喪服

 既に医者から聞かされていたのだろう。辰蔵の危篤を知らせる千恵の電話は落ち着いていて、

「爺ちゃんは、東京ん郵便局へ就職ばしたお前んこつが何より自慢じゃっで、急ぎ飛行機ん乗って、ひと目でん元気な顔ば見せちゃらんね」

 と言ったあとで、喪服を忘れるなと付け加えた。

「わかっとうとよ!」

 押入れの奥から、まだ箱に入ったままの礼服を取り出した春樹の耳に、

「こん礼服は、わしからの就職祝いじゃ」

 郵政省は固いお役所じゃっで、冠婚葬祭の義理を欠いては勤まらんぞという辰蔵の声が聞こえた。

「郵政省じゃのうて、郵便局たい。第一、郵政省なんち役所はとうになかとよ」

 春樹がどんなに説明しても、

「昔っから郵便局を管轄しとるんが郵政省じゃ。名前は変わってもおんなじこっじゃいが」

 な、娘さん…と、辰蔵は紳士服売り場のレジを笑わせた。

 その辰蔵に郵便局を辞めたことを言えないまま、半年が過ぎた。民営化につきものとはいえ、真面目な先輩を容赦なくリストラする郵便局に未練はなかった。二年間で貯えた資金をはたいて専門学校に通い、辰蔵の望む国家公務員になろうと思っていた。

 外へ出てタクシーを探しながら、ふいに涙が出た。

 昔から辰蔵はどんな時も春樹の味方でいてくれた。

 春樹がスーパーでガムを盗んで捕まった時も、

「こん子は、そぎゃんこっする子ではなか。うっかり支払いを忘れただけじゃ。そんくらい、こん子の目え見たら解ろうが」

 で押し通した。

 生きていて欲しかった。

 突然、手に下げた喪服の箱が忌まわしいもののように感じられた。春樹はアパートへ引き返して喪服を玄関の床に置くと、転げるように外へ出た。

 最終便で夜の空を飛び、駆けつけた病室のベッドの上に、辰蔵は白い布を被って横たわっていた。

「爺ちゃん…」

 声を詰まらせる春樹に、

「あれだけ言うたに、喪服は忘れたか」

 千恵があきれたように言った。