社蔵王堂城跡の二の丸跡にある。旧県社で、近隣の方々には「蔵王さま」の呼び名で親しまれている。古来より鉱山守護の神として崇められ、信濃川での漁業や稲作、信濃川での漁業や稲作、酒造りを長岡に広めたとされる。製鉄、鍛冶の他、金運・縁結びのご神徳があると崇敬されている。社伝によると、奈良時代の和銅2年(709)4月元明天皇の勅願により、北国鎮護のため大和国吉野(奈良県吉野)の蔵王権現を古志郡楡原(新潟県長岡市楡原)の地に勧請したのがその創建と伝えている。その後三島郡矢田(寺泊)へ移され鎌倉中期の仁治3年(1242)、長岡の地に遷座、再興されたという。 元和4年(1618)、長岡藩主になった牧野忠成は、社領40石を寄せ、寛永元年(1624)に社殿を再建。徳川第3代将軍家光の尊信も厚く、慶安元年(1648)朱印300石を安堵した。当時蔵王権現と称した。 明治維新に入り神仏分離の指令を受け、神祇と決し金峯神社・御祭神金山彦命と定め、新潟県最初の県社に列する。別当の安禅寺を分離した。 神域は約13000㎡、樹齢約100年のケヤキをはじめイチョウ、モミジなどが生い茂り、蔵王権現と呼ばれた霊場の趣が今も色濃い。社宝に徳川家光が寄せた玉簾がある。 毎年7月15日には「流鏑馬」。11月5日は鮭を神宮が手を触れないように調理して神前に供え、子孫繁栄を祈願する「王神祭」など、県内でも珍しい神事が行われる。 季節や月ごとに変わる花手水や御朱印、夏詣の風鈴は若い世代にも人気。
🌌蔵王の大欅金峯神社の御神木として崇められている蔵王の大欅は、鎌倉時代寺泊から蔵王に遷座して以来の神木と伝えられ、樹齢は約800年と言われている。昭和38年(1963)に長岡市指定文化財の天然記念物に指定され、四季折々を感じさせる姿を境内にて見せている。樹高 14m。 ![]() |


