臆病な鳩

 クリスマスの日、郡上八幡から出てきた母親が、電子辞書が欲しいと言うので、名古屋駅のすぐ西にある家電製品の量販店に連れて行きました。またしても母親の話かと思わないで聞いて下さい。母一人子一人の私がトシヨリを書こうとすると、身近にはこの人しかいないのです。駅を出た広場にたむろする若者たちを、背の高いモニュメントのてっぺんから鳩の群れが見下ろしていました。母親は、やにわに持っていたシュークリームの皮を小さくちぎって空高く放り上げたつもりでしたが、皮は空しく足元に落ち、鳩は微動だにしませんでした。それを拾って、

「それ!」

 今度は私が力いっぱい放り上げると、一斉に舞い降りた鳩のうちの一羽が素早く近寄って、あっという間に皮をくわえ去りました。

 母親は嬉しそうにその場にしゃがみこみ、

「ほれ…ほれ…」

 初めのうちは盛んに餌を投げていましたが、やがて手ずから食べさせたくなったのでしょう。親指と人差し指とで皮をつまんで鳩の群れに差し出しました。鳩は首を前後させながら目をまん丸にして近づきますが、

「ほれ、もっとこっちへおいで」

 母親が餌を揺らす度に驚いたように後ずさりをして一定の距離を縮めません。

「恐がらんでもええに、ほれ、あげるんやでここまでおいで」

 やがて勇気のある一羽が恐る恐る近寄って餌を直接くわえると、数羽がそれに続きましたが、残りの鳩はどうしてもあと一歩が踏み出せないで先を越されてしまいます。

「いい人かどうか見極めたら思い切って近寄らんと餌は食えんぞ」

 ほれ、ほれ、と餌を差し出す度に同じ鳩ばかりがくわえ去るのに辟易して、

「みんな臆病やなあ…若い頃の私とおんなじや。よし、もう終わり!」

 母親はそう言うと、残りのシュークリームを自分の口にぽいっと入れて立ち上がりました。八十歳目前の年が暮れて行きます。