母さんのケーキ

平成29年11月05日(日)掲載

 クリスマスイブの朝、母さんはいつもより浮き浮きしているように見えました。

 ぼくと妹は、中古の自転車に乗って工場へ出かける母さんを見送りながら、顔を見合わせてにっこりしました。

 今夜は母さんが去年と同じように、

「おお、寒い、寒い」

 と言いながら、クリスマスケーキを買って来るということを二人ともちゃんと知っているのです。

 今日だけはどこにも寄らないでまっすぐ学校から帰ると、ぼくは妹と一緒にとびきりきれいに部屋の掃除をしました。

 ランドセルをきちんと壁の釘に掛け、靴だってきれいにドアの方向に向けて揃えておきました。

 六時頃、思った通り、

「おお、寒い、寒い」

 と言いながら自転車を降りた母さんは、

「クリスマスおめでとう」

 と言って、赤いリボンのついた真っ白な箱を差し出しました。

 妹は大喜びです。

 それは駅前のお菓子屋さんのショーウィンドウに飾ってあったイチゴのたくさん乗ったデコレーションケーキに比べると、半分くらいの大きさしかありませんが、それでも、白くて、チョコレートが乗っていて、とってもきれいなケーキです。

 ジングルベルを歌ってケーキの周りを跳んだりはねたり、ご機嫌の妹を眺めながら、母さんはとても嬉しそうでした。

 電気を消してローソクに火をともし、三人で聖しこの夜を歌いました。

 三人の顔だけがローソクの炎に浮かび上がって、ゆらゆら揺れているように見えました。

 ぼくはケーキよりも、今夜だけは勉強しなさいと言われないことと、母さんが内職をしないで一緒にいてくれることが何より嬉しかったのです。

 妹がケーキを四つに切りました。

 待ちきれないでクリームを指につけてなめようとする妹をなだめ、去年と同じように、四分の一をタンスの上のお父さんの位牌にお供えをして、三人で手を合わせました。

「あの事故さえなければ、四人そろってケーキを食べることができたのにねえ…」

 母さんが言いました。

 ここまでは何もかも去年と同じでした。

 そのときです。

「ごめんください」

 ドアを叩く音が聞こえました。

「誰だろね?今時分」

 と出て行く母さんに、ぼくも妹もついて行きました。

 ドアを開けると黒いジャンパーを着た町内会長さんが、大きな包みを持って立っていました。

「駅前のケーキ屋さんからクリスマスケーキの寄付がありましてね、町内の恵まれない母子家庭にお配りすることになったんですよ。はい、誠くん、あゆみちゃん、クリスマスおめでとう」

 それは妹と学校の帰りに見た、あのイチゴのたくさん乗ったあこがれのデコレーションケーキでした。

「わあ!大きなケーキ、あんなのが欲しいなあと言っていたケーキだよ!母さんのケーキよりずっと大きくてきれいだよ、嬉しいねえ、お兄ちゃん!」

 母さんのケーキをのけて、その大きなデコレーションケーキをテーブルに置くと、早く早くとせがむ妹に、ぼくはとっても腹が立ちました。

 これでは母さんが可哀想です。

 母さんのケーキが可哀想です。

 一生懸命働いて、夜は遅くまで内職をして、父さんの分まで頑張っている母さんなのに、恵まれない母子家庭だなんて…。

 ぼくは我慢できなくなって、

「何だ、こんなもの!」

 と大きなケーキを玄関に持って行って叩きつけると

「母さんのケーキが可哀想じゃないか!」

 と叫びました。

 母さんはあわてて飛んで来ると、ぼくのほっぺたを力一杯叩きました。

 ぐしゃぐしゃになったケーキを見つめてびっくりしている妹に、ぼくは、バカ!と言ってやりました。

 母さんは力一杯叩いたくせに、突然ぼくを抱きしめると、何も言わずに涙をぽろぽろとこぼしていました。

 ぼくは絶対に泣きませんでしたが、妹はその晩ずっと泣いていました。

 ぼくはそれ以来、クリスマスケーキなんて大嫌いです。