高速船が港に着くと、健吾は数人の客の最後尾に並んでゆっくりと桟橋に降り立った。大きく伸びをした頭上に鳶が一羽、悠然と輪を描いている。高層ビルが立ち並ぶ都会からわずか二時間足らずの海に、周囲四キロ程の小さな島の暮らしが展開していることが不思議だった。

(別天地だ…)

 船べりを叩く波の音を聞きながら、これこそ生き物のリズムだと思った。

 エスカレーターを駆け上がり、電車を待つ間にコンビニで買った菓子パンをかじり、他人の着信音に思わず反応してしまう企業戦士の日常は、ふわふわと海面を漂うクラゲのリズムに比べると何と嘘くさいものだろう。

 健吾は、のんびりと歩いて島を一周した。

 海辺にはテングサを採る主婦がいた。堤防には蛸を干す老婆がいた。小屋にはシラスを茹で上げる若者がいた。健吾と同じ四十代くらいの男たちが、小型船を操ってアナゴ漁に出かけて行った。さっき健吾を運んで来た船が、今度は島からの客を乗せて遠ざかって行く。白い制服の船長は、こうして日に何度か本土と島を往復して生きている。

 みんな何と明快な人生だろう。

 潮風が吹き渡った。

「今月の目標、達成できたかね。君のようなベテラン営業マンが若い者の模範にならなきゃな」

 昨日の部長の言葉が、ふいに幼稚な学芸会の台詞のように感じられた…と、道路の反対側からシルバーカートを押した小柄な老婆が近づいて来た。

「いい天気ですね」

 声をかけるより早く、老婆はカートの幌を開けて、

「アナゴの干物、一袋二千円にしとくがね」

 店で買うよりゃ安いでな…と媚びるように言った。

「荷物になるから、帰りにするよ」

 いい加減な返事をする健吾を見透かしたように、老婆が幌の蓋をしたところへ、大量のテングサを抱えた主婦が堤防の階段を上がって来た。

「あれ、婆っちゃん、どやね今日は…」

「平日は客が少ないし、渋いわのお」

「午後からの帰り客は、ちったあええかも知れんで」

「ほやの、たんと売らんと息子に叱られるでの」

 干物の匂いがするのだろう。路地からひょっこりと顔を出したネコが、細い目でカートを見つめていた。