夫婦旅行

 年金生活に入ってから、春と秋の二回、欠かさず続けてきた夫婦旅行は、朋子の足が衰えると、あっけなく民雄の一人旅に変更された。

「今回はどこ?」

「郡上八幡から飛騨髙山へ抜けて、越中の八尾まで行ってみるつもりだ」

「無理しないでよ、あなた喜寿なんだから」

 携帯電話の充電器を忘れないでねと、リュック姿の夫を送り出す朋子の顔が心細げだったが、写真とみやげ話しを楽しみにしていろと言い残して民雄は東京を出た。

 他に趣味のない民雄にとって、旅行だけが唯一の楽しみだった。そのために毎日長い距離を散歩して足腰を鍛えている。

 郡上八幡では、町を貫く美しい川の写真がたくさん撮れた。つつましい生活の匂いに溢れた古い町並みを散策し、ミニチュアのような山頂の城を見物した。来た道とは別の、遊歩道のような山道を発見してふもとへ下りたところで方向を見失った。歩いても歩いても、駅に向かっている気配がない。誰か・・・と見ると、進行方向から手をつないだ老夫婦がゆっくりと近づいて来る。妻は右足を軽く引きずっていた。

「あの…」

 道を尋ねる年老いた旅人に二人は親切だった。

 解り易いところまで同行するからと並んで歩きながら、

「そうですか、東京からお一人で…」

 夫はしきりに感心して、

「私たちも旅行は好きでしたが、昨年これが倒れました」

 と言った。妻は照れたように頭を下げて見せた。

「幸い麻痺は軽かったのですが、長い距離は歩けません。もう一度、二人で旅行に出かけるのを目標に、毎日こうして歩行の訓練です」

 今では妻の歩行距離が伸びるのが自分の楽しみなのだと笑ったあとで、

「これ一人残して旅に出ても気がかりで、楽しくはありませんからなあ」

 夫は晴れ晴れと胸を張った。

 橋のたもとで二人と別れた民雄が振り返ると、夫婦がいたわり合いながら歩いてゆく。

 民雄は携帯電話を取り出した。

「おい、予定変更だ。今夜遅くに帰る」

 思いがけない夫からの連絡に、朋子は驚いて時計を見た。