遺言

 どこまでも続く不透明な雲の海を機内の小さな窓から眺めながら、江利は怒ったように唇を結んでいた。確かに小学四年生から育ててもらった恩はある。恩はあるが、

「江利、お父さんは久恵さんにお前の新しいお母さんになってもらおうと思う。そうなれば美帆はお前の妹なんだから、これまで以上に仲良くするんだぞ」

 あの時江利は何だか父親からだまし討ちに会ったような気がした。母親の葬儀の後も、母親の親友の久恵が美帆と一緒に頻繁に出入りして、何くれと江利の世話をした親切そのものが、自分をだます周到な準備だったように感じられた。

 江利と美帆が諍いをすると、

「美帆、やめなさい!」

 久恵は必ず美帆の方をたしなめたが、そんな時江利は、ごめんね美帆…と我が子に詫びる母親の愛情を久恵の目に読み取って、美帆に一層突っかかって見せた。

 大学三年生の秋に父が急死して、少なくない遺産の半分を相続した江利は、その資金でアメリカに留学をし、アメリカで結婚をした。養子縁組がしてなかったために美帆に相続する権利がなかったことを、その時江利はむしろ当然だと思っていたが、今回は江利に相続権がない。父親の財産は、久恵を経由して、結果的に赤の他人の美帆が自分と同じ半分を受け継ぐことに、江利は多少の不合理を感じていた。

 タクシーを拾ってセレモニーホールに着くと、資産家の父親の時とは比べようもなくささやかな通夜が営まれていた。

「お姉さん…」

 義姉妹が二十年ぶりの再会を果たしたのを見計らって、久恵の兄が二人を別室に招き入れた。

「病床の久恵が、美帆に了解を得た上で書いたものです…」

 差し出された遺言書には、遺産は全て江利に譲る旨が記されていた。江利は母が親友に選び、父が妻にした人を、自分だけが理解していなかったことをその時ようやく思い知った。