「松」

 桧(ひのき)、楢(なら)、椚(ぶな)、樺(かば)など、眺めていてもさっぱりイメージの膨らまない文字と違って、「松」や「杉」や「樫」は、何となく出自がわかるような気がします。中でも「松」という文字は、文字そのものが、枝が垂れ下がった立派な老松に見えてしまいます。

 これを偏と作りに分けて、「公(おおやけ)の木」の意味と解すると、なるほど、おおやけが開催する厳粛な催しには、日の丸を背にした演壇の横に、必ず松の鉢植えが飾られていたなあ…と思います。新年の式典や成人式、入学式や卒業式には、延々と退屈な挨拶をする背広姿の偉い人の横で、よく手入れされた松が堂々と枝を広げていました。

 式典と言えば、昔はよく全校生徒が集まった場所で一人一人名前を呼ばれる場面があったように思います。名前には時代性があって、親の好みで時代錯誤の名前を付けられた生徒は気の毒でした。男は○○夫、女は○○子という名前が主流の中で、まれに、○○作とか、○○助とか、○○平とか、○○松などという江戸のお百姓のような名前が呼ばれると、体育館のあちこちから忍び笑いが漏れました。子供って残酷ですね。名前は本人の責任ではないのに、恥ずかしいだろうな…と同情しながら、私も一緒になって笑っていました。しかし、小さい頃から名前につきまとう理不尽な恥ずかしさによく耐えて、なにくそ!と頑張ってひとかどの人物になったとたんに、嘲笑の的だったはずの名前が、老松のように立派な風格を持つから不思議です。同じ一生を生きるなら、名が体(たい)を表す段階をできるだけ早く脱して、体が名を高める生き方をしたいものだと思います。

 松で思い浮かぶ歌があります。

 『次郎物語』というモノクロ時代のテレビドラマの主題歌で、「松の根は岩を砕いて伸びてゆく」というフレーズです。

 確かに松は、よくもまあ、あんなところに…と驚くような海岸の岩の上で寒風にさらされています。その梢に海鵜が一羽とまるだけで、宮本武蔵の墨絵に通じる厳しい風韻が生まれます。歌詞にあるように、荒波がしぶきを上げる岩の上に落ちた小さな種は、芽を吹いた瞬間から過酷な環境に耐えなければなりません。吹き付ける強風に飛ばされないように根を張ろうにも、落ちたのは岩の上なのです。ほんのわずかな亀裂に根を伸ばし、堅固な岩を砕いて天を目指す松の生き方は、その屈曲した幹や、ひび割れた樹皮や、垂れ下がった枝ぶりからも、すくすくと成長した杉や桧には感じられない、忍耐や勇気といった徳性を感じます。『次郎物語』は私が中学に上がるか上がらないかの頃のドラマですから、放映されて既に四十年以上の歳月が流れていますが、詳細は何一つ覚えていないにもかかわらず、印象がしっかりと心に刻まれているのは、あの主題歌の松のフレーズに共感したからなのだと思います。

 群れては防風林となり、岩や崖に根を張っては孤高を守る松は、肥沃な土地ではあまり見かけません。そもそも痩せた土地を好むのか、痩せた土地でも育つのか、植木の愛好者の何人かに尋ねてみましたが、

「確かに松は土のない岩みたいなところで見かけますよね」

 と、要領を得ない答えしか返っては来ませんでした。

 肥沃な土に種が落ちても遠慮して好条件の場所は他の植物に譲り、自らは痩せた場所に慎ましくも逞しく根を張るのだと考えると、例えば「うな重」のランクでも、竹や梅を従えて松が最も高い位を表す理由がわかるような気がします。最近では日本民族も随分と欧米化して、オリンピックで国民の期待に応えられないからといって自ら命を絶つような窮屈な生き方は影を潜め、楽しんで来ます!とカメラに向かって笑って見せるリラックスした選手が増えました。しかし、魂の奥底に脈々と続く日本人の遺伝子は、派手で華麗な桜の花を愛でる一方で、慎ましくも逞しい松の地味な姿に、高潔な人格を重ねて感動する感性を失ってはいないのかも知れません。