在りし日の人々

令和02年01月05日(日)

 『寺内貫太郎一家』という懐かしいテレビドラマを観ました。

 向田邦子の脚本で、放送された時期は私が二十代の頃です。

 巨体の作曲家の小林亜星が演じる石材店の主人を巡って、まだ悠木千帆と名乗っていた時代の樹木希林、ホームドラマには欠かせない、おっとりしたお母さん役の加藤治子、とぼけた東北訛りの由利徹、エノケンと並んで、伴淳の愛称で親しまれた伴淳三郎、当時はアイドル歌手だったのに演技力が光る西城秀樹、常に脇役ながら不思議な存在感を見せる左とん平…といった俳優たちが、笑い、泣き、怒り、喧嘩をして、互いの感情をぶつけ合います。頑固な貫太郎の怒りを買った登場人物たちは、巨体の怪力に容赦なく投げ飛ばされて、セットの茶の間をめちゃくちゃに破壊するのがお定まりの名物シーンでした。

 ところが、放映から四十年が経って、今挙げた俳優たちは気が付けば全員が既にこの世の人ではないのです。

 『男はつらいよ50~お帰りなさい寅さん~』という、封切られたばかりの山田洋次監督の映画を観てきました。博とさくらの息子の満男が、妻に先立たれた駆け出しの小説家になっていて、その昔、互いに心を寄せ合ったまま別れた高校時代の初恋の相手、及川泉と偶然再会を果たすところからストーリーが展開して行くのですが、随所に出て来る寅さんの思い出シーンが胸に迫ります。ありったけの勇気を奮ってさくらに求愛する博の前に、お前のような職工風情のところへ妹はやらないから諦めろと立ちはだかる寅さん役の渥美清は、二十三年前に故人になりました。さくらに求愛する博は若くたくましい印刷工であり、突然の告白に驚く寅屋の看板娘のさくらも、つぼみのような初々しさで恥じらっていましたが、場面が現在に戻ると二人とも高校生の孫娘を持つ老夫婦です。部屋には手すりが設置され、動きが緩慢になった博を、さくらが眼鏡越しに見守ります。若い頃の本人と比較できるだけに、前田吟の顔にも倍賞千恵子の顔にも、容赦なく刻まれた時の流れが痛ましいほどでした。ラストが近づくと、寅さんが恋をした全てのマドンナのカットが流れるのですが、マドンナ役を演じた四十一人の美しい女優のうち、光本幸子、新玉美千代、池内淳子、太地喜和子、大原麗子、八千草薫…と、既に六人が鬼籍の人になっています。寅を取り巻く人々に至っては、御前様の笠智衆は言うに及ばず、博の父親役の志村喬も、寅のおいちゃん役を演じた初代の森川信も、二代目の松村達雄も三代目の下条正巳も、そして全編一貫しておばちゃんを演じ続けた三崎千穂子も亡くなりました。亡くなった人たちが、映画の中では生き生きと在りし日の姿と声で役を演じていました。それがたまらなく切なかったのです。

 私の周囲にも今は亡き人々がたくさんいました。九十歳の母は、かろうじて一人息子の私だけは認識できる状態で、車椅子に乗ってグループホームにいますが、私が二歳のときに母と離婚した父親は二十年ほど前に台湾で急死して、遺体で故郷の郡上八幡に戻って来ました。祖母は私の食べさせたお粥を喉に詰まらせて、祖父は風邪をこじらせて、同じ年に相次いでこの世を去りました。モノクロの写真はありますが、今のようにデジタルではなくてフィルムを現像したものですから、そもそも数が少ない上に劣化が進んでいます。もちろん音も動きもありません。

 高校三年生の私が友人のオートバイに同乗して岐阜駅まで行くのを心配して、

「哲雄、胸騒ぎがするんや。頼むから行かずにおいてくれ」

 この通りだと畳にひれ伏した当時七十九歳の祖父の声も姿も、私の記憶の中で霧がかかっています。

 大晦日にわずかな酒で酔っ払い、鼻の頭を真っ赤にして、

「輪島出る時ゃ、涙で出たが、今は輪島の風もいやよ」

 浮いたかひょうたん軽そうに流れる、行く先ゃ知らねどあの身となりたい、オイソレオイソレ…という実家の奥美濃の民謡を、祖母は必ず途中まで、手を叩き体を揺すって歌っていましたが、その声も、嬉しそうな表情も、私の記憶の中で前後の脈絡なく遠景になっています。

 二人の愛情を一心に浴びて育った私の母の記憶には、私の知る由もない父母との懐かしい思い出が息づいているはずですが、認知症を病んだ母の脳は、父母の遺影を見ても何事も蘇らないようです。

 そこへ行くと俳優はいいなあ…亡くなって何年経っても在りし日の姿で銀幕に蘇る…と思ったとき、まてよ…と思いました。寺内貫太郎一家もお帰り寅さんも、そこで活躍している俳優たちは仕事をしているのです。肉体をさらし、台詞を言うという特殊な仕事ですから、つい故人がそこにいると思いがちですが、彼らは誰かの書いた役柄を監督の指示に従って演じているに過ぎません。縁日で啖呵売をする車寅次郎も、西城秀樹を投げ飛ばす寺内貫太郎も、あくまでも作品として保存されているのです。作品は大工にとっての家であり、縫製工にとってのドレスと同じです。私生活の彼や彼女らは、やはり親しい人の記憶の中で次第にフェイドアウトして戻ることはありません。

 考えて見れば、たいていの人が、家族を形成した親子わずか三代と色濃く心を通わせて、互いの記憶の中で影絵のように生きて行く存在なのですね。時と共に世代と共に輪郭は薄れ、実感を伴わない言葉になって、やがて忘れ去られます。墓で手を合わせても、胸をよぎるのは祖父母の面影までであって、それより上の世代は先祖という抽象になってしまいます。在りし日の懐かしい人々が演じる寺内貫太郎一家とお帰り寅さんという二つの作品を観たあとにこみ上げた、たとえようもなく切ない感情は、そんな人間存在の儚さに対する感慨だったのではないかと今思っているのです。