同期

 同期の弘行のことを、田中くんと呼ぶことに抵抗はあったが、他の部下と別の扱いをする訳にはいかなかった。

「なあ弘行、お前が仕事ができることは上も承知している。しかし組織は仕事ができるだけではだめだ」

 残業はしない。転勤は拒否する。飲み会は付き合わない。ゴルフも麻雀もしない。

「家庭を大事にするのも結構だが、息子さんの体が不自由だからこそ、お前がしっかりすべきじゃないのか?」

 俺が部長のうちに一度地方へ出ろ、悪いようにはしない…と、それだけ言うと、利春は二人分のコーヒー代を支払って先に喫茶店を出た。その背中には、入社以後しばらくの間、常に自分の先を走っていた男に勝利した自信が溢れていた。

 あれから十年が経つ。

 結局、弘行は転勤を拒否し、課長補佐のポストのまま定年を待たずに依願退職をした。同じ頃、利春は常務取締役まで上り詰めて一足先に後進に席を譲った。同期で盛大な送別の宴が催されたが、その席に弘行の姿はなかった。

「ところで、弘行はどうしてる?」

「何でも障害者の作業所を立ち上げて、苦労しているそうだ。結局あいつは人生を息子に賭けたんだな」

「子供に人生をか…気の毒なやつだ」

 と、その時は同情したはずの利春だったが、二年も経たないうちにふさぎこむようになった。

 既に退職をしたとはいえ、元常務取締役を気安く訪ねて来る部下も同期もなかった。

「何もしないで家にばかりいると、病気になるわよ」

 妻がそう言い残してエステだのヨガだのに出かけて行くと、広い我が家で利春にはすることがなかった。意を決して趣味の会やボランティアの集まりに加わってみたが、新参者として扱われる屈辱にはどうしても耐えられなかった。ため息をついて朝からテレビを観、昼食にビールを空けるようになった。みるみる体重が増え、血圧と血糖値が上がり、医者から食事制限と運動の継続を指示された。ある日、真新しいジョギングシューズに巨体を乗せて、あえぐようにさしかかった公園に、散歩を楽しむ車椅子の集団がいた。

(弘行!)

 咄嗟に楡の大木の陰に身を隠した利春の眼前を、子供にどっしりと人生を賭けた弘行が、生き生きと引率して通り過ぎた。