警鐘

平成30年10月11日

 介護の仕事に就く人材が減少している理由としては、「きつい」、「汚い」、「危険」という3Kが既に言い古されて、「給料が少ない」、「休暇が少ない」、「カッコ悪い」を加えた6Kが指摘されているが、

「そんな一般論ではなくて、もっと生々しい声を現場で取材して来い。わが国はまだまだ深刻な超高齢社会が続く。我々マスコミが介護職場に人気のない原因を明らかにして社会に警鐘を鳴らさないと、介護は日本人のメンタリティの分からない外国人ばかりの職場になってしまうぞ」

 デスクの大声に追われるように新聞社を出た綾瀬美由紀は、介護福祉士として高齢者施設で仕事をしている同級生の佐々木紀子に電話して、思いがけない現状を聞いた。

「そうね、一応専門職としての正規雇用だし、待遇は世間で言うほど悪くないと思うわよ。人手不足だから古い職員が新しい職員をいじめるようなこともしない。ただ…」

 最近は利用者や家族の言動に耐えられなくて辞める介護職員が目立つわねと紀子は言い、

「今の子は耐性が低いと思わない?」

 新聞社ではどう?と美由紀に同意を求めた。

 利用者や家族からの介護職員に対するハラスメント…。

 この切り口は掘り下げてみる価値があると美由紀は思った。

 複数の介護施設や介護職団体を取材すると、耳を疑うような事例がたくさん聞けた。介護の最中に胸を触られたり、抱きつかれたりは珍しくなかった。驚いて振り払った拍子に利用者が転倒して骨折すると、家族から罵られた上、損害賠償を求められた例もあった。美由紀が取材を重ね、介護職員の実に七割が利用者や家族からのハラスメントを受けたという職能団体のアンケート結果を交えてまとめた文章は、

「綾瀬、インパクトのある特集になったじゃないか。こういう実態を改善しなければ、介護を志す人材は増えない」

 デスクの評価を得て記事になった。


「ねえあなた、この記事読んだ?」

 その日、残業して十時過ぎに帰ってきた直哉に、和美が新聞を突きつけた。

「日中の貿易摩擦だろ?うちみたいな自動車部品の下請けでさえ、火の粉を被らないかと戦々恐々だ」

「そうじゃないわよ、ここよ、ここ」

「え?…利用者や家族による介護職に対するハラスメント深刻?」

 和美が指示した記事に目を通した直哉は、いつになく真剣な表情をして顔を上げた。

「おい…」

「そうよ、夢を諦めさせるようで悪いけど、理恵の介護福祉士資格の取得、考え直させた方がいいんじゃないかしら」

「ああ、病院でお爺ちゃんの車椅子を押して喜ばれた経験が、介護職を目指す動機になっているみたいだけど、身内の介護とは訳が違うってことだなあ…」

「障害を負って苛立っている男性利用者の体を若い女性介護職員が触るんだもの、これほど危険な仕事はないわ」

 明日にでも時間を取って、理恵にきちんと話してほしいという和美の言葉に、直哉は夢中でうなずいた。