恐怖のワシ男予防作戦

 たまの日曜日に娘夫婦が実家に帰った時ぐらい外出を控えてくれればいいと思うのに、延子は美術館に出かける支度に余念がない。

「里美、この着物どうかしら?帯がちょっと地味かしらね…」

「絵を観に行くのに服装に凝ることないじゃない」

「何言ってるの。絵なんてね、それを眺めるのに相応しい格好ってものがあるのよ。会場の雰囲気を壊すような服装は慎むべきだわ」

「何だ、お前、出かけるのか?」

 昨年定年を迎えて、終日何もすることのない和雄が、眠そうな顔で階段を下りて来た。

「絵の個展を観に行くんだって」

「個展か…悪くないな。わしも行くかな」

「だめよ、あなた、今日はいつもの手芸の仲間との約束なんだから」

「やだ、父さん、恐怖のワシ男になっちゃったの?ワシも行くって…」

「何だそれは?」

「あのね、仕事一筋で趣味の一つもなかった男が定年になるとね…」

 と説明しかけて、里美は、テレビの前でごろりと横になっている夫の雅弘を見た。

 ゴルフをしたいというたった一つの夫の望みを、経済的理由と、休日ぐらい家庭サービスをすべきだという論理で里美はこれまで許さないで来た。その雅弘も、もうすぐ厄年になる。手枕をした髪の毛もめっきり薄くなった。このままでは雅弘も現役を退いたとたんに目標を見失い、妻の後をついて歩く恐怖のワシ男になり兼ねない。

「ねえ、あなた」

 里美は雅弘に声をかけた。

「今日は思い切ってあなたのゴルフ用品でも見に行かない?」

「何だ里美、どういう風の吹き回しだ?」

「うふ、へそくりが貯まったの。ちょっと早い誕生日プレゼント」

 戸惑う雅弘をよそに、里美の笑顔をそよ風が撫ぜて通り過ぎた。