最後のクラス会

 クラス会のあとは実家で一泊して、帰りは日曜の午後になるという浩介の言葉を、由美は聞こえない振りをした。接待ゴルフ、出張、休日出勤…と、頻繁に家を空ける浩介の背広に、長い髪の毛を発見したのは一度や二度ではない。そもそも十一月七日などという中途半端な日に、突然中学時代のクラス会が開かれるなんて不自然ではないか。

 一方、行って来るよと声をかけながらも、浩介は由美からの返事を期待してはいなかった。子供たちが巣立ち、寝室を別にするようになった夫婦が、会話すら失って二年になる。クラス会の開催は事実だったが、信用を失って当然の嘘を、浩介はこれまで何度もついて来た。

 大恋愛で結ばれた二人が、子育てを終えてみると、心の通わぬ男女になっていた。内容は覚えていないが、子育ての方針の違いや、互いの実家への配慮の欠如を、その都度決着をつけないで遣り過ごして来た感情の澱が、信頼の通路をすっかり塞いでいた。

(六十歳にもなれば、みんな仮面夫婦をやってるさ…)

 十数年振りに同級生の近況を聞くのを楽しみに、浩介は故郷へ向う高速をひた走った。


「突然の案内にもかかわらず、大勢集まってもらって感謝に耐えません。実は今回のクラス会は田所くんの希望で実現しました。開会に当たり一言ご挨拶をしたいとのことですので代わります」

 腕白だった中学時代の面影を残した田所は、後退した額に汗をにじませて、

「私は…いや、おれでいいか、せっかく懐かしい故郷におるんやで、方言でしゃべらせてもらうわい。実はおれ、白血病なんや。医者は放射線治療を勧めるけんど、治るかと聞くと、治らんと言うから、治療は拒否した。恐らく来年中にはかみさんのところへ行けると思う。乳がんも白血病も悪性腫瘍に変わりはないで、仲のいい夫婦なんやと思う」

 同級生は静まり返って田所を見た。

「こうして死を宣告されてみると、将来を不安にも思わず無邪気に生きとった中学の頃の仲間が無性に懐かしゅうて、我がままを言って集まってもらったんや。おれは先に逝くけんど、いい家族に恵まれて幸せやった。かみさんも手を握って送ってやれた。人生は長さより質やと思っとる。子供んたには家族葬にせよと言ってあるで、皆とはこれが最後やと思う。しめっぽうならんように、中学の頃に戻って、楽しい一晩にして欲しいと思う」

 田所が照れたように頭を下げた。

 幹事が戸惑いながら拍手すると、全員がそれにならった。やがて痛いほど手を叩きながら、みんな田所を超えたもっと大きなものに向かって拍手をしているような気がした。死を覚悟し、治療を拒否し、幸せだったと言い放って、こういう形で仲間との別離を敢行した田所の生きざまに、運命を支配下に置いて前を向く一人の男の強さを見ていた。

 二次会で中学時代に流行ったなつメロを奪い合うように歌い、浩介は実家の部屋に布団を敷いて横になった。眠れなかった。脳出血で倒れた母が病院で息を引き取って以来、誰も住まなくなった老朽家屋は廃墟のようだった。

 雨が降り出した。

 トタン屋根を叩く雨音の記憶が、酩酊した浩介を子供の頃に連れ戻したとたんに、かつてこの家に住んでいた祖父母や両親の気配が動き出した。笑って、泣いて、喧嘩して、病気して、看病した家族が、今は誰もいない。

 人生は長さより質やと思っとる。

 耳の奥で田所の声がした。

「明日は昼までには帰る。久しぶりに映画でも観て、外で食事をしよう」

 浩介は深夜にもかかわらず、由美にメールを送った。