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食事
喉にできたアデノイドというデキモノは、小学校へ上がる前に切り取った方がいいということになり、大学病院に入院して摘出手術を受けた。何しろ幼くて記憶は霧の彼方だが、ゆっくりとしたスピードで動くエレベーターのドアは牢屋のような鉄格子でできていて、閉じ込められてしまうような不安と、特別な乗り物に乗っているのだという興奮を胸に、意味もなく上下して得意がっていたことを覚えている。
食事は楽しみだった。付き添ってくれた母親がスプーンで給食を食べさせてくれた。
「ほれ、今度は味噌汁や」
「次はご飯や。よう噛んでのみ込むんやぞ」
「このニンジン、上手に煮てあるわ。ちゃんと栄養を考えて作ってあるんやで、嫌いでも全部食べんと治らんでなあ」
切ったのは喉なのだから、手は利いたはずなのに、どうして食べさせてもらっていたのだろう。夫と別れ、女手一つで私を育てる覚悟をした母親としては、はるばる郡上八幡から都会の大病院に泊り込み、食事の介助ぐらいしなければ何のために付き添っているのか解らなかったのかも知れない。
五十六歳になった私は、あの時のことをしきりに思い出す。
「今日はたんとエレベーターに乗ったなあ…」
「火傷で運ばれて来た人、助かるとええな」
たっぷりと時間をかけて食事をしながら交わした会話の詳細は覚えてはいないが、大切にされているという満ち足りた感覚は埋ずみ火のように胸の奥にある。
介護は食事なのである。
いや、介護だけではない。育児も、夫婦の関係も、家族の団欒も、人間がくつろいで心通わせる最も日常的な場面は食事なのである。
それが疎かになって人心が荒廃している。
母親も来年は七十九…。
何としても母親より元気で長生きをして、今度は私が、懐かしい思い出話しなどしながら食事を口に運んでやりたいものだと思っている。
終