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福祉サービスの死角(8)
平成30年01月22日
前田ケアマネジャーと菊池ヘルパーにとって、吉島敬三ほど扱いやすい利用者はなかった。比類のない従順さで、指示や提案には決して逆らうことがなく、しかもそれらを実行した事実は何一つ記憶されない。金銭の支払いや通帳類の保管を含めた金銭管理は全くできないが、排泄は自立し、出された食事は自分で食べることができる。火を使う習慣はなく、徘徊もない。浴槽に湯を張って促せば、自力で入浴ができる。脱いだ衣服を着てしまうので、着替えの用意が必要な点を除けば、手のかからない認知症であった。ヘルプは、掃除、洗濯、買い物、調理、ゴミ出しの繰り返しで、月に一度、通院の付き添いをすれば、あとは見守りという名目で共に過ごした時間が保険外サービスの報酬になった。
要介護1の限度額内で提供される保険適用サービスは、その部分だけが順当な内容で請求されるため、保険者の審査で問題になることはなかった。ヘルパーやケアマネが一緒に食べる外食費用を含めて、サービスの大半は自由契約であり、敬三の代理人である板橋保佐人の了承の下に、敬三の口座から引き落とされて誰のチェックも受けなかった。敬三の買い物に菊池ヘルパー自身の買い物を紛れ込ませても「食材、日用品等」という費目に溶け込んで露見の恐れはなかった。板橋法律事務所の田崎敦子は、年に一度の収支報告で家裁に不審を抱かれることを心配しているが、家裁には介護事業者の請求内容にまで立ち入って審査するゆとりがないのが実情だった。
二人は次第に大胆になった。
毎朝九時に吉島家を訪問した菊池が、
「さあ、今日はお待ちかねのデパートですよ。着替えが済んだ頃にタクシーが手配してあります。随分前から行きたいとおっしゃっていましたから嬉しいですよね!」
そう言うと、パジャマ姿の敬三はその気になって身づくろいをし、笑顔でタクシーに乗り込んだ。帰りの買い物袋の中は、ヘルパーである菊池が個人的に購入した商品と、前田マネジャーから頼まれた品物であふれている。
「これ、頼まれた品物です」
事務所に戻った菊池ヘルパーからデパートの買い物袋を渡された前田ケアマネジャーは、
「ありがとう、お疲れ様。いつものように記録、お願いね」
訪問介護事業所の管理者の顔で言った。
『十一月二十五日。晴れ。ご本人のご希望によりタクシーでデパートに出かける。半日買い物に同伴し、食堂階で寿司を食べて帰宅。必要とは思われないものを衝動的に購入されるが、制止しようとすると人が変った様に立腹されるので、よほど高額で無駄な商品でない限り静観する。認知症が進むにつれて行動範囲が狭まり、近所のコンビニに出かける以外は家の中でテレビを観て過ごす生活が長かったせいだろう。ヘルパーの利用で行動制限から解放されたご本人は、堰を切った様に買い物と外食を頻繁に希望される。ヘルパーが食事をご馳走になるのは心苦しいが、一人では寂しいとおっしゃるご本人とご一緒することこそ支援であるという板橋保佐人のご教示もあり、同伴している。楽しそうなご本人の様子に、充実した一日を支援できたと実感した』
保険外サービス分の訪問介護日誌には、菊池の筆跡でそう記録された。