圧倒的な怒り

令和02年10月27日(火)

 書くまいと思っていたことを書きます。

 もう三十年以上が経って、当時の生々しさはすっかり風化し、書くべきではないという思いより、忘れるわけには行かないという気持ちの方が強くなったことが、私をキーボードに向かわせています。さて、あの不思議な出来事を、読む人の誤解を招かないように、うまく表現できるでしょうか…。

 その年は私が親睦会の幹事でした。

 職場の近くの料理旅館を会場にした忘年会は、一次会が終了した時点で参加者の半分が帰り、残り半分のうち遠方組の五人がそのまま宿泊しました。二次会が終わったところで所属長以下四人が麻雀を始めました。麻雀のできない私は、幹事として十分な量の飲み物やつまみを麻雀会場に準備して、先に部屋で休みました。

 既に日付は変わっていました。

 体内のアルコールのせいもあって強烈な睡魔に襲われた私の耳に、麻雀の牌を混ぜるにぎやかな音が急速に遠くなりました。

 深い眠りに落ちてどれくらいの時間が過ぎたのでしょう。

「幹事!」「幹事!」

 男の大声と、廊下を近づいて来る荒々しい足音で目が覚めました。

「ん?」

 私が体を起こすより早くカラリとふすまが開き、

「こんなところで寝とったのか!」

 という怒鳴り声と同時に、力任せに左側頭を蹴られて枕が飛びました。

「ビールがないぞ、幹事!」

 豆電球の灯りを背にして、丹前姿の所属長が目の前で仁王立ちになっていました。

「あ、はい…今すぐに…」

 と返事をしたのかどうか全く記憶にありません。飲み物の調達に走ったのかどうかも覚えてはいません。ただ蹴られた直後に、頭からガソリンを被って火をつけたように、全身が怒りの炎で包まれた感覚は鮮やかに覚えています。それは通常の怒りではありませんでした。非常に説明が難しいのですが、怒りの主体としての自覚がないと言ったら理解されるでしょうか。自分が何者かに対して怒っているという感覚では断じてないのです。咄嗟に離人化のような防衛機制が働いて、自分の怒りを客観視した訳でもありません。強いて言えば、私は怒りそのものでした。自分が怒っているというよりも、怒りという実体のある感情に全身がすっかり乗っ取られたという方が近いように思います。

 あんな経験は初めてのことでした。

 目の前で仁王立ちになっている酔っぱらった上司に向けて、火の玉のような圧倒的な怒りが噴き出していました。

 ただそれだけの記憶です。

 しかし、不気味なのはそれからでした。

 間もなくして、その所属長が亡くなりました。

 心臓発作でした。

 定年を何年か残しての突然死でした。

 健康そのもののような頑健なスポーツマンだったのに、人間の運命とは分からないものだと、みんな異口同音に不思議がりました。

 私はあの料理旅館の深夜の出来事が原因だと直感しました。

 ここが誤解を生むのではないかと危惧するところですが、私には怒りの主体としての自覚がなかったのですから、彼の死を望んだとか、或いは招いたという意識はありません。自分が彼の死の引き金を引いたのではなく、あのとき頭部に受けた衝撃と同時に発動されたすさまじい感情の炎が、私の全身を包む一方で、目の前の男の心臓に、やがて死に至る、くさびのようなものを撃ち込んだのだと直感したのです。従って深刻な結果に対するおののきはあっても、罪悪感はありませんでした。

 しかし、こんなことってあるのでしょうか。

 私の直感は科学的とは言えません。

 直接手を下さないで、ただ圧倒的な怒りの感情を浴びただけで一人の人間が死に至るなんて、まるでオカルトではありませんか。

 それよりも、ビールが切れた程度のことで激高する性格の男の心臓には、興奮による負担が日常的に積み重なっていたのだと解釈する方が自然です。あるいはスポーツで鍛えた彼の心臓は、初老に差し掛かる全身の衰えとのバランスを欠いていて、何らかの不具合が生じたのかも知れません。さらに、職場の上司にいきなり頭を蹴られるという非日常的で屈辱的な体験に対する耐えがたい憤りを抑圧して、何事もなかったかのように勤務し続けていた私の意識下では、彼に対する激しい処罰感情が黒々とわだかまっていて、思いがけない訃報で抑圧の禁が解け、意識に上った処罰感情と彼の死を短絡してしまったと考えることも可能です。

 様々に思いを巡らせては見るのですが、所属長の死は、まぎれもなく自分の手の中で器が割れたような実感があるのです。

 口外しない方がいい話題であることは間違いありませんでした。しかし自分の胸に収めて過ごすには苦しい話題でした。

「気持ちの悪い話だけど聞いてくれる?」

 当時私にとって、最も差し障りのない知人に打ち明けたところ、しばらくの沈黙ののち、さらに衝撃的な反応が返って来たのです。

「お前もか…」

 実はおれも昔、一度だけ同じ経験をしたことがある。

「人にはやってはいかんことがあるってことやな」

 という一言が三十年以上過ぎた今も、密かに私の戒めになっています。