車掌

 スポーツバッグに私服を隠して家を出た道彦は、公衆トイレで学制服を着替え、携帯電話で学校に欠席の連絡をし、通学カバンを駅のコインロッカーに預けて岡山行きの列車に乗った。夕方までに帰れば誰も怪しむ者はいない。行ってらっしゃい、車に気をつけるんだよ…という母親の声が聞こえたが、ぐずぐずするんじゃない、遅刻するやつは最低だぞ…という父親の声がかき消した。

 何が最低だ…と道彦は思う。時間に正確なのは鉄道マンとしては優秀なのかもしれないが、それが全てに優先するのでは人間としては尊敬できない。

「明日は早番だから話しはまたにしよう。遅刻はできないからな」

 高校進学のことで思い悩んで相談した息子に、そう言い放って寝室へ消えた昨夜の父親を道彦は許せなかった。

 岡山では映画を観た。コンビニで買ったパンでお昼を済ませ、ゲームセンターに入ったが無駄遣いはできず、結局、本屋で立ち読みをして時間をつぶした。

 おカネがないと都会には居場所がなかった。

 生まれて初めて学校をサボって遠出をしたが、少しも楽しくなかった。

 帰りの列車に乗ると、高橋川の鉄橋の手前で列車が停車した。

「ただいま、強風のため停止しています。しばらくお待ち下さい」

 というアナウンスが、乗務しているはずのない父親の声だった。

(勤務交替があったんだ!)

 道彦は身体を固くした。

 普通列車だから検札はないが、スピーカーから声が聞こえる度に父親に見られているような気がした。

 一向に動く気配のない列車に乗客たちがいらつき始めた時、車両のつなぎ目のドアが開いて車掌が現れた。

 道彦は身体を屈めて上目使いに車掌を見た。

 父親だった。

「強風が収まらないため、皆様には大変ご迷惑をおかけしています。お詫び申し上げます。申し訳ありません」

 制服姿の父親は深々と頭を下げた。

 理由もなく立派だった。

(風のせいだ!お父さんが謝らなくていい!)

 道彦は泣きそうになって顔を伏せた。

 その傍らを、車掌はゆっくりと次の車両へ歩き去った。