人事異動

 今度の人事異動で部長に昇格し、五年働いたら子会社に出向して、さらに五年後は悠々と年金生活に入る計画だっただけに、

「中国…ですか?」

 人事部長から内示を聞いた義彦の顔は青ざめていた。

「上海の工場がうまく行かん。君に期待してるんだ。二年だけ辛抱してくれ」

 部長は立ち上がって、窓に広がるコンクリートの町を眺めた。無言で腕を組む出世頭の同期の背中は、光を遮って大きな壁に見えた。

(お前、俺が美智子と一緒になったことをまだ根に持ってるのか!)

 心の奥のわだかまりが一瞬胸をよぎったが、二十年以上も昔の話しだ。思い過ごしに違いなかった。

「少し考えさせて下さい…」

 義彦は悄然と肩を落として部長室を出た。

 中国…。

 意思疎通のままならない異国で、現地の人間の士気を高めて、製品の品質管理と増産を図ることの困難さは、歴代の工場長から聞き及んで義彦も承知している。そもそも組織などというものはトップが交代したからといっておいそれと変わるものではない。それよりも、うまく行かなければ責任を取らせて降格をし、異動を拒否すれば、それを理由にやはり降格をする。会社がその対象に自分を選んだことが悔しかった。

 義彦はその晩、真っすぐ家に帰る気になれなかった。

 居酒屋で飲み、行きつけのスナックで飲んだ。

 いっそ辞めてやろうとかとも思ったが、手に職のない初老の男を雇ってくれる会社などあるはずもない。マンションのローンは残っているし、息子にはあと二年学費が要った。

 タクシーを下りた時は日付が変わっていた。

 足元がおぼつかない割りには頭の芯が冴えていた。

 玄関で鞄を受け取る美智子の顔を見ないまま、

「二年間は、単身赴任だ」

 まるで時候の挨拶でもするかのように会社の決定を告げた。ところが美智子の反応は思いがけなかった。

「うわあ!二人で中国なのね。ちぎり絵のカルチャーセンターに確か中国語の短期講座があったわ。一緒に習いましょうよ」

 義彦はまたしても妻の明るさに救われていた。