遺言3

 ふと広報を見て市の主催するシルバー大学に参加してみたら思いのほか収穫があった。延々と自動車部品を設計して定年を迎えた昭彦に、日本史が専門の元高校教師の友人ができた。十二年間に及ぶ姑の介護をし終えて、ようやく自分の時間を取り戻した専業主婦とも親しくなった。一年間の講座は多義に亘り、日本国民でありながらまともに憲法を読んだのはここが初めてだったし、自分の住んでいる地域のお祭りが、古事記の記述に由来することも講座で知った。

 知るは楽しみなりというが、この年になって昭彦は初めて学ぶ楽しさを味わっていた。

 午前の部は「遺言」の講座だった。

「さて、これまでに遺言や遺書を書いたことがあるという人はいらっしゃいますか?」

 講師の弁護士が質問すると、昭彦の親ほどの年齢の老人が真っ直ぐに手を挙げた。

「ほう…お一人だけですか」

 講師はちょっと驚いたように会場を見渡した。

 遺言の意義や書き方に関する分かり易い説明を聞きながら、昭彦は改めて故郷の年老いた両親と、大阪で小さな町工場を営む兄と、静岡に嫁いだ妹のことを思った。

(親父が死ぬと、親爺の財産を、おふくろと三人の兄妹で分けるんだよな…)

 まさかとは思うが、兄はいつだって資金繰りに苦労している。親爺に多額の預貯金があったりすると、墓の管理や法事の主催を持ち出して、長男としての取り分を要求する可能性はある。そうなれば二年前の親爺の入院の時に中心になって世話をした妹が黙ってはいない。相続人の間で遺産分割協議が整わなければ…。

(遺言がないと、厄介なことになるぞ)

 講義が終わって仲間と行った地下の食堂に先ほどの老人がいた。

「手を挙げたのはお一人だけでしたね」

「はい。私は学徒動員で戦地に赴く時、十代で最初の遺書を書きましたからね」

 それ以来、遺書を書き直す度に、憂いのない今を生きる覚悟をしているのだと老人は笑った。