石段の旅

 縁あって群馬県の伊香保温泉には数回訪れている。ふもとの関所跡から頂上の伊香保神社まで延々と続く石段の両側に、折り重なるように軒を連ねる旧い温泉街の風情が気に入って、郡上八幡で一人暮らしをしている母親を連れて行こうと思い立った。親孝行というような上等なものではない。それだったら日常的に実家を訪ねて、畑仕事を手伝ったり一緒に買い物に出かけるべきである。旅は、母一人子一人でありながらそれができないでいる罪滅ぼしであり、さらに言えば、八十歳を目前にして、いつ不測の事態が起きても不思議ではない年齢に達した母親との思い出作りのつもりであった。

 ところが、ロープウェイで上った展望台からはるばると赤城山を臨んでも、

「どう?凄い眺めだろ?」

「私はいっつも山見て暮らしとるでなあ…」

 母親は期待したほどには感動しない。

 石段の温泉街を散策しても、遅れがちの私を振り返っては、

「喘息が悪いのか?」

 心配そうに眉根を寄せるばかりで、思ったほどにははしゃがない。

 湯を済ませ、もったいないもったいないと言いながら食事を残して早々と枕を並べると、喘息を治せだの、血圧に気をつけよだの、さんざん私の健康を気遣ったあげく、

「そういえば、せっかくお前が都会の修理屋でゼンマイを替えてくれたお爺さんの柱時計なあ、また動かんようになってしまったよ」

 わずか一合の酒が効いたのだろう。懐かしい思い出話しをする間もなく寝息が聞こえて来た。

 家族の暮らしは湯を沸かすようなものだと思った。まだ元気な祖父母がいて、若い母と幼い私がいて、ぐつぐつと煮えたぎるような時間を過ごすうちに、蒸発するように祖父母が逝き、私が自立し、母が老いた。気がつくと、私の家族もあらかたが記憶の中である。

 目を閉じた耳の底で、祖父の柱時計がコチコチと時を刻んでいた。