除夜

 三十日に鉄路で帰るという連絡のとおり、博之は予定の時間に故郷の駅に下りた。

「あれ?俊彦は来ないのかい?則子さんはどうしたの?」

「いまどきの大学生はアルバイトだよ。年末年始は時給が高いんだそうだ。則子は静岡へ行った。今年から正月はそれぞれの実家で過ごすことにしたんだ」

 どちらの母親も一人暮らしの年寄りだからね…と言う時、博之が耳の後ろを掻いた。

 静岡には長男夫婦がいるだろうという言葉を嘉子は喉元で飲み込んだ。博之は昔から嘘をつく時に耳の後ろを掻く。

「しかし年内に大雪なんて珍しいよなあ」

 圧雪の歩道を慎重な足取りで先に立つ一人息子の後ろ姿を、嘉子は立ち止まってしみじみと見た。五十の坂を越えた博之は、ふとした拍子に死んだ夫とそっくりな仕草をする。

 暮れの大掃除をそっちのけでとりかかった雪の始末は、翌日の午前中までかかった。

 物干し竿で勢いよく払い落とした軒の雪が、かわし損ねた博之の頭上に落ちた。首筋に入った雪の冷たさに、竿を放り出して飛び上がる博之の様子がおかしくて、嘉子が大笑いをすると、

「笑ったな!」

 博之がふざけて雪玉を投げつけた。

 投げつけた息子はめっきりと皺が増え、投げつけられた母親は小さくなっていた。

 午後からはスーパーに買い出しに出かけた。

 早めに風呂を使い、鍋を挟んで向かい合った。

 歌番組も、二人で観ると楽しかった。

 考えてみると、母と子で過ごす大晦日は初めてだった。

「おふくろ…」

「ん?」

「おれ、定年になったら帰って来るぞ」

「帰ってくるったって、お前…」

 二人が黙ると、歌番組が急に音量を増した。

「実は…おれな…」

「しっ!」

 嘉子が唇の前で人差し指を立てた。

 気の早いどこかの寺が、早々と除夜の鐘をつき始めたのだった。