「馬」

 この文字も、『亀』同様、どこから見てもウマにしか見えません。たてがみをなびかせ、四本の足で大地を蹴って、左の方向に疾走しています。漢字って本当に面白いですね。馬の姿が浮かんでくると、私には軽快なリズムの歌が聞こえてきます。


 ロバのおじさんチンカラリン♪

 チンカラリンロンやってくる♪

 ジャムパン、ロールパン♪

 できたて焼きたていかがです♪

 チョコレートパンもアンパンも♪

 何でもありますチンカリラリン♪


 私の中では『ロバのおじさん』ではなく、『ロバのパン屋は』と記憶されています。『チンカラリンロン』は『チンカラリン』と記憶されています。歌詞の曖昧さは残しながらも、ロバがトコトコ歩くようなとぼけたメロディーだけは鮮明に蘇ります。

 ロバに馬車を引かせたパンの移動販売は、昭和三十年代の郡上八幡でもよく見かけました。あの特徴のあるメロディが遠くでかすかに聞こえると、小学生の私は外へ出て、音の方向に耳を澄ませ、馬車がやってくるのを待ちました。

 小さくなって削れなくなった鰹節を、おやつ代わりに何日もしゃぶっていたような貧しい時代でしたから、ロバのパンなど買えるはずもありませんでしたが、ロバを見るのが嬉しくて、次の販売スポットへ移動する馬車のあとをついて行ったのを覚えています。しかし、一度もそんなことを言われた経験はないにもかかわらず、

「おい、坊主、パンを買わないならついて来るな!」

 と突然馬車のおじさんに叱られるような気がして、後ろ髪を引かれるような思いで馬車を見送るときの、さみしいような悔しいような気持ちの方をもっと強烈に覚えています。

 目を閉じると、まだ舗装されていない故郷の道を、しっぽを左右に振りながら、メロディと共に遠ざかって行くロバの後ろ姿がありありと浮かんで来るのです。


 子供たちを育てる間、二十年ほど住んでいた町では、馬は『花馬』と呼ばれて、春の祭りの花形でした。祭りの開催日は四月の十日と決まっていて、日曜日にしてくれなければ困るというサラリーマンたちの要望と、神事の日程は動かすもんでねえという故老たちの意見とが対立して、結局は『神事』という一言が勝利を収めていましたが、ネットを見ると、いつの間にか四月の日曜開催と案内されていますから、神事よりも人間の都合が優先される時代になったのですね。

 祭りが近づくと町内の者は一斉に集会場に召集されました。そこに、赤ん坊の手のひらくらいの大きさに打ち出された桜の花の形の和紙が、段ボールの箱に入れられて山のように運び込まれます。和紙の中心を数枚ずつ貫いたこよりを巻き込むように、竹竿にピンクのカラーテープでくるくると巻き付けると、幅二センチ、長さ二メートルほどの竹の竿は、根もとから先端まで、まるでグラジオラスのような桜の枝に変身します。そうやってできたたくさんの桜の枝の尖った先端を、祭り用の俵 (タワラ) に隙間なく刺すと、外側の竿がたわんで俵は豪華な桜の花籠のようになります。祭り当日だけ調達された四頭の馬は、左右の背中に花籠を固定されて『花馬』となるのでした。

 それぞれの町内が笛と太鼓ではやしながら移動する祭り館に先導されて、花馬は神社境内の広場に集合します。埋めつくす群衆は、合図を待って、引きそろえられた四頭の花馬に我先に飛びついて桜の枝を奪い取ります。持ち帰った桜の枝は大切に保存されてその家を一年間の災厄から護るのです。

 ところが、その年の祭りはちょっとした異変がありました。神社に続く参道の途中に、時ならぬ人だかりができました。見ると、花馬が、幅五十センチ、深さ一メートルほどのコンクリートの側溝に左の後ろ足を落として動けなくなっているのです。馬は、首をもたげて、目をむいて、両の前足で道路をかき寄せるようにして懸命に起き上がろうとするのですが、恐らく骨が折れているのでしょう、足は側溝の中で折りたたんだように固定されてぴくりとも動きません。馬の手配師が側溝の足をしたたかに棒で叩きます。叩いたからといって事態が好転するとも思えませんが、叩かれるたびに馬が全身に力を入れると、褐色の筋肉が盛り上がって虚しく鼻息になりました。境内の花奪い神事を澄ませて戻って来ると、側溝に馬の姿はありません。

 そして、

「ありゃあ、殺処分じゃろう」

 という話ばかりが、まことしやかに伝わって来たのでした。


 この話で思い出したことがあります。

 講演を頼まれてはるばる沖ノ島へ出かけたときのことです。

「島は全島が牧場になっていまして、裾野から頂上まで牛や馬が放牧してあります。今からその様子をご案内しようと思いますが…」

 ひとつ面白いクイズを出してみるのでお考え下さいといって、町の職員から出された問題が次のようなものでした。

「従来、道路には、ふもと近くに簡単な鍵のついた門扉を設置していました。人家まで牛や馬が降りて来ては困りますからね。しかし、我々にとって、手前で車を降りて門扉を開け、通り抜けて再び門扉を閉める手間が面倒でしてね、何とかならんものかと考えあぐねていたのです。まさか電動のシャッターなんて高価なものは取り付けられんですしね」

 あるときアメリカのテキサスへ研修旅行に出かけた者が、大変優れた装置を見てきましてね、車は自由に通り抜けられて、牛や馬はそこから先には絶対に進まないという、この上なく便利で安上がりな装置でした。我々は『テキサスゲート』と名付けて早速取り入れました。さて、我々を長年の悩みから解放してくれた『テキサスゲート』とはどのような装置なのか、ひとつ現場に到着するまでにお考えになってみてください。

 簡単に答えを思いつくはずもなく、車中で散々考えたあげく、正解を諦めた私は、くだんのゲートに到着して目を見張りました。ゲートとは名ばかりで、二メートルにわたって深さ五十センチほどの道路幅の穴を掘り、そこに十センチ幅の鉄の板を十五センチ間隔にかけ渡した、要するに単なる「すのこ」でした。

「牛や馬のように長く細い脚をもつ動物は、この種のスリット状の溝に我々には想像もできないような恐怖を覚えるのです。穴に足が落ちると命取りですからね」

 職員は得意そうにそう説明しました。そして、

「しかし、山火事が発生したような場合は、牛や馬が恐怖を乗り越えて飛び越えられる幅になっています」

 いやあ、テキサスの人たちは頭がいいもんですね、と付け加えてガタガタと車体を震わせながら一気にゲートを渡り終えました。