「煮」

 「にる」と読むこの文字の下に並んだ小さな四つの点は、烈火点と言って、元は「火」という文字が変形したものです。煮るためには下から火で熱する必要があることに異論はありませんが、上に乗っている文字が「物」ではなくて「者」である点が納得いきません。者は人に使う言葉ですから、火の上で人間が煮られていることになるではありませんか。いったい誰だろう?と疑問を持ったとたん、死んだ祖父が、まだ子供だった私に何度も聞かせてくれた恐ろしい寝物語を思い出しました。

「豊臣秀吉に捕まった大泥棒の石川五右衛門はな、釜茹での刑といって、京都の三条河原に据え付けられた大きな釜に、我が子もろとも入れられてな、生きたままぐらぐらと油で煮られたんや。周りには五右衛門父子の最期を見届けようと大勢の人が集まっとった。五右衛門は初めのうちは我が子を両腕高う差し上げて守っておったんやが、自分が熱うて我慢できんようになったんやな、子供を沈めて足の下に敷いたんやと、悪いやっちゃなあ」

 もちろん「煮」という漢字は五右衛門の時代よりはるか昔から存在しているに違いないのですが、漢字は心の扉を開けるのですね。祖父の話しの影響で、自分が五右衛門になって、生きたまま釜茹でになる夢を度々見た恐怖が蘇りました。

 次第に熱くなる釜の中で子供を頭上に捧げ持ちながら、どうせ捕まりゃしねえよ、と世の中をなめていたことを後悔しました。天網恢々疎にして漏らさず。悪事は必ず露見するのですね。そして、人間一度は死ぬもんだ、磔(はりつけ)で役人の槍にかかるのも、戦場で討ち死にするのも、畳の上で病死するのも、苦しいことに変わりはねえ、だったらやりたいことをやって太く短く生きた者勝ちよ、とたかをくくっていたことの間違いにも気がつきました。同じ死ぬのでも、自分の命が他人の手によってじわじわと奪われるほど、恐ろしくて悔しいことはありません。周囲で笑って見ているやつらにも腹が立ちました。俺はお前たちの知らないこの世の楽しみを味わい尽くしたんだ。同じ時代に生を受けて、後の世に名前一つも残せずにちまちまと生きているお前たちに、面白おかしく生きた大盗賊の俺を笑うことができるのか?そう思う一方で、これまで手に掛けたたくさんの老若男女の顔が浮かびます。思えば随分と惨いことをして来たものです。殺めた人数分だけ同じ苦しみを味わうのが報いだとすれば、たった一度の釜茹でで楽になれるのは幸いではありませんか。

 しかし、そんな考えは油の温度が上がって来ると何の慰めにもなりませんでした。子供を持ち上げている腕がしびれて来ます。片方ずつ足を上げるのですが、釜の底に着いた足の裏は焼けるようです。ここで子供を油の中に下ろせば、父親として我が子を抱きしめてあの世に送ってやれます。しかし自分はそのつもりでも、人はそうは思わないでしょう。熱さに耐えられなくて子供を守るのを諦めたという風評が語り継がれるくらいなら、最期の力を振り絞って、死んでも子供を捧げ持っていたという美談をこそ残すべきでしょう。頭の中を様々な思いがめまぐるしく駆け巡ります。釜を包む炎はいよいよ勢いを増します。両の足の裏は焼けただれ、周囲の観衆のどよめきは高くなり…後は想像したくありません。

 後世の我々に伝わる話しは、最期まで子供を捧げ持っていたという美談の他に、子供が苦しまないように、ひと思いに自らの手で沈めたという説や、祖父の寝物語りの通り、子供を足の下に敷いて釜の熱さを免れたという説まで色々です。五右衛門の墓は京都東山に実在するようですが、私には墓よりもこうして「煮」という漢字を眺めている方が、五右衛門の最期の姿が彷彿として来るのです。