輸血

 経営会議から険しい顔で戻って来た宗明は、『辞表』と書いた封筒を机から取り出して内ポケットに入れた。

 確かに宗明は明るい性格ではない…しかし会議の度に、

「それにしても君は暗いぞ。貧乏神のような顔だ。宣伝課長がそう暗くては我が社の製品までイメージが悪くなる。皆さんもひとつ明るく頼みますよ」

 六人の課長の前で笑いものにされるのはたまらない。

「高木部長はああいう人だ。悪気はないんだよ。君を引き合いに、我々全員を鼓舞しているつもりなんだ」

 気にするなよ…と課長仲間は口々に慰めてはくれるが、もううんざりだった。

 給料はわずかに下がるが、次の職場の当てもある。あなたがそこまで言うのならと、芳子も了解してくれた。

(よし!いよいよ四十歳の決断だ)

 部長室の階でエレベーターを降りた時、携帯が鳴った。

「もしもし…え?心臓?手術?どういうことだ!」

「奈津子が、奈津子が…」

 芳子は取り乱しながら、小学校の検診で心音の乱れが指摘された娘の胸部に腫瘍が見つかって、緊急手術をすることになった経緯を説明すると、

「血液が要るの!A型だけど、RHマイナスよ。病院も手を尽くしてくれてるけど足りないの。探して!」

 という言葉を残して電話を切った。

 辞表どころではなかった。

 総務課長に事情を話すと、一斉にメールを送信して職員全員に募ってくれたが、該当者の申し出はなかった。

 保健センターや福祉の機関にも問い合わせたが、珍しい血液型の名簿はなかった。

「だめだ、見つからない!奈津子は?おい、奈津子はどうなんだ?」

「元気よ。今は元気だけど、腫瘍が成長すると突然危険になるの。病院の血液だけじゃ足りないのよ。一人でいいわ。一人でいいから探して!」

 芳子は泣き声だった。思い立って片端からテレビ局に電話をし、そういう個人的なことに公共の電波は使えないと丁重に断られた宗明には、もうなす術がなかった。

 早退を申し出てタクシーを拾った。

 駆けつけた病院の玄関に見覚えのある紳士がいた。

「高木部長…」

 高木は傍らで頭を下げる女性の肩に手を置いて、

「確か身内に同じ血液型がいたことを思い出してね」

 姪です…と紹介した。