「災」

 わざわいと読む文字は、「災」の他に「厄」と「禍」がありますが、区別はよくわかりません。ただ災は間違いなく火が激しく燃え盛っている様子に見えますから、本来は火と関係があったのでしょうね。そう言えば火災とは言いますが水災とは言いません。水は水害、風は風害。雪害、塩害、冷害、干害、霜害、公害…と、火の伴わないわざわいで災の文字が使われるものを思いつきません。戦争には火がつきものだから戦災と言うのだとしたら、穿った話しではありませんか。

 個人的なわざわいではなく、災害で思い浮かぶのは、昭和34年の伊勢湾台風と、昭和51年の9・12豪雨災害と、昭和56年の56豪雪です。9才の時の伊勢湾台風の思い出は、先の忙中漢話で触れましたが、9・12豪雨災害の時は26才で、私は岐阜県庁の災害対策本部で人的被害の情報収集を担当していました。台風17号の雨で長良川が決壊し、岐阜市以南が広範囲に水に浸かった歴史的な災害でしたが、常に平等、公平を期す行政の救援は、被害が確定してから実施するために、どうしても後手に回るのに対し、民間の対応は恐ろしく迅速でした。床上、床下別の浸水世帯の数が明確になって、規定された種類の救援物資を行政が現地に届ける頃には、青空の下に複数の簡易店舗が立って、食料から衣料、日用品に至るまで、たいていの物は購入できるのです。

「こんなええ天気にゴム草履かい!」

 腹立たしそうに怒鳴ったお年寄りのしわがれ声を覚えています。

 確かに台風一過のさわやかな秋空に届けられるゴム草履や毛布やローソクは、間抜けで場違いなものでした。

 しかし、迅速がわざわいした例も体験しました。

 まだ雨の降る中を、古着を満載した四トントラックが列を成して被災地の役場に到着したのです。行政は国民の善意を無視する訳には行きません。今は復旧作業に忙しいからと、はるばるやって来たトラックを数日待たせておく訳にも行きません。止むを得ず行政は多忙な職員の手を裂いて、とりあえず古着を倉庫にうず高く積み上げました。被災した住民たちは家の片付けに追われて着る物に構っている余裕はありません。やがて一段落した頃にはすっかり水が引き、青いテントのお店が立って、誰が着たとも知れない古着など調達しなくても、小ぎれいな衣類が簡単に手に入るのです。

 善意の古着は倉庫を占有して厄介な荷物になりました。

「役場はどこかで災害が起きるのを待っているらしい」

 という噂が立ちました。

 しばらくして長崎で大規模な水害がありました。

 あの大量の古着が長崎に運ばれたかどうかは知りませんが、倉庫を占有している古着の山を、それっとばかりトラックに積んで西に向かったと想像すると深刻です。困った長崎が同じように次の被災地へ古着を送り、次の被災地が次の被災地にトラックを差し向けて、同じ古着が梱包されたまま日本国内を今もぐるぐる旅しているのかも知れません。

 昭和56年に飛騨地方を襲った豪雪災害の時、私は31歳で児童相談所の職員でした。職場の屋根の雪下ろしを、ちょっと休憩して振り向くと、ついさっき突き刺したスコップが新しく降る雪に埋もれてしまっていました。

 柱のない体育館は方々で倒壊しましたが、いち早く倒壊の危険を察知した校長先生は英断し、保護者全員に灯油ストーブの搬入を呼びかけました。わが子の体育館をつぶしてなるものかと集まった大量のストーブの熱で、その小学校だけは倒壊を免れて、校長先生の知恵と保護者の協力は美談として語り継がれましたが、それから何年も経たないうちに、倒壊した体育館は次々とに新しくなりました。

「あの時、つぶれていれば…」

 という声があるとかないとか、もちろん、これも噂に過ぎません。