旅の収穫

 結婚すると気ままに旅もできなくなるからと、休暇を取ってぶらりと出かけた九州一周の旅の途中で、婚約の報告を兼ねて親友の白石由美の家に立ち寄った高木文代は、勧められるままに一晩泊めてもらって驚いた。

 心づくしの手料理を作る由美の母親の傍らで相好を崩した父親が、これはたったいま浜で手に入れて来た鯛だから新鮮だと自慢しながら包丁を振るい、見事な刺身をこしらえている。

「由美んちはいつもこうなの?」

「夫婦共働きだから、家事も昔から何かと協力し合ってるみたいよ。母が台所の時は父がお風呂を洗ったり、母が洗濯の時は父が洗い物をしたり…でもね、お刺身を父が作るのは特別なお客様だけなのよ」

 由美と由美の弟が料理を運び、地酒で乾杯をして、文代の婚約を祝う夕食は盛り上がった。

「私ね、本当に来てよかったわ…」

 その夜、由美と枕を並べて床に着いた文代が、しみじみとつぶやいた。

 文代には母親に育てられたという実感がない。現役の栄養士として今も病院勤めをしている由美の母親の八重子は、文代と妹の亜紀の世話を祖母に任せて、いつも忙しがっていた。

 目の前の灰皿一つ動かそうとしない父親の民三との間では、家事をめぐっての小さないさかいが絶えなかった。

「私、結婚したら仕事はあきらめてたの。家事との両立は難しいし、何よりも子どもに淋しい思いをさせたくなかったのよ」

「でもデザインの仕事は、学生時代からあんなに憧れてた仕事じゃない?」

「だから迷っていたの。でもここへ来てようやく自信が持てたわ。由美んちの様にみんなで支え合えば、きっと仕事も続けられるわ」

「そうよ、文代ならきっとできるわよ。頑張ってね」

「ありがとう」

 スタンドを消した由美の部屋に、遠くから海鳴りの音が忍び込んできた。