示談

 ここでお話しになられたことは他には漏れませんのでご安心下さい…と前置きして患者の抱える事情を聴き取るのは、ソーシャルワーカーの技術だと思っていたが、相談業務経験も十年を超えると、技術を超えた力量が身に着くものらしい。

 立花相談員の絶妙な共感と、的を射た質問と、何よりも表情から溢れ出る誠意に誘われるように、沢田一郎はつらい日常を語り始めた。

「そうですか…。職場でそんなことが…」

「はい。あからさまなリストラはできませんから、会社はパワハラすれすれの、無理難題を押し付けて来るのです」

「それにしてもいきなり青森に転勤はひどいですよね」

「単身で行くか家族で行くかで夫婦がもめましてね、妻には妻の仕事も人間関係もありますから」

「しかし、沢田さんとしては、そういう時こそ奥様に一緒にいて欲しいですよね」

「夫婦が険悪だと子供が影響を受けます」

「不登校ですか?」

「だったらましなのですが、万引きですよ」

「捕まったのですか?」

「警察に呼び出され、夫婦の関係はさらに悪化しました」

「…よく分かります」

「結局、会社を辞めて次の仕事を探しましたが、この年齢で新しい仕事となると…」

「厳しいですよね」

「失業給付も切れて妻の収入で生活するようになった私を、妻はごみを見るような目で見るのです」

 酒に逃げる口実にはなりませんがね…と自嘲する沢田の苦しみを、カンファレンスで立花から聞いた主治医の村井健介は、

「肝臓は沈黙の臓器ですからね、沢田さん、症状が出た時には相当進んでいます。酒を受け付けなくなるお薬を出しますが、断酒と並行して、ストレスを解決しましょう」

 お子さんの万引きは一回だけで済んだのですか?と聞いたのが迂闊だった。

「どうして先生がそのことをご存じなのですか?」

 相談員がしゃべったのですね?と詰め寄る沢田は別人のように硬い表情をしていた。

「他には漏れないと言われてうちあけた家庭の事情を漏らしたのは明らかに相談員の守秘義務違反です。病院の情報の管理体制はどうなっているのですか!」

「いえ、治療目的のために患者さんの情報をスタッフで共有することは、院内掲示でもお示ししています」

「個人情報保護法が改正になったのをご存じないようですね。万引きのような要配慮情報については、法律は提供に際して特別に本人同意を義務付けているのですよ」

 金銭は決して要求はしないものの、出るところへ出る、マスコミに訴えると凄む沢田の権幕に負けて、事務長から持ちかける形で十万円の示談書類を取り交わしたが、

「えらい時代になったよ。沢田という人物は別の病院でも同じ手口で示談金を手に入れている」

 事務長は立花と村井を呼んでこの件の口外を禁じると共に、個人情報の取り扱いについて早急に院内研修を行わなくてはと考えていた。