「錆」

 カネ偏に青と書いて「さび」と読みます。鉄は赤くサビますから、きっとこの文字は鉄ではなく銅の時代にできた文字なのだと思ったとたん、ちょっとまてよ…と思いました。銅のサビは緑青(ロクショウ)と書くように、どちらかというと青みがかった緑であり、記憶の中でも銅製のケトルの隅に発見した錆は、青よりは緑の印象です。なぜ錆は金偏に「緑」でも「赤」でもなく「青」と書くのでしょう。そこでハタと思い当たりました。日本語は青と緑があいまいなのです。

 最近では青色ダイオードの発明で、信号機は正しく青黄赤の三色が並んでいますが、それまでは青は緑で代用して不自然に感じませんでした。それどころか、信号機の緑が鮮やかな青に変わったときは、

「お!青じゃないか」

 私なんかは、今まで見ていた色が緑だったことに改めて気づいたものです。

 青野菜は緑の野菜のことですし、青果といえば野菜と果物を意味しています。少し深い川の色は緑色ですが、水は青いと表現します。青々とした野原という表現も一般的ですし、青葉といえば新緑を意味しています。そして、日本を代表する唱歌では、「山はあおきふるさと」と歌っているのです。

 子供にとって身近に存在する銅といえば十円硬貨でした。「ええか、ロクショウは毒やでな、絶対に口に入れるでないぞ」

 小さい頃から親にそう言われて育った私は、駄菓子屋のお釣りの中に緑青の浮いた十円玉を発見すると、おみくじで凶を引いたような気分になって、できるだけ早く手放したものでした。子供の脳に植えつけられたこの種の恐怖は、本能にごく近い場所に棲み付くのでしょう。注ぎ口の長い銅製のコーヒーケトルの底に、ポツリと見つけた緑青が恐ろしくて、結構な値段のしたケトルをためらいもなく捨ててしまったのは、五十歳を過ぎてからのことでした。緑青に毒があるというのは日本に特有の迷信であることがわかった今も、私は銅のサビに対する忌まわしい印象を拭い去れそうもありません。そういえばお寺の銅葺きの赤い屋根は、錆びて一面緑色の屋根になると、その保護作用によって屋根は格段に長持ちすると聞いたことがあります。銅の錆は毒どころか有益な働きをしていたのです。

 知人に言葉の使い方の不正確な男がいて、「口車に乗る」を「口車を合わせる」と言ったり、男子便器の「アサガオ」を「チューリップ」と言ったり、電話で旅館を予約するのに「一泊二泊でお願いします」と言ったりして周囲を失笑させていましたが、「身から出たサビ」のことを「身から出た垢(あか)」と言ったときは、むしろ感心してしまいました。身とは刀のことですが、刀などとんと見かけなくなった今となっては、錆よりも垢と言った方が自然かも知れません。ただ、大切な刀の手入れを怠るような生活をした結果として招いた自業自得は、やはり「垢」では具合が悪いように思います。

 車椅子でやって来た老人は右足の膝から下がありませんでした。

「医者からは言われてたんやけどな…」

 老人はしばらく口をつぐんだあとで、酒はどうしてもやめれなんだ…と話し始めました。腕のいい大工だった老人の糖尿病は、棟梁として人に指図するようになった頃には、もう随分進行していました。それまで口ごたえ一つしなかった妻との立場が逆転し、夫の身を案ずる妻から、やれ運動せよ、酒は飲むなとやかましく言われるのに腹を立てて、

「うるさい!お前に俺の気持ちが分かってたまるか」

 新築家屋の建前(たてまえ)の度に水のように冷酒をあおって若い者を驚かせました。入母屋の屋根を作らせれば右に出る者がいないと言われた往年の名人は、黙っていましたが、指先の感覚が鈍り、視力も衰えて、まともに釘が打てませんでした。

「死んでもいいと思っていた俺がこんな足で永らえて、心配してくれたうちのやつが胃がんで先に逝っちまった」

 不自由な暮らしに耐えながら、

「身から出た錆やな…」

 老人は溜息をつくのでした。

「醜く死ぬとはどういうことかと言うと、それはやはり、だんだんに世間的な名誉のカスが溜まって、そして床の中で垂れ流しになって死ぬことです。私はそれが嫌で嫌で恐ろしくてたまらない。きっと私もそうなるかもしれないですね。だから、それが恐ろしいから、色んなことをやって、なるだけ早く決着がつくように企んでる」

 学生運動真っただ中の東大講堂に単身出向いて、学生たちと対話した三島由紀夫が、

「あなたにとって死と美との関係はどういうものなのか」

 と問われて答えた内容です。その一年半後、四十五歳の若さで割腹自殺を遂げた事実と考え合わせると、感慨深い内容ですが、「世間的な名誉のカス」という部分が、私には身から出た錆と重なります。表現者は表現することによって社会と濃密な関係を持ち、賞賛と同時に批判を受ける運命です。一度文章にしてしまうと取り返しのつかない「表現」という抜き身の剣を、怠りなく磨き続けても、年齢を経て錆が出て、思うような切れ味が得られなくなったことを自覚したとき、表現に命を懸けている人は死ぬほどの苦しみを味わうのでしょう。だからボディビルにボクシング、剣道に政治活動、そして最後は割腹に至るまで、「行動」という表現を模索していたのかも知れません。

 錆…。

 一定の年齢になったら、表現に対するこだわりなど上手に捨てて、自他ともに錆ごと肯定できる生き方を目指さなくてはなりません。