「串」

 これはクシとしか読めません。よくできた漢字ですが、寄席の大喜利なら、「もう少しひねったらどうだ」と座布団を取り上げられそうな気もします。

 串に刺してあるのは、おでんでしょうか、ネギマでしょうか、それとも串カツでしょうか?何を思い浮かべるかによって連なる情景が違います。

 私の場合、おでんと言えば線路脇の屋台でなくてはなりません。客は背広派より作業服派が多く、たまに背広派が自分より十歳くらい年下の女性を連れて来たりすると、狭い店内は空気が変わります。女性はコの字形のカウンターの三方から向けられる好奇のまなざしを意識すると、突然ステージに上がったような戸惑いの表情を見せて、恥ずかしそうに両手でビールのコップを傾けます。

「だからさ、俺が思うに、かなちゃんに対する課長の態度はだな…」

 と、具合の悪い話題になった頃、タイミングよく列車の轟音が男の声をかき消して、おでんの鍋から立ち上る湯気の上の裸電球がかすかに揺れたりするのです。

 これがネギマとなると複数のテーブルの並ぶ居酒屋になって、背広派の方が作業着派より優勢になります。働いているのは若い店員ばかりで、屋台の様に店長と世の中の話しをする機会はありません。注文をすると、オーダー入りま~すという黄色い声が飛びます。屋台に比べると女性客も格段に多い分、誰の注目も集めません。そして新しいグループが陣取る度に、屋台では聞かれない乾杯の声が上がるのです。

 串カツは何と言っても競馬場でしょう。居酒屋ではメニューの一つに過ぎない串カツが、競馬場では主役です。金属のトレーの上に、ざっくりと刻んだキャベツが山盛りになっていて、耳に赤鉛筆を挟んだ客たちは、やはり金属でできた円筒の器のソースに串カツを突っ込んで一口食べては、ちびり・・・とコップ酒を飲み、その串で、今度はトレーのキャベツを突き刺しては、同じソースに突っ込みます。次の客も、その次の客も、ソースを共有するのですから、わずかに唾液も混じるに違いないと思うのですが、ソースには殺菌作用があると信じているのでしょうか、不衛生を訴える者は皆無です。値段は皿に残った串を数えて勘定するのですが、酔ったふりをして足下にそっと落とせば分からないと思ったら大間違いで、

「お客さん、串、落ちましたよ」

 苦労人の店のあるじは、客の悪意を暴かない言い方で指摘するのです。

 勘定を済ませたあとで、あの串カツの串を一本だけくわえて帰るのが流行った時代がありました。

「十歳の時に故郷を捨て、その後一家は離散したと伝えられ、天涯孤独な紋次郎が、どういう経路で無宿渡世の世界に入ったかは定かでない」

 というナレーションで有名な、『木枯らし紋次郎』というテレビドラマの影響でした。紋次郎はいつも串カツの串より少し長目の楊枝をくわえていて、

「どうしてそんなものくわえてるんだい?」

 と尋ねられると、

「こいつは、ただの癖ってもんでさあ」

 と答えます。

「助けて下さい、旅人さん!」

 とやくざ者に追われる村娘にすがりつかれると、

「あっしにゃあ、関わりのねえこってござんす」

 と答えて縞の合羽をひるがえします。そのニヒルなスタイルが受けたのですね。大阪万博の二年後、学生の政治活動が浅間山荘事件という形で終止符を打った時代背景の中で、人々は紋次郎に自分の何を重ねたのでしょうか。所属する組織を信頼できず、国家に夢が持てず、家族が壊れて行く時代に、人間の暖かさなんか初めから求めないで生きた方が楽ではないか…という気分が私にはあったように思います。一旦行動化された記憶は残るものですね、今でも串カツの串をくわえると、あっしにゃあ関わりのねえこって、と世の中に背を向ける気分が蘇るのです。